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PHOENIX SAGA  作者: 鷹野霞
立ちはだかる猟兵
133/494

彼女の記憶

 恋をするのに、お伽噺のような出会いはいらない。この大陸において白馬の王子様なんて、それこそ与太話に他ならない。

 時期も、立場も関係なく、その瞬間はやってくる。



   ●



 父親が死んでから、アーデルハイト・ロイターは鍛錬漬けの日々を送っていた。

 剣に、魔法に没頭し、ひたすら力を磨くことに専念していた。余った時間も、大半を我が家に唯一残ったドラゴンとともに過ごして、家族をかえりみることはほとんどなかった。

 ……奇しくも、生前の父親がそうしていたように。

 とはいえ、一人娘で母親もすでに亡く、彼女に親類といえるのは叔父一人しかいない。その叔父もそんな少女の生活を奨めこそすれ、咎めることはなかった。


 復讐。まだ六歳の子供に課すにはあまりに重い業。しかし周囲の妄執じみた怨念と、年端のない少女の純真さゆえに、彼らはその異常さを認識することなく日々を過ごしていた。



 ――あれは確か、六年前のこと。

 八歳になったアーデルハイトは、一通りの魔法を習得し、実地での戦闘訓練を重ねていた。

 場所は領都近辺の魔物の生息域。スタンピードが終息し、魔物の総量が減ったとはいえ、衛兵の補充が足りず治安は改善しきらないままで、近くに魔物の溜まり場もいくつか存在していた。

 魔法に優れるとはいえ、当時の彼女は年相応に体力もなく、肝心の魔法も運用するにあたっての機転に欠けていた。騎竜との同調もさほど進まず、彼女の髪も変化せず金色のままだった頃の話だ。


 行っていた訓練というのはいたって単純。出くわした魔物を手当たり次第に撃ち殺していくというもの。

 魔物をいくら殺してもレベルが上がるわけではない。経験の基準となるのはスキルレベルであり、ステータスである。ゴブリンを十体殺したから経験値がいくら入る、という単純な代物ではない。

 ただ、漫然と立ち木に魔法を放つより、いくらか動きのありこちらを害しうる戦力を持った敵に相対する方が、スキルレベルの向上に適しているのは事実だった。

 だからあの頃のアーデルハイトは暇さえあれば魔物を相手に、その理不尽ともいえる魔法の才能を振るって訓練に勤しんでいたのだった。

 戦闘成績は実に無敗。群れからはぐれてやってくるオークやゴブリンは言うに及ばず、南下を目論み領境から侵入してきた人狼の類も易々と倒すことができた。


 それが、慢心を呼んだのかもしれない。


 手負いのサーベルキャットを追っているうちに、気が付けば護衛役とはぐれてしまった。……たかだか八歳の子供の足に遅れなど取りません、と胸を張っていた彼らだったが、その日はなぜか体調が悪かったらしく、いつの間にか姿が見えなくなっていたのだ。

 遅ればせながら身の危険を感じたアーデルハイトは、サーベルキャットの追跡を諦めて南へ退却しようとした。

 ――しかし、その判断は遅すぎた。


 現れたのはオークの群れ。数は十体以上でスタンピード後の半島では大きい規模に入る。まともな餌にありつけなかったのか、本来筋肉と脂肪に包まれている巨体は骨が浮いていた。

 人間の、それもか弱い女子供が連れもなくうろついているなど、彼らにとって食ってくださいと言っているようなもの。人間が羊にするように性欲の捌け口にされる場合もあるようだが、彼らの目つきとひっきりなしに聞こえてくる腹の音がそれはないだろうと知らせていた。


 当然、アーデルハイトも応戦した。本当に無力な子供ならいざ知らず、自分には魔法というれっきとした武器がある。そうそう後れを取るものではないと。

 火球を連続で放った三体ほどを仕留めた。飢えたとはいえ生命力の強いオークを殺しきるには骨が折れる。その三体を殺した頃には、MPは半分を切っていた。残り十体近くを倒すにはまるで足りない。

 回復を待っている時間はない。殺すのは諦めて、足止めに専念することにする。足元の土をぬかるませてオーク達を拘束し、自らも動いて距離を取りつつオークが接近してくるのを妨害し続けた。

 少し待てば異常を察知した護衛が探しに来るはず。彼らと合流してから反撃に移ればいい。そう考えて。


 ――――しかし、いつになっても護衛は現れなかった。

 目減りしていくMP、疲弊していく体力、焦る精神。次第にオーク達は泥濘の歩き方を心得始めたらしく、明らかに移動速度が上がっている。

 泥の深みを増してみる? ……難しい。消費する魔力量は影響を及ぼす土の体積に比例する。これ以上規模を大きくしても効果は見込めない。

 むしろ風魔法で自らの逃走速度を上げてみる? ……どこに向かって? すでに道を見失って久しい。かろうじて南北の区別はつくが、下手な方向に逃げれば袋小路に追い込まれかねない。

 いっそ火魔法で出来る限り抗ってみるか? ……倒しきれない。MPはもう二割を切ろうとしている。これではオーク一体を殺すのが精々だろう。


 決断できない。どれを選んでも先がない。焦りばかりが積もり、刻一刻と悪化していく状況はただでさえ少ない選択肢を奪っていく。

 悩んでいるうちにMPは減り続け、数発の火球も打てなくなるほどになった。これで敵を撃ち殺して逃げることは出来なくなった。

 日が暮れようとしている。夜闇が訪れれば魔物の時間だ。オークだけでなく夜行性の獣まで出現するだろう。そうなれば一巻の終わりだ。

 息が切れてきた。足の疲労も限界だ。喉が渇き、粘ついた唾が詠唱の邪魔をする。逃げ足と土魔法の泥濘が生命線だったというのに、それが無くなればどうすればいいのか。


 時間がない。余力がない。道がない。力尽きれば殺される。食べられる。

 追い込まれ、死への一本道を歩かされているような絶望感。唸り声を上げて歩んでくるオークそのものよりも、背後に静かに迫り寄る死の気配が何より恐ろしかった。


 怖くて、恐ろしくて、気が狂いそうで。けれど自ら死を選ぶ勇気もない。八歳の子供にそんな決断ができるはずもない。

 死にたくない、と思った。何の理由づけもない。義務も憎悪も虚無感も、何もかも取り払ったあとに残った感情が、ただ生きたいという衝動じみた思いだった。

 しかしそれは意味のない感情。生きたいと思って生きられるなら、この世に理不尽な死など起きはしない。目の前のオークもそう。彼らにとって目の前の子供を食い殺すことなど、理不尽でも何でもない自然の摂理なのだから。


 頭では分かっていて、理屈では達観していて、それでも諦めきれずにオーク達を睨み返した。

 ――そんな時にだ。


「――――いい眼をしているな、小娘!」


 ――あなたが、そこに現れた。


 まるで荒れ狂う暴風の化身。手に持つ戦鎚を縦横に振るい、瞬く間に魔物を打ち殺していく。風を切り地を踏みつけ、その疾走は目にも留まらない。ただ焼き付いたのは、その身に纏い風にたなびく深緑の外套だった。


 ……そう、その背中を覚えている。

 私をかばうように立ちはだかった、あなたの後姿が頭から離れない。

 きっとあなたは覚えていないでしょう。活躍は聞いています。……あんなこと、あなたにとっては取るに足らない日常だったのでしょう。

 年月が経ちました。忘れてしまっても仕方ない。あれから私も随分顔つきが変わったし、髪の色も変わってしまった。残っているのはあなたが残したこの古びた外套だけだ。


 それでも私は覚えている。決して忘れたりするものか。

 これは私の本当の始まり。お仕着せな、どこか空虚な使命感ではなく。私自身から湧き上がった、私だけの感情が、あの瞬間に始まったのだ。



 ――――コーラル。私はあなたに、恋をしています。

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