とある少女の復讐
これは、夢だ。
自分は今、夢を見ている。
目の前に広がる光景を他人事のように眺めて、そんな感想を抱いた。
だってそうに決まっている。『この事件』が起きたとき、自分はまだ六歳で真横にある長椅子の背もたれにも背が届かないほどだった。だが今はこうして、十四歳の格好でこの場にいる。当然視線はだいぶ高くなって、あのときには見えなかったものに目が届くようになっていた。
成長した姿で、過去の場面にいる。――不思議な体験だが、それも夢ならと納得した。
「…………おとうさま」
小さな教会だ。
コロンビア半島、人間が居住可能な領域の北西部。内海を望む小高い丘に、その建物はあった。
レンガ造りの白い漆喰を施した、質素ながらも小奇麗な教会。年老いた神官が管理するその教会は、普段は閑古鳥が鳴いていて、それこそ結婚式や葬式くらいにしか人が集まらない。
そう、だから、この光景は葬式なのだ。
建物の中に並べられた長椅子。まばらながら黒ずくめに身を固めた数十人が集まっていて、ぼそぼそと小声で囁きあっている。
……きっと、その内容はろくでもないものに違いない。
良く晴れた日だ。夢だから気温まではわからないが、真夏も近づいていて汗ばむほどだったと記憶している。
それでも半島の夏は涼しいほどだ。父に付き添って行った真夏の王都は、炭火で炙られるような灼熱感を提供してくれていて、とてもつらかった。それに比べれば、この程度大したことはない。
ただ……今思い返してみても、あの時王都でともにいた父の顔をよく思い出せない。――いや、正直に言うと、最後に見た父の姿すら記憶が曖昧だ。
貴族らしく家を空けがちだった父の顔を覚えていないのは、仕方がないながらも薄情に思えて、自分が情けなくなった。
開け放った教会の窓から生ぬるい風が吹き込んできて、髪を揺らした。……清涼感など得られなかったが。
「――――――」
ゆっくりと歩を進める。長椅子の間を、石畳を踏みしめながら。誰かの横を通り過ぎるたびに、背中に突き刺さる視線が増えていくのを感じた。
……今の自分ですら居心地が悪いのだから、当時の自分からすれば針の筵だろう。逃げ出したい気持ちでいっぱいになる。
教会の祭壇の足元に、大きな箱がある。物々しい頑丈な作りの木製の長箱。――――あぁ、棺だ。
棺に手を触れて感触を確かめる。黒く光沢を放つ棺はひんやりしていて、どこか季節外れだった。
覗き穴はない。つける意味がないのだと、神官から聞いた。
なんでも、顔が完全に潰されていて、とても見られるものではないから、と。
……幼子に言ったところで訳が分からないだろうに、あの神官もむごいことを言ったものだと思う。もちろん自分も同様で、父の遺体がその中に納まっていると聞いてもまるで納得が出来なかった。
おとうさまはどこにいるの、と半分べそをかきながら神官に問うと、彼は困ったような顔をして自分の肩に手を置いたのだ。
「ハルトさまは、遠い所に行かれました。しばらくお会いすることはできないでしょう」
確か、そんな事を言われた。……心細さで胸がいっぱいで、あまり覚えていない。
「…………お父様――いえ、父上」
目の前の棺をただ眺める。全貌を見るには踏み台が必要だったあの棺も、今の自分から見れば随分小さく見える。不思議に思って、一人納得する。
……ああ、そうか。首がない分、棺の丈が短くなったのだ。
葬儀を取り仕切った執事がそんなことを言っていた。スタンピードの報酬が竜騎士に支払われず、逆に税収が減ったせいで家計に余裕がなくなった。それを先んじて予想していた執事が、倹約のために色々と切り詰めた結果、こんな片田舎で簡素な葬儀を上げることになったのだ。棺の長さもそのせい。
……そこまでなら美談に持って行くことが出来るだろう。だがあの執事は後日、辺境伯から支払われる年金を着服していたことが発覚して、この家を去ることになる。
誰かを処断するという行為は、自分にとってそれが初めてのことだった。
「アーデルハイト」
唐突に背後から声をかけられ振り返ると、そこには悲しげな顔をした叔父の姿があった。当時はまだ二十代半ばで、精悍な風貌をしている。
家督の関係で彼は竜騎士になることが出来なかったものの、その分兄を支えるのだと精力的に働いていた。父もそれを頼もしく思っていて、常に一緒に食卓を囲むほど仲が良かった。
「……我々の知行が、辺境伯預かりとなった」
「……そうでしょうね」
幼い自分は何のことか理解できなかったが、これは夢だ。代わりに自分が話を進めることに違和感は持たなかった。
「お前の成人を待ってから領地が返され、俺がその後見となる。次の竜騎士は、お前だ。……苦労を掛けてしまうな」
「それがお役目なら、是非もないことです」
「騎竜はどうにか差し押さえられずに留めることが出来た。将来の相棒だ、今のうちに触れ合っておくといい」
「それは……失敗だったかもしれないですね……」
あの時の叔父の台詞に思わず苦笑する。……馬鹿みたいに食費のかかるドラゴンを手元に置いていたせいで、ロイター家の懐事情は火の車となる。辺境伯の支援があったから凌げたものの、一時はその日の食事が潰した芋だけ、という状況にすらなったものだ。
それでもドラゴンを手放したがらないのは、竜騎士としての意地なのだろう。
「……納得がいかない。どうして任務を果たした兄が殺されて、俺たちがその煽りを食らわなきゃならないんだ……!」
「…………」
没落していく我が家をただ見ることしかできずに嘆く叔父に、自分は何も声をかけられなかった。
……父を殺したのは、スタンピードを生き延びた猟師だったのだという。
父は任務中に誤って民間人を焼き殺し、それを恨んだ猟師が報復として父を殺したのだと。
当然、この事実は隠されている。竜騎士が民間人に殺されるなど面目に関わる。表向きは父はスタンピードを首謀した魔族と戦った末に、名誉の戦死をしたということになっていた。魔族の首は城門の前に曝され、身を犠牲にして討伐を成し遂げた父には賞金と名誉が与えられた。
――それも、八年経てば使い切ってしまう程度の金銭に過ぎなかったが。
「アーデルハイト」
叔父が呼びかけた。その顔は怒りに染まり、今にも剣を抜きそうなほど。
……この光景は八年前のそれではない。ごく最近になって、彼は急に焦った様子を見せるようになったのだ。
証拠に、今の叔父の顔には、葬儀の時にはなかった口髭が蓄えられていた。
「仇を討とう」
「叔父上、それは――」
「討つんだ、俺たちが。……誰も顔に出さないが、あの猟師の命は他の竜騎士だって狙っている。先を越されたら、実際に当主を殺された俺たちの面子はどうなる? そうなる前に、俺たちが奴を殺すんだ」
「――――――」
今思えば現実味のない提案だった。件の猟師はその後傭兵団に所属し、傭兵団の拠点となっている村は今や急激な発展を遂げている。おまけに難民を支援し、安全な土地を見つけて新たな村をつくる――そんな、まるで豪族のような真似事を始める始末。当然、平民からの支持はうなぎのぼりだ。
そんな傭兵団の一員となった猟師を、難癖をつけて殺す? 反乱のきっかけになりかねない。
――――でも、それでも。
「…………わかりました。父上の仇をとりましょう」
夢の中の叔父に返答する。いつの間にか腰にあった剣を引き抜いた。
今の自分には、それしかない。
大義もなく、守るべき民もない。家名は人知れず貶められ、名誉は形ばかりしか残っていない。あるのは八年間磨き続けた戦いの術だけだ。
仇を討とう。報復に報復を返さなければ、名誉を取り戻せないのだと叔父は言った。
何も残らない中に、剣を向ける相手だけを示されたのだ。
あの猟師に。あの深緑の背中に、この剣を突き立てなければならない。
それ以外に、自分に与えられた道などないのだから。
ただ――
――――泣き虫ハイジめ。いい加減べそかくのをやめないと、怖い猟師がやってきてヘソをばくっと喰っちまうぞ。
「――――――っ」
ふと思い返す。益体もない妄想を。返せずじまいの借り物を。いつか見た、あの飄々とした後姿を。
――こんな私を見たら、あの人はどう思うのだろう……?




