想いの始まり
――――――本音を言うと。
私は、顔も覚えていないような父の仇など、どうでもよかったのです。
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――危ないところだったな。お前、危うく死ぬところだったぞ。
なんだって子供がこんな所にいるんだ? ここら辺は山賊やら魔物やらがうろついてるっていうのに。
……っておいおい泣くな泣くな! 安心したのはいいが、そう泣かれちゃどうすりゃいいのかわからんだろうが。泣く子供は苦手なんだって!
いいか? お前は生きてる。俺も生きてる。お互い元気で怪我もない。目の前のオークは死んでるから襲ってこない。怖いものはもういないってわけだ。おーけー?
……あーあーあー。わかったわかった、こうしよう。この死体をこうやれば、ほらこの通り跡形もない。インベントリの奇跡ってやつだ。グロい物体は消えたぞ。
……まったく、こんなところで子供が景気よく魔法ぶっ放してると思ったら、あっという間にMP切れでこのざまだ。心臓が止まるかと思ったぞ。
それでお嬢さん、立てるか? ……無理? あーそうかい、じゃあ背中におぶさりな。運んでやろう。
……なに? お前こんな紳士捕まえて人攫い呼ばわりする気か? ひどい言いがかりだ! 名誉棄損で裁判所まで引っ立ててやる。つまりそういうわけだから早く背中に乗れっての。
――魔物に襲われたらどうするかって? そりゃお前を担ぎながら斬った張ったの大立ち回りに決まってるだろう。
……大丈夫大丈夫。こう見えておっさんは強いからな。お前も見ただろ? オークやゴブリンの一匹二匹、出会って二秒で瞬殺ですとも。グロくないようちゃんと片づけてやるさ。
魔族だって怖くないとも。あんな間抜け揃い、霧に紛れて後ろからぐさりだ。本当だとも。
…………むう? 心なしか外套越しに、びしゃっとした感触が伝わってくるんだが……
いやいやいや泣くな泣くな泣くな! 怒ってない、怒ってないから! 怖かったんだろ? 仕方ないって。こんな生理現象、大の大人がいちいち目くじら立てるか。
だからそう泣いてくれるなって。
あーもう、どうしたものかねぇ……。
――――よし、じゃあこうしよう。
実はその緑の外套な、二月前に買ったばかりの新品なんだ――ってだから泣くな! 怒ってないから!
怒ってないけど、汚されたからにはちゃんと弁償してもらいます。感情じゃなくて、これは物の道理の話だ。わかるな?
外套はくれてやるよ。だから後日、新品を持ってくるか代金で弁償するか、どっちかでチャラにしてやろう。
忘れるんじゃないぞ? おっさんは鬼の取立人だからな。支払いを忘れたら地の果てまで追いかけてやる。
つまりそれまで嬢ちゃんは俺の顧客ってわけだ。支払いが終わるまで安全は保障してやろう。
――そう、この半島にいる限り、子供の安全は俺達が保証してやる。
だから安心して――――っと、あれはお迎えか? こんなに距離を取るとは、無能な護衛もいたものだ。
さて、これでお別れだ嬢ちゃん。
……おっと、この外套はやるんだっけか。えーと、こんな感じで…………うん、なかなか似合ってる。大事に使えよ。臭うからって捨てるんじゃないぞ、お前の自業自得なんだから。
ちゃんと取り立てに行ってやるからな。それまで今日みたいな無茶はやめて、地道に頑張りなさい。おっさんとの約束だ。忘れるんじゃないぞ。
……あぁ、そう言えば名前を聞いてなかったっけか。債権者が相手の名前も知らないんじゃ話にならない。
それで、嬢ちゃんの名前は?
…………長い名前だなぁ。愛称とかないのかよ。……呼ばれたことがない? それは……何とも面倒な人生だ。友達とかいないのかね?
ほら、あれだよ、お前にもいるんじゃないのか? クララって名前の車椅子に乗った女友達とか、羊飼いの男子とか。
……やっぱりいない? その名前ならそこは押さえておけよ。せめて犬は飼っておくように。
――――さて、迎えもきたし、名前も覚えた。本当にこれでお別れだ。
次に会うまでにはその泣き癖を直しておけよ、泣き虫ハイジ――――
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「――――ハイト。聞いているのか、アーデルハイト」
自分に呼びかける声を聞いて、アーデルハイトは我に返った。
ここはロイター家の書斎だ。目の前には苛立たしげな表情の叔父。立派な書類机に腰掛け、手を組んでこちらを見つめている。
机の上に散らばった書類には叔父の署名が書き込まれ、『当主代行』の判が押されていた。
当主も執事もいなくなったこの家は、いつしかこの叔父が取り仕切るようになっていた。
……不満はない。成人もしていない自分に貴族の家を回していくなど不可能だ。生前の父の仕事を傍らで見ていて、やり方を心得ている叔父に任せるのは仕方のないことだった。
ただ、叔父にも家庭があり、養う妻子がいて、家臣としての務めがある。二足の草鞋はきっと負担になっているだろう。それを思うと申し訳なく思う。
「…………済みません。考え事をしていました」
「ここ最近はいつもそうだな。弛んでいるのではないのか」
叔父が顔をしかめて舌打ちを漏らした。
「――剣術の家庭教師から聞いているぞ。この半年でめきめきと実力を上げているそうだな」
「……ありがとうございます」
「だがお前の才能は魔法にある。そもそも剣術は竜騎士にとって二の次とするべきもの。剣に本腰を入れるのは、魔法とドラゴンの扱い、その二つに長けてからでも遅くないだろう」
「ですが、父上は猟師に剣を使って破れました。ならば報復は同じく剣を使ってこそ――」
「それでお前が猟師を殺せるのはいつになる? 五年後か? 十年後か? 悠長に鍛えるのを待っていては、間に合わんのだ」
「…………」
アーデルハイトがこれまで何度も猟師に挑み、そしていいようにあしらわれているのを叔父は知らない。報告していない。猟師の行方を調べている下男は口が堅い。漏れることはないはず。
たった一人でドラゴンに乗り込み、どこかに姿を消して何日かしたらボロボロになって帰ってくる。特訓かなにかをしているのだろうと思われているはずだ。
「竜騎士の会合で、我々の旧領について話し合いがもたれたそうだ。……市民を殺し、平民に殺された兄上は竜騎士失格ではないか、と。ロイター領はお前が成人して相続するよりも、今いる竜騎士で分け合った方が適切ではないのかと」
他の竜騎士も生活が苦しくなっているのだろう。空いた土地があるなら、本来の所有者がいずれ現れるとわかっていても飛びつかずにはいられないほどに。
「……仇討ちは、私が成人してから実績の一つとして行うはずでしたが」
「言っただろう、時間が無くなってきた。周囲からの圧力が強くなってきている。我々の名誉のためにも、急がなくてはならない。
――アーデルハイト。お前の魔法の技量は既に一流だ。それならばあの男を仕留められるだろう」
そう言って、叔父はおもむろに懐から一つの宝珠を取り出した。滑らかな表面をした、紅い球形の宝珠。どういった経緯で手に入れたかは知らないが、叔父はこの装飾をいたく気に入っていて、暇さえあれば取り出して眺めている。
……数年前から、叔父はその宝珠を手で弄ぶのが癖になっていた。
「準備不足は否めないが、今月中にでも仕掛けるぞ。旧臣たちに声をかけている。二十人は集まるはずだ。誘き出して、囲い込んで、隙を見てお前が撃ち殺せ」
「――待ってください」
話を進めようとする叔父に口を挟む。不快げな表情を隠しもしない叔父を見返し、
「竜騎士が手下を使い、多勢をもって平民を嬲り殺しにしたとなれば、名折れです。他の竜騎士の方々も納得なされないでしょう」
「だがドラゴンは使えない。お前は成人していないのだ。仇討ちとはいえ、私闘にドラゴンを用いるわけにはいかない」
「ええ、ですので――」
一瞬、思いにふける。
……そうか、時間が無くなってしまったのか。
もう少し、これが続くのではと思っていた。
殺せもせず、殺されもしない。歪な師弟のような関係が。
腑抜けるなとあの人は言っていたけれど、私が倒れた時に見せた、あの泣きそうな顔で何を言うのだろうか。
それでも、決着はつけなければならない。それなら――
「私が、一対一で雌雄を決します。剣と魔法、両方を使って、あの猟師を殺します。
……しくじった場合は、叔父上。お好きなようになさってください。私を殺して気の緩んだところを狙えば、あの猟師相手でも不意を打てるでしょう。ですので――」
――――ですので、手出しはどうか、ご無用に――――




