目を逸らすな
なんたる迂闊。
なんたる慢心か!
今この瞬間がいずれ来ることなど、夜が明け日が暮れるように自明の理であったというのに!
呪わしい宿命は、今ここに結実したのだ。
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半島からエルフの住むパルス大森林を結ぶ東辺海航路開通の報せは、一年で大陸中に知れ渡った。そして二年目の今年、森林への航海に同乗して故郷に帰還しようとする外部のエルフが、ぽつぽつと現れるようになる。
それも当然だろう。今まで湿地帯を経由しなければ森林への帰還は叶わなかった。それが蜥蜴に食われることなく安全に森に帰られると聞けば、郷愁を刺激されるのも致し方のないこと。
中では第三紀にエルフの大陸大撤退から取り残された、長老級の大物までやってくる始末。あれはもうへりくだればいいのか普通に応待すればいいのか判断がつかなかった。
だが世の中そんな上手くことが運ぶはずもない。すぐにでも商船に乗って帰られると信じきり、取るものも取りあえず息せき切ってやってきた彼らに、俺たちは残酷な事実を突き付ける羽目になった。
――この航路、12月にしか開通しないんですよ。
観光地でよく見る光景である。期間限定公開だって言ってるのに、勝手に先走る阿呆は後を絶たない。
いやほんとすまんね。なにせ冬季の十日間くらいしか、東辺海は時化が収まらんのだよ。
膝から崩れ落ちた彼らの嘆きっぷりは、後日酒場の笑い話として大いに酔客を賑やかしたのだとか。
とはいえ、来てしまったものは仕方がない。冬が来てエルフたちが森に帰還できるようになるまで、当然彼らはハスカールに逗留することになる。
大陸ではエルフは少ない。さぞ肩身の狭い思いをしているかと思いきや、まるでそんなことはなかった。その魔法の才能と弓の腕、そして古代から伝わる知恵の数々は、エルフが独立して生計を立てるに充分な代物だ。むしろ人間の平民と比べて裕福な生活を送っている場合が多い。
早く来たもので十カ月近くの滞在になるといっても、動じずに宿代を一括支払いしてのける猛者もいて、その時は全員して目を白黒させたものである。
……つくづく思う。エルフという種族はぽっと出のプレイヤーに向いたものじゃない。知識と経験という、ニューゲームなんぞで身に付かない伝統こそが、彼らの強みなのではないだろうか。
そんなこんなで、ハスカールのエルフ人口はここ最近増加の一途をたどっている。具体的にいうと、宿屋がひとつエルフ専用として貸し切られました。
あの引きこもり種族のことだ。数人集まれば自前のコミュニティを作るのはわかりきっていたが、宿ごととは剛毅なものである。
彼らの言い分によると、のちのちになって大陸各地からやってくるエルフのために、快適な環境を整えておきたいのだとか。
彼らの言いたいことはよくわかる。彼には彼らの文化があり、下手に人間と混ぜると色々と不具合が生じるのは目に見えていた。たとえば菜食主義の彼らに普通の宿の食事を与えるわけにも――
「エルフも肉くらい食べるわよ」
「え、まじ?」
「マジで。イナゴの佃煮が名産な集落だってあるんだから」
……イメージ壊れるわー。
――傍らの借金王からお墨付きを頂いたので少々訂正を。
宗教観であったり死生観であったり、食事の作法や挨拶のタブー。その他もろもろの軋轢を避けるために、生活空間を区切るのは道理ともいえる。新婚さんが結婚後同棲してからお互いの不一致を自覚するのと同じだ。ましてや異種族なら推して知るべしである。
かくしてエルフはエルフの独立した生活区域を手に入れることになった。とはいえ、同じ種族で寮生活を営んでいるようなものだ。別々の部屋で寝起きし、エルフが作ったエルフのための食事をとり、談話室で大陸各地のエルフの現状を情報交換する。
森に帰る前の集合地点、それがエルフからハスカールに求められた役割である。
当然、エルフといえど裕福でない者もいる。大陸を横断して路銀を使い果たしたものもいれば、物取りにやられたり、政府の理不尽な徴発にあって私財を毟り取られたものもいた。
――生活の糧を得るために商いをしたい、との申し出が許可され、ささやかな商店が宿屋の隣に建てられたのは去年の新年のこと。
甘く見ていた。俺たちはどこか彼らを侮っていたのだ。
十人以上のエルフが経営する商店――その恐ろしさを思い知るのに、そう時間はかからない。
エルフの商店について小耳に挟み、次に猟から帰ってきた俺を出迎えたのは、村外から殺到してきた商人の群れだった。
「回復薬六人前!」
「かぶれに効く軟膏無いー?」
「この楽器に装飾よろしく!」
「弓! 弓! 弓!」
「この刺繍かわいいですね。売り出してみませんか?」
「うちの楽団で一曲どうです? 出演料は弾みますよ!」
万事が万事こんな感じである。
薬学、錬金術、魔法の知識に優れ、伝統的な装飾に関しては実用一辺倒なドワーフを上回る種族。芸術面では独特な優美さで大陸の富裕層人気を席巻しているエルフ。彼らと彼らの生み出す商品を目当てに、雲霞のごとく集まってくる商人商人商人。
特に半島近くの古都、芸術都市ハインツから出張ってくる連中が多かった。次いで多いのは王都貴族の御用商人。金持ち喧嘩せずというかなんというか、基本的に払いのいい客ばかりで大いに結構。まとめてカモにしてくれる。
当然、半島北部で戦士業を営む紳士淑女や、大陸西部の騎士団領の使いも買い付けにやってくるようになる。今一番人気なのは矢除けの護符。お手軽な値段に反して効果はなかなか。兜の裏側に張り付けておけば、直撃するはずだった矢が直前突風に吹かれて軌道を逸らし、役目を果たした護符はミサンガのごとく破れ散るという優れものである。
治安だけを売りにしていたのでは足りなかった。本当に経済の起爆剤となるのは、彼らが作るような特産品ということなのだろう。反省することしきりである。
村に到着したころは浮浪者とも見間違えるほどだった彼らも、持ち前の技術を駆使してあっという間に小金持ちにクラスチェンジを果たした。
――そして、この村も。
エルフ目当てに商人が集まる。彼らも手ぶらでやってくるはずがなく、引き換えになるような自慢の商品を手土産にしている。
売り手が増えれば競争原理が働いて物価が安くなる。安い財を求めてエルフ目当てでない商人もやってくる。
物が安く手に入り治安がいい土地と聞いて、移住を求めてただの一般人まで集まってくる。
――そう、人が集まってきたのだ。
このハスカールは、かつてない繁栄の到来を迎えることになった。
……だからこそ――――あぁ、だからこそ忌まわしい。
気付くべきだった。誰かが気付くべきだったのだ。
いや、本当は誰もが気付いていたのかもしれない。判断材料はいくらでも転がっていたのだから。
だが誰もが気付かないふりをした。目を逸らして、その先にある苦難を見て見ぬふりをしたのだ。
見えていたはずなのに……なんたる怠慢か。
例を挙げていこう。
鍛冶屋の隣に建った娼館。
酒場の裏にある蝋燭屋。
役場の向かいには荒くれの集う賭場が開かれた。
八百屋のはす向かいには靴職人の家族が住み、漁師小屋の近くに革職人が工房を構えた。
婆様の薬小屋の隣に建った演劇舞台。
雑貨屋のあった土地は衣料品店が華やかに店頭を飾っている。
傭兵たちが練兵所から長屋に帰るには、村の中心をほぼ横断する必要があり、通りがかった幼女に泣かれたと団員が落ち込んでいた。
目を逸らしてはならない。
誰かが指摘しなければならなかった。
手遅れになる前に、手を打つために、誰かがこうやって声を上げなければならなかったのだ。
――――この村、規模でかくなりすぎじゃね?
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「――これより、『第一回ハスカール区画整理対策会議』を開始します……!」
――Boooooooo!!!
黒板を背に怒鳴るように言い放った『鋼角の鹿』副団長に、満場一致で容赦ないブーイングが突き刺さった。




