大猟師怒る
「――――――ッ!?」
その剣閃に反応できたのは、ほとんど奇跡といってもいい。
腰から引き抜かれアーデルハイトの首を狙う剣に対し、彼女は両手を地面に叩きつけて仰け反ることでどうにか躱す。
今度は身体を横倒しに倒れ込ませる。視界の端に、剣を突き込まんとする叔父の姿が映った。
回復した魔力を巡らせ、風に変換する。対象も指定せずに暴発させた。地面と身体の隙間に発生した暴風は、容易く少女の体重を吹き飛ばす。
浮き上がる体、ぐちゃぐちゃに振り回される風景。姿勢を制御できるはずもなく、ぐしゃりとみっともなく地面に落下する。首から落ちなかったのは偶然だろう。
「が、う、ぁ……」
くらくらする頭を押さえ、定まらない視線を叔父に向けた。信じられない。……一体何が? どうして叔父が? なにが理由で……?
「あー、あーあーあーっ! 避けた! 避けたなアーデルハイト!? せっかく俺が痛みなく終わらせてやろうとしてやったのに!」
「叔父上!? どうして……!?」
「どうして? どうしてだと!? ――それは俺の台詞だ、アーデルハイト! どうして猟師に殺されていない!? どうして奴を殺していない!? どうして奴と相打ちになっていない!? ……どうして、どうしてあの爆炎を受けて生き延びているんだ、クソ餓鬼が……ッ!」
男の顔は憤怒に染まっていた。
目を吊り上げ、髪は逆立ち、歯列を剥き出しにして声を荒げる叔父の姿は、今まで見たことのないものだ。
「――――――」
言葉にならない。豹変した叔父の態度も、その言動も、この状況も、全てがひとつを指し示していて、それを心が拒んでいる。
それではまるで――
「私を、殺すつもりで――」
「初めからそのつもりだったとも! 世間知らずな小娘は敵討ちの半ばで名誉の討死。家督は残ったこの俺が継ぐ。……そのつもりでお膳立てしてやったんだ! それなのにあのクソ猟師、てめえを殺そうとする相手を庇いやがった! くそ、くそ、くそ!
いくらしたんだと思ってるんだこの宝珠! 執事が罪を被ってまでしてようやく手に入れたのに! あの商人も、とんだ欠陥品を掴ませやがって!」
豹変した叔父は、数年前アーデルハイトが処断した執事の名を出して悪態をついた。……あぁ、つまり彼の着服は、この叔父がその宝珠を購うために――
「どうして……」
「なに?」
「どうして、こんなことを!? 家督が欲しいなら、言ってくれれば差し上げたのに……!」
「――――は。そんなことか。巡りが悪いな、アーデルハイト」
鼻で笑い、出来の悪い生徒に呆れる教師のような、そんな仕草で叔父は言った。
「ドラゴンだ。竜騎士は、ドラゴンがいなければ意味がない。俺はそれが欲しいのさ」
「スヴァークを……?」
「わかるか? 半島のドラゴンの継承順位は血筋による。それが初代辺境伯が交わした契約だからだ。
兄貴が死ねば、あのドラゴンは娘であるお前に従う。いくら幼くとも、家長に相応しくなくとも。たとえお前がどこぞの娼婦に産まされ何も知らず遠い地で育とうと、あのドラゴンは必ずお前を探し出して騎士と見なす。そうなればロイター家は自動的にお前のものだ。
お前がそう望もうが望むまいが、周囲の竜騎士たちがそう捉えるのだ。ドラゴンを従えてこそ騎士位であるとな。俺が入り込む余地はない。
……クソ兄貴だけでも業腹なのに、その娘にまで頭を下げろだと? ふざけるなよクソったれが!」
悪罵を交えて語る叔父を、アーデルハイトは信じられない気持ちで見つめていた。
最初から……本当に最初から。父が生きていた頃から、叔父は叛意を抱いていたというのか。
「――――だが、お前をただ殺すだけでは意味がないのだよ、アーデルハイト」
一転して落ち着きを取り戻し、意味深な口調で叔父は言った。いたぶるような足取りで歩み寄ってくる。
「平民に当主を殺され、ロイター家の威信は地に落ちている。そのうえ家督争いで乱れたとなれば、取り潰しは免れない。
俺が家督を継ぐ前に、名誉を挽回させなければならない。――あの猟師の首は、竜騎士たちに見せつけるいい土産になるだろう?」
――――そう、猟師は死んだ。コーラルは、あの人は死んでしまった。
「お前は猟師に挑んだが、武運つたなく敗れてしまった。そこで後見人である俺が助太刀として決闘を引き継ぎ、見事奴を討ち果たした。
お前の死体が焦げているのは、死んだお前と猟師が組み合いもつれたところを、すかさず俺が撃ったからだ。万一の時は自分ごと撃てと、お前に言い含められていたからな。
……本当にこの筋書き通りに行けばよかったんだが……猟師め、最期まで要らない真似をする」
物心ついてから、ずっと復讐のために生きていた。それ以外教わらなかったからだ。
でもそれも終わり。念願果たされ、もはや目的を見失った。その上唯一信じていた、父代わりに思っていた人に裏切られた先に、一体何が残っているのだろう。
――疲れた。もう何も見たくない。聞きたくない。
「…………叔父上。初めから、私が邪魔だったのですか?」
「…………。あぁ、そうだ」
真っ直ぐに見つめると、叔父はわずかに怯んだ様子を見せたあと、はっきりと答えた。
「兄貴も、お前も。俺にとって邪魔以外のなにものでもない。立ち塞がる、糞みたいな壁だったよ」
――――なら、もういい。
アーデルハイト・ロイターはここで終わる。自らの望みを潰し、本心でもない使命感に唯々諾々と従ってきた自分には似合いの末路だ。それに比べて、自らの野望にむけて突き進もうとするこの叔父のなんと活力に満ちていることか。
始めから、自分はいるべきでなかった存在なのだ。
未練はない。そんなものは燃え尽きてしまった。目の前で振り上げられた剣を見ても、どうこうしようという気力も湧かない。
少女は従容とした態度で跪き、自らに向けて振り下ろされる剣を茫然と受け入れて、
「――――――おい」
風煙に紛れて響く、押し殺した憤怒を聞いた。
振り下ろし、今にも少女を斬り殺そうとした男の右腕。その肘が突然、まるで爆薬でも仕込んでいたかのように吹き飛んだ。
「ギ、ゃ――――ッ!?」
紅銀が煌めく。背後から吹き抜ける一陣の風。男の腕を粉砕した戦鎚は、勢い余って地面を砕き頭部をめり込ませた。
アーデルハイトは見た。自らの後ろから走り抜ける影の姿を。若草色の外套。銀の額当てから零れる赤い髪。身に纏うその銀装からは、紅い粒子が猛るように噴出している。
――――覚えている。覚えています。
その背中は、その有様は、決して忘れようがありません。
「子供に――――」
「ひっ…………!?」
背中越しで見えないその顔は、一体どんな表情を浮かべていたのだろう。
相対した叔父の上げた悲鳴も聞き捨てて、猟師は戦鎚を手放し拳を握った。
「手をあげたな…………ッ!?」
「ぐぉ……!?」
叔父の腹に深々と突き刺さったその拳は、その威力をいささかも衰えさせることなくさらに前進し、彼の身体を軽々と打ち飛ばして見せた。
叔父の身体は宙を舞い、積み上げられていた廃村の瓦礫の中に騒音を上げて落下する。
「――どうしたんだ、アーデルハイト? こんなに簡単に諦めやがって」
構えを解き、振り返りもせずに猟師が言った。
「らしくない。まったくもってらしくないぞ。これなら、昔の方が見所があった」
「コー、ラル……」
……覚えていた。思い出してくれた。――それとも始めから忘れたふりをしていたのか。
胸が熱い。視界が歪む。しゃっくりでも起こしたみたいに、嗚咽で呼吸が定まらない。
――でも、それが苦しくない。この胸の痛みは、あなたの死体を見たときに感じたそれと変わらないはずなのに、それが嫌ではないのです。
肩越しに背後を見やり、少女の顔を眺めて、猟師は呆れたように目を細めた。
「――――少しは大人になったと思ったが。べそかきは昔のままか、泣き虫ハイジ?」




