横槍御免
懐かしい夢を見た。自分自身の始まりの夢だ。
薄ぼんやりとした意識の中、アーデルハイトはそんな感想を抱いた。
もう八年も昔の夢だ。若く青い初恋の夢。十にもならないうちに初恋とは、自分のませっぷりに変な笑いが出てくる。
それも相手が滑稽で、これから自分が殺そうとしている復讐の相手なのだから救いようがない。
猟師だって迷惑だろう。こんな、親子ほども年の離れているだろう相手から懸想されているなど、何の謀略かと疑うに違いない。
――あぁ、そうだ、ぼんやりしていた。まだ自分は、戦いのさなかだったっけ。
気を失っていたのはどれくらいだろうか。多分、数分程度だと思うけれど。
「う、ぐ……」
全身を襲う痛みに苦痛の声を上げる。随分と吹き飛ばされたらしい。そこかしこに打ち身特有の痛みがあった。
最後に見たのは……爆発だろうか。あの猟師の仕業? そういった素振りはなかったはず。
サラマンダーとウンディーネの気配が消えていた。繋がりそのものは感じられるから、恐らく送還されたのだろう。爆風に呑まれたにしては傷が浅いことから、彼らが庇ってくれたのだろうか。
ちりちりと焦げ付いた臭いが鼻を突いた。熱されたのか、顔がひりひりしている。頭を押さえると熱を持った鉢金が指に当たった。不快に思い取り外す。
そこまでしてようやく意識がはっきりしてきた。よろよろと立ち上がり、何があったのか前を見やると、
――――焼けた地面。焦げた肉片。ぱちぱちと脂の爆ぜる音。
地獄が通り過ぎたような、炭と灰の黒い世界が目の前に広がっていた。
「――――――え……?」
言葉にならない。一体これは何なのか。
むせ返るような悪臭はあっという間に鼻を潰し。黒い煙は視界を閉ざして見渡せない。
風が吹いた。煙が流されて、僅か前方が見やすくなった。数分前、アーデルハイトが向かった場所。猟師を拘束し、彼に突き飛ばされたその場所には、人影一つとして見当たらなかった。
ならば――
「え……?」
ならば、これは一体何だろうか。
アーデルハイトの目の前に自立する、二本の焦げた太い棒。
燃えたせいで細くなっているのだろうか。所々から白い煙を吐いている。
木の枝のような二本の棒、下の部分は根を張るように広がっている。まるで、足のような形で。
――そう、これは、足。膝から下の、燃え尽きた、焦げ果てた。…………誰の?
――――――あの人の?
「はっ……ぁ――――ぐっ……」
息が出来ない。
過呼吸でも起こしたみたい。空気が上手く飲み込めない。
吐き気がする。胸が痛い。押さえつけると、心臓が早鐘のように脈打っていた。鎧越しに伝わってくるとは、一体どれほど激しく動いているのだろう。
風が吹いた。視界が開けた。二本の棒の向こう側に、何かが転がっていた。
「ぁ、く、ぅ……ぁ……」
嫌だ。見るな。あれを見てはいけない。
あれを見ると、きっとひどいことが起きる。
首を逸らそうと動かす。首は錆びついたようにぎりぎりと横へ向こうと微かに傾ぎ。
――あぁ、でも眼が見開いて。眼球がその光景を見逃すまいと前方を捉えている。
風が吹く。煙が晴れる。――いやだ。見せないで。お願いだから。
目が動かない。さっきから必死で閉じようとしているのに、まるで瞼が焼き付いたように言うことを聞いてくれない。これでは、これでは――――あぁ!
「あ、ぁ――ぁ……!」
黒い物体が転がっていた。
丸太ほどの大きさで、黒いのは先ほどの爆発に焼かれたせいだろう。
丸太には横向きに二本の枝が付いていて、それも途中から吹き飛んで消失していた。――誰かの腕だろう。
くびれのある物体だ。――この部分はきっと首。運よく胴体にくっついていられたらしい。
力が抜けてよろめいた。すとんと膝を落とすと、足元からぐしゃりと奇妙な音が聞こえてきた。
見下ろすと、細長い炭を膝が踏みつけていた。
それは、炭と呼ぶには奇妙な物体が張り付いていた。黒く焦げ、融解して原形を留めていないが、全体としての形は把握できる。
――――腕。そしてこの付着物は、溶けた篭手?
丸太を見直す。鼻や耳の痕跡など面影はすべて焦げ落ち、ただの球体となった頭部には、篭手と同じように溶けた金属が張り付いていた。
思い出す。直前に相対したあの猟師。彼が身に着けていた衣装。――焼け残るとしたら、きっと頭と腕に装着した――
「ぁ……ぁぁあああアアアアアァァァアアア…………!」
●
「――見事だ! よくやった、アーデルハイト!」
どれほど時間がたっただろうか。
呆然と目の前の光景を眺めていると、どこからか突然大きな声が鳴り響いた。
声のした方向を見やると、そこには、
「叔父上……?」
「よくぞあの猟師を足止めしてくれた! 大金星だぞ、アーデルハイト!」
喜色を満面に表した、壮年の男の姿があった。男は廃村の周囲の茂みに身を隠していたらしく、服についた埃を払いながらにこやかに歩み寄ってきた。
「――どういうこと、ですか? あの爆発は、叔父上の仕業ですか」
「ああそうだとも。練りに練り上げた爆炎の術式! 見ろ、あの忌々しい平民風情が防ぎきれずに黒焦げだ!」
「馬鹿な。――手出しは無用と言っておいたはずでしょう!? 私自身がけりを着けると……!」
「あのままやらせていれば、お前は呆気なく殺されていたぞ。血のつながった姪を助けたい一心だったのだ。許せ」
僅かに気色ばんだ様子で叔父が言った。左手に宝珠を弄び、それでも堪え切れず口端を歪めて目の前に立ち止り、男は膝をついたアーデルハイトを見下ろす。
……嫌な予感がする。
この叔父がここまで喜ぶ姿など、見たことがない。
それほど仇を討てたことが嬉しいのだろうか? 自分自身が殺したことが?
決闘に横槍を入れるなど、作法に有り得ない所業だというのに。
そして叔父は不気味なほど穏やかな表情でアーデルハイトに語り掛ける。
「――――あぁ、だが済まないと思っている。魔法を放つタイミングを計り損ねてしまった。お前に怪我をさせるつもりはなかったんだ。……本当は」
痛みなく、殺してやるつもりだったんだが、と。
ひとりごちる男の瞳は、喜悦に染まっていた。




