表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PHOENIX SAGA  作者: 鷹野霞
立ちはだかる猟兵
120/494

人竜一体、その所以

 満身創痍。

 よろよろと覚束ない足取りで現れた主人に対し、スヴァークは一目でそう判断した。

 ふらつく足取りはいつもと変わらない。脇腹をかばって背中を丸め、もつれるように歩く姿もいつか見たことがある。身に纏った古びた外套の裾を握りしめ、何か思いにふけるのは主人の癖だ。


 だが、目が違っていた。


 今にでも死んでしまいそうな――否、死んでしまいたいと願っているような目つき。なにもかも投げ出して消え去ってしまいたいと弱りきった表情。

 人間の中にこういった顔をする者がいるのを、スヴァークは見たことがある。孤立して追い立てられる敗残者の顔だ。その絶望は随分と久しぶりに見る。ここ数十年は空から一方的に敵を焼き払ってばかりで、ろくに敵の顔を見ることもなかったためだ。

 そんな弱々しい顔を、スヴァークの主人はしていた。


 ……らしくない。スヴァークの主人として相応しくない。

 この主人は今までこの背に乗せた中で、飛び切り才能のある人間だ。ドラゴンと心を通わせるという難行は、初めてスヴァークに跨った竜騎士にも充分には為せなかった。

 だがこの主人は違う。スヴァークと心身を共有し、その力を限界以上にまで引き上げることが出来る。

 だから、本当の意味でスヴァークの主人となったのは彼女が初めてということになる。

 ――そんな主人が、こんな弱者の瞳でいじけているなど、あってはならないことだ。

 ……何とか励ましてやりたいが、上手い慰め方などまだ若くつがいも得ていないスヴァークには荷が重い。

 荷が重いことはやりたくない。だから違うもので目を逸らさせることにする。


 ……ハイジが戻った。いじめられて逃げ帰ってきた。


「……ハイジじゃない」


 とりあえず歓迎のつもりで喉を鳴らすと、主人は力のない声でスヴァークの思考に訂正を求めた。

 だがスヴァークとしては大いに異を唱えたい。アーデルハイトの愛称はハイジ。長はそう主張している。長はいつも強く賢い。ならば正しい。だから主人の名前はハイジなのだ。


「そう……かもしれないけど。でも、叔父上にも呼ばれたことのない愛称だから」


 愛称で呼ばれることに慣れていないのだと、主人は寂しそうに呟いた。

 呼ばれ慣れてない。つまりは特別な愛称ということだ。使っているのはスヴァークだけ。特別な関係の主人とスヴァークに相応しい。


 寂しくないぞという意味を込めて、鼻面を彼女の腹に押し付ける。主人は一瞬驚いた様子でたじろいだものの、すぐに立ち直ってスヴァークの首に腕を回した。


「……ううん。本当はね、そう呼んでくる人が一人だけいたんだ。……初対面の癖に、気安いったら」


 つまりそいつも特別な人間なのだろう。スヴァークの主人は気高い。初めて会う相手が馴れ馴れしい態度で接して来れば、不機嫌な様子を隠しもしなくなる。

 なのにそいつのことを語る彼女はどこか懐かしげで、嫌悪感が感じられなかった。


 ……ちょっと癪だが、仕方がない。スヴァークも雄のドラゴンだ。いずれつがいを持てば、主人だけが特別な相手というわけにはいかなくなる。それと同じだ。

 スヴァークはドラゴンの特別。そいつは人間の特別。棲み分けは出来ている。

 ――ただ、主人はまだ、繁殖に適した年齢といいがたいのが難点だ。


「つがいって……そんなんじゃないよ」


 特別なのだろう? スヴァークの特別は単純だ。親と兄弟、未来のつがいと子供。命を預けるアーデルハイト。そして遥かな目標としての長だ。

 長は敬意を払うべき相手だ。だからその他の特別は全て身内。だからハイジの特別も身内に違いない。


「…………それなら、そうかもしれない。うん、私にとって、あの人は特別。この感情は、スヴァークが赤竜様に向ける特別と、きっと似てる」


 本当に? スヴァークは長に敬意とともに畏れも抱いている。今主人が心に抱いてるものと同じだ。

 だが、感情に向ける感情が違うのだ。

 スヴァークはこの畏れを心地よく思っている。自らの上位者として振舞うに足る威風だ。ならばそれに心ごと首を垂れるのは当然のこと。

 だが主人は違う。スヴァークとハイジの心は繋がっている。奥底の思いは欠片なれども感じ取れる。

 ハイジはそいつに向ける畏怖を、消し去りたいと思っている。恥ずかしいと思っている。


「それは……」


 そいつを畏れたくないのだと、ハイジは心の底で思っている。違う感情を向けたいのに、どんな理由かわからないができない。それがもどかしいのだろう。


「…………」


 人間は複雑だ。思うさま振舞うことが出来ず、心を割り切ることもできない。欲と見栄に挟まれることはドラゴンにもよくあることだが、それはどちらも選びたいから迷うのだ。

 だが人間は、選びたいものを拒み、忌むべきものを選ぶために葛藤する。若いスヴァークには未だ理解できない。


「選びたくても、出来ない。私からは歩み寄ってはいけないから。……それに、あの人は……私に、気付いてくれなかった……」


 語尾が震えてか細くなった。ぐずりと嗚咽をすすり上げ、緑色の外套を皺になるほど握りしめているのがスヴァークに見て取れた。首元に抱き着かれているせいで、顔はよく見えない。


 主人が胸に何を秘めているのか、スヴァークには推し量れない。心を合わせる関係とはいえ、それ(・・)は彼女が自分のために大事に鍵をかけてしまい込んだ宝物だ。スヴァークが土足で踏み入る真似は出来ない。

 相棒にも明け渡さない領域がある。それは歓迎すべき錨だ。竜騎士として位階を進めれば、自我とドラゴンの境が曖昧になり、最後には自らが何者なのかもわからなくなる。

 心に重石を置いておけば、どこまで踏み込んでも耐えられる。戻るべき方向に光が差しているなら、ヒトとドラゴン、両方を上手く釣り合わせて高みに登れるだろう。


 いい主人だ。彼女とともにいれば、スヴァークはさらに強くなれる。彼女の思いが、記憶が、その理性が、残滓となってスヴァークの中で積み重なって強くなる。

 前の主人はだめだ。まるで話にならなかった。考えることといえば巣に貯めこむ財の量や、群れの中での序列くらい。騎竜に心を許さず、騎竜の心を開こうともしない、いまどきにありがちな竜騎士。

 やることといえば背中に乗ってふんぞり返り、あれを焼けここに飛べと命令ばかり。そんな主人ではスヴァークの糧とならない。

 だから、目の前のアーデルハイトは得難い主人。彼女の重石が揺らいでは、スヴァークの将来にも関わってくる。


 ……やはり、焼き殺そう。ハイジを泣かせた愚か者は、スヴァークが殺す。揺らぐ重石は、動けないように燃やして固めた方がいい。


「やめて、スヴァーク。あの人はそんなのじゃないから」


 そう言って、主人がスヴァークに抱き着く腕に力を込めた。


「――あの人とは、私がけりを着けないといけないから」


 それがおかしい話なのだ、とスヴァークは唸り声を上げた。

 けりを着けたい、というなら、なおのことスヴァークを連れてかかるべきだ。竜騎士とドラゴンは人竜一体。スヴァークはアーデルハイトの牙であり爪であり翼である。スヴァークを連れないということは、翼と息吹抜きに戦いに挑むということ。それは竜騎士の戦いではない。


「そうだけど。……でも、父上は魔法もドラゴンも無しであの人と戦った。……私もそれに倣わないと、周りに示しがつかない」


 ……本当にそうだろうか? 主人は本当にそう思っているのだろうか?

 スヴァークは一人考え込む。……主人の言葉には嘘が混じっている。そう感じる。スヴァークに対してではない。彼女は彼女自身に対して、嘘をつきたがっている。

 スヴァークを連れていれば一刻で終わる戦いに、何回も何カ月もかけている理由がシメシとやらか。どうにも理解が出来ない。


 ――――どちらにせよ、これ以上は彼女を追い詰めまい。近いうちに、主人は否が応でも選択を迫られる。

 こんな日々が、そう長く続くはずがないのだから。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ