怒りを燃やせ
取り出しておく得物を間違えたかもしれない。
振り下ろされる剣を眺めて、そんな感想を抱いた。
「――――」
「く……っ」
手に持つ長柄杖をくるりと旋回させ、相手の剣の腹を叩き軌道を逸らす。空いた隙間に身体を滑り込ませて、無防備になった脇に――――何もせず、ただ間合いを離した。
振り返り構えなおした彼女を前に、どっしりと腰を落として杖を捧げ持つ。……打ってかからないことを不審に思われているのが視線から感じ取れた。だがこっちにだって理由はある。
……早い話、この杖がどうにも扱いづらいのだ。
樫の木製の杖に不満を持ち、去年の冬に特注した黒檀の長柄杖。エルフの森から伐り出され、秘伝の漆を塗って手触りと強度を上げた黒ずんだ色合いのそれは、確かな強度と重量を誇っている。
しかしこれでは重すぎる。
この杖を遠慮なく振るった場合、目の前の少女の骨など容易く砕ける。頭に当てようものならそれだけで致命傷となりかねない。
殺傷力の低い武器としてこれを選んだというのに、結果が扱いにくくなりましたでは締まらない話だ。
「弱った……」
「何の話ですか……!」
思わず漏れたぼやきを隙と見たのか、再び少女が斬りかかってきた。踏み込みは地を摺り、一歩で間合いを詰めようと大きく踏み出している。鋭い剣勢。初めに出会ったころとは雲泥の差だ。
だが――
「意気はよし。だが踏み込みが真っ直ぐすぎる」
「――――――!?」
出足を挫いた。
杖の先を踝に当て、重心が乗りきらない内に横に払う。体勢を崩した彼女は倒れ込み、そのままごろごろと受け身を取って起き上がり小法師のように立ち上がった。身を起こしざまに振り上げた剣が追撃の杖を払い落とす。
……倒れれば終いとしないところは高評価だ。何としても再起し次に備えるという意気込みは粘り強さに直結する。それは命の取り合いで重要な位置を占めるだろう。
「……しかし、恐ろしい奴だな。こうやって何度も何度も飽きもしないで、仕事帰りの俺を見つけ出してくる。……発信機でもついてるのか?」
領都に盗みに入り、その帰りに襲われたあの日から一週間が経っている。
今日の俺は半島に入り込んだ少数の盗賊を狩るために、半島の付け根にある大要塞の近くにまで出張っていた。そしてその帰りに待ちかまえていた彼女と出くわし今にいたる。
……まったく、どうやって居場所を特定してくるのやら。一度身の回りの物を丸洗いした方がいいのかもしれない。
「――――役場の、予定表」
「ん?」
ぼそりと、眼前の少女が呟いた。
「役場の広場に張り出してある予定表に、傭兵団員がどこにどれだけの期間遠征しているか書き込まれています。あなたは猟兵という括りで扱われていますが、単独行動が多い。特別出張枠に『コーラル』があれば、その方面にはあなたしかいないということ。帰還予定日から逆算すればいつどこに現れるかは見当がつきます」
「――なんと」
システム化の弊害がここに来たか。組織のクリアな運営は健全さを維持するのに必須とはいえ、いささか機密性に欠けるかもしれない。
帰ったら村長に報告しておこうとひとり納得していると、今度は彼女が苛立たしげな声を上げた。
「……あなたの方こそ、何のつもりですか」
「何のって、なにが?」
「今までの私に対する態度です」
きっとこちらを睨みつけるその瞳には、確かな敵意が浮かんでいた。
「……私は、初めからあなたを殺しにかかっている。なのにあなたといえば、片手間みたいに相手をするだけで、理由を聞くわけでもなく、散々虚仮にして動けなくなった私に止めを刺すわけでもない。稽古でもつけているつもりですか? ……お笑い草だ。馬鹿にするのもいい加減にしてください。
私は、殺し合いに臨んでいるんです。それなのにあなたは、そうやってへらへらといい加減な調子で……!」
「…………ふむ」
……なるほど、出くわす度に彼女のイライラ度が増していたのはそのせいか。女の子にありがちなアレの日かと思って気にも留めていなかった。
しかし、何のつもりでいるのか、ねぇ。
こちらとしては、言動で暗に示しているつもりだったんだが、それでは足りなかったか。
「――――そんなもん、子供の戯事に付き合ってるつもりに決まってるだろう」
「な……ッ!?」
おお、絶句してる。ぽかんと開けた口が襟巻越しにもよく見て取れた。
「剣技は稚拙。身を隠しているのか疑問なほど気配も殺せていない。勝てないとわかったら余力のあるうちに逃げるものだってのに、剣を振るのに夢中で最後は力尽きて無防備に失神する始末。
意気込みは買うがね。お前のやってる通り魔行為は、子供の癇癪のようなものだ。殺し殺されの舞台にまるで上がってこれていない」
「――――――っ」
ぎりぎりと歯を食いしばる音がこちらにも聞こえてきそうだ。固く握った剣が小刻みに震え、かたかたと音を立てるのは怒りの証左か。
……そうだ、それでいい。もっと怒れ。
お前には怒りが足りない。剣を振るうための熱が欠けている。本来憎悪は剣に余分な雑念ではあるが、何もなく漫然と打ち込むよりは数段ましだ。
殺しにかかったというのに、返り討ちにしなかった俺に腹が立っただろう? お前の動機など、俺にとって取るに足らない些事に過ぎない。だから知ったことではない。だから気にも留めてやらない。
殺す価値がないと、暗に嘲られていることに気付いたか?
「怒ったか? だがそれを覆す力などお前にはないぞ。あるというなら猛ってみせろ。腹にある熱を表に出せ。
お前の復讐心とはその程度か、アーデルハイト・ロイター……ッ!」
「っ――――ァァァアアアアアアッ!」
それは、身を奮い立たせるための絶叫だったのか。
少女は憤怒に顔を染めて真っ直ぐに突進した。
俺もそれに応え、迸る気勢もそのままに迫る切っ先を手元の杖で弾いていく。
――――凝りもせず何度も襲い掛かってくる少女の素性など、調べるに決まっている。
身なりは粗末にして誤魔化していたが、平民とみるには違和感があった。真っ直ぐに伸びた背筋に、未熟ながら筋の通った剣術。時折身体の中で波打つ魔力の揺らめきは、彼女が貴族位にあると示していた。
おまけに、その魔力の色。自身のそれと他の何物かの魔力が混じり合い、奇妙な色合いをしているその魂に、俺は見覚えがあった。
あとは多少調べるだけで見当はつく。それなりの身分にいる人間が、直々にただの猟師を殺しに来ている。それも年端のいかない子供がだ。ならば動機は私怨以外に有り得まい。
聞けば、あの竜騎士には一人娘がいたのだそうだ。
「そうだ、怒れ。俺を憎め! 父親の仇はここにいるぞ! 殺すべき敵はここだ! 死力を尽くしてかかるがいい……!」
猛然とかかりくる剣戟をいなしつつ、吼えたてるように彼女を煽る。出来るだけ憎らしげに見えるように口元を歪め、見せつけるように哄笑を上げた。
「――――っ」
それを受けて、彼女の目元が微かに歪んだ。気圧されたのか、決意が揺らぎかけたのか。その様は一瞬泣き出しそうな表情にも見えて――
「なんて面だ、この戯けが……ッ!」
「ぐ――――ッ!?」
仰け反った少女の顎先を、豪風を伴って杖の先端が掠めて過ぎ去った。一念でも反応が遅れれば顎を粉砕し首をねじ折っていた軌道。彼女なら避けられると確信していたが、この時ばかりは本気で振るった一撃だった。
返す刀で杖を大振りに打ち込む。難なく防がれた一撃は、しかし彼女の身体を後方へ数歩も弾き飛ばした。
「何を考えた? 八年来の仇を前に、どんな下らん雑念を抱いた!? ただでさえ地力で劣る相手だというのに、唯一抱えた思いを揺らがせて何がなせる!? そんなざまで――」
そんなざまで、この先に来る災厄をどう乗り越えるというのか。――そう口走りかけた言葉を飲み込み、杖を構えなおす。
……これは、語る必要のない言葉だ。この娘に無駄な思考を持たせるべきではない。
「――――今まで適当に付き合ってきたがな。お前の決意とやらがその程度なら、遠慮なくお前を殺すぞ。ままごとに付き合う暇はないんだ」
「……違う」
「何が違う。この甘ったれた餓鬼めが。その軟弱な精神で何が出来る。そんな面構えで何が殺せる」
「違う!」
「いいや違わん! お前はその程度の餓鬼だ。その程度の小娘だ。大人しく着飾って人形遊びでもしてるがお似合いの――」
「違う……!」
悲鳴じみた否定の絶叫。激情とともに剣を握り斬りかかってくる。
違う、違う、どうして、と支離滅裂な言葉を漏らしながらも、振るわれる剣閃は鋭く精確。防ぎ、受け流す黒檀の杖が削れるほど。
……怒れ、怒れ。もっと怒れ。その過熱を腹に据え、剣を振るう活力へと変えろ。
だが呑まれてはならない。その熱を御する術こそが、本当の苦難に立ち向かう糧となる。ただ独り絶望に取り残されようと、己を奮い立たせる光を生む。
だからそう。それを見るためには、一度は目も眩むほどの憤怒に焦がれなければ――――
「しまっ――――!?」
「う、ぐ……っ!?」
目測を誤った。
それまで猛然と荒れ狂っていた彼女の動きが、突然鈍ったのだ。
本来は躱せるはずの杖の横薙ぎ。それを無防備な脇に受け、アーデルハイトの小柄な身体は軽々と吹き飛んだ。
受け身を取る様子もなく、彼女はごろごろと惰性で転がり、ぐったりと地面に横たわって脱力している。
……まずい、まずい。今のはまずい。
「ええい、この……」
動揺を胸の内に抑え込もうとして失敗し、あたふたと慌てて少女の傍らに駆け寄る。呼吸が楽なように仰向けに寝かせて、口元に耳を寄せた。
呼吸は……よし、問題はない。
脈はある。一応生命活動に支障はないようだ。
「意識はあるか? 無くても反応は返せ。どこが痛む? ここか? それともここか?」
「ぐ……」
頭部は特に強く打ったわけでもないようだ。問題は杖を打った脇腹だろう。手を当てて押し込むと、少女は顔を歪めて苦悶の声を漏らした。
胸に耳を押し当てて呼吸音を確かめる。……雑音は特に聞き取れない。折れた肋骨が肺を破ったわけではないらしい。最悪を避けられたようでほっとする。
しかしこの痛がりようからして、肋骨はは折れているだろう。呼吸のたびに激痛が走っているはず。額に浮かぶ脂汗がその証拠だ。
「確か、婆様から鎮痛の薬草を貰ってたはずだが……」
インベントリの一角を占めていた薬箱を地面に置き、中から青々しい薬草を取り出す。これを磨り潰して湿布にすればいいのだが、薬研も乳鉢も手元にない。
仕方がないので、薬草を口に放り込んで噛み潰した。とんでもなく苦い雑草の味が口の中に広がり、思わずえずきそうになるのを必死でこらえる。もぐもぐと死にたくなる思いで口を動かして薬草を潰し、唾液の混じったそれを手拭いの上に吐き出した。
「汚いが、これしかないんだ。悪いな」
いまだ呻き声を上げる少女に一声かけ、衣服をまくり上げて脇腹を露出させた。女性としては未成熟な身体が一部露わになったが、出来るだけ目を逸らす方向で作業を進める。
目当ての患部は、すでに内出血で黒ずんでいた。簡易的な湿布をその上に被せると、痛みがあったのか彼女の身体が跳ね上がった。暴れ出しそうな身体を強引に押さえつける。少女の上げる悲鳴に、耳を塞ぎたくなった。
「い、ぁあああっ!」
「大人しくしていろというに。折れた骨がずれるかもしれんだろうが……!」
……子供だ。
まだ痛みにも慣れていないであろう、未熟な子供だ。
押さえつけ、じかに触れてその華奢さに改めて瞠目する。同時に、そんな子供を痛めつけていた自分に嫌気がさした。
「……まったく忌々しい。こんな子供を思いつめさせて、俺は何をしている……?」
悪態をつく。他のやり方を選ばない自分は、きっと途方もないろくでなしだ。
「――――――ふん、まあいい」
だが、決めたことだ。彼女の復讐に向き合うには、それくらいしか思い浮かばなかったのだ。
なら――――この茶番は、最後まで続けなければ。
青ざめた顔で苦しむ彼女の耳に口を寄せ、どすの利いた声で囁いた。
「……痛めつけてやる。精々苦しめ」
目を瞑り、体内の魔力を活性化させる。湿布越しに彼女の患部に手を当てて――ひと息に魔力を流し込んだ。
「ぐ――あああああ!?」
「……粉々に砕けているな。下手に動かしたら大惨事だったぞ」
悲鳴を上げる少女に淡々と声をかける。抵抗を受けながらもその体を掌握し、魔力の流れから容態を解析していく。……肋骨は完全に粉砕されていて、原形を留めていない。そのまま放っておけば碌な治癒にならなかっただろう。
だから、改めて形を整えた。
「ギ――――――!?」
声にならない絶叫。……それはそうだろう。身体の中で骨の欠片が勝手に蠢き、肉の隙間を泳いで集まったと思えば、元の形に戻ろうとおしくら饅頭を始めたのだから。その痛みは想像を絶する。
アーデルハイトは激痛に白目を剥いて、そのまま意識を失った。暴れたせいで頭巾が外れ、彼女の緑がかった髪の毛が露わになっていた。
「――――――」
大人しくなったのは楽でいい。作業がいくらかは気安くなる。
服の袖で少女の顔に浮かぶ汗を拭ってやり、次の手順に集中する。
……どうにかこうにか骨の形をこのままに押しとどめた状態で、さらに光魔法で治癒をかけなければならない。
治癒の霧を用いた時とは違い、この二つはベクトルの異なる作業だ。たとえるならパソコンでインベーダーゲームをしながら現実でも射的に挑戦するようなもの。右手と左手で別の作業をすれば可能かもしれないが、それだけに神経を使う行為に他ならない。
――――だから何だというのか。その程度の難事、これまでにいくらでもやりおおせている。
「わけもない話だ。――そう思えるようになりたいもんだな、ええ?」
手元に光が灯る。これより回復魔法を行使し、目の前の少女の傷を跡形もなく癒し、後日再び殺し合いを演じることになる。
恐らくはその後日も、そのまた更なる後日にも。
なんたる欺瞞。なんたる茶番か。
そのまま一思いに殺してしまえばいい。あるいは捨て置いてしまえば、いびつに骨の繋がった身体は戦うに戦えないものとなる。
所詮はあの馬鹿な竜騎士の娘だ。罪悪感など数年で薄れよう。
この娘を治してなんとする。己にとって、百害あって一利もない存在だ。
――――それでも。
「……子供は、殺さない。死なせない。……二度と。二度とだ」
下らない妄想を振り払う。
この身に賭けた誓いすら守れずして、一体他に何を守れるというのだろうか。
矛盾にまみれた自分を嘲笑い、俺は目下の作業に没頭した。




