羨む馬鹿と関わる馬鹿
「ずるい……!」
「…………」
酒場の食卓に肘をつき、頬を膨らませてイアンはいかにも不満げに文句を垂れた。子供みたいにがたがたと椅子を揺らすさまは、傍から見ても不貞腐れているとよくわかる言動だった。
五月の初めに半島に帰還し、昼食と一緒に今回の顛末を報告しての第一声がこれである。もう少し団長としての威厳を示してもらいたい。
「ずるいずるいずるい! ずるいぞお前ら! 謎めいた宝石! 隠された遺跡! 封印された邪悪な死霊術師! 復活する不死の王! 敢然と立ち向かう勇者たち!
俺がワイバーン狩りが終わって領都の祭典で貴族やら商人やらに挨拶回りしてるってときに、そっちはスリル満点の冒険活劇ってか!?
どうしてそんなおいしい場面に俺を呼ばないんだ、この薄情者っ!」
「馬鹿なことを言うな。俺だって死にかけたんだぞ」
まったくひどい言いがかりである。こっちはあわや斬殺されるところだったというのに。それに比べたら、お偉い様方にもてなされてタダ飯食らってるこいつの方がよほどいい身分だ。
……もっとも、そういう贅沢などより血沸き肉躍る英雄譚を好むこの男だ、こちらを羨むのは無理ないことともいえるが。
●
死霊術師が滅びたのを確認し、陵墓からやっとこさ這い出てきてからはそれはもう大変だった。
なにせ左肩から右腰まで通る刀傷である。不思議なことに傷自体の出血は見た目ほどではなかったが、鎖骨はもとより肋骨や腹筋まで斬られていた。
もちろん痛みは尋常ではない。ウォーセに背負われて運ばれる途中、何度も気を失うほど。道中エルモが何か言いたげに口ごもっていたが、失神のせいで結局聞きそびれてしまった。
朦朧とした意識の中、飛ぶように過ぎ去っていく景色を眺めていた。何日か日を跨いだのは覚えている。だがそれ以外の記憶は希薄で、ひたすら回復魔法で傷の悪化を防ぐことだけに集中していたのだ。
ウォーセに運ばれて着いたのはドワーフの地下王国だった。白狼が目印になっていたのか入国はすんなり済み、火山内部に踏み込むや否や拘束されて治療室に放り込まれた。
どうやら傍から見ても俺の容体は急を要すると察せられるほどだったらしい。
「光魔法は習得していますか? ……結構。なら治癒を途切れさせないでください。死にますよ」
冷淡に語りかけてきた医者の声は、驚いたことに若い女性のものだった。思わず医者の顔を見ると、ドワーフ特有の髭を綺麗に剃り上げた少女の風貌と出くわした。
……なんというギャップ。この顔に髭が生えて美貌が台無しになるのか。
ちなみに女性ドワーフのトレンドは髭で三つ編みを作ることで、髭を剃ることはむしろ一般的でないのだとか。彼女は職業柄清潔を保つために髭を剃らざるを得ないのだと後日語った。髭がないせいで男にモテないのだとも。カルチャーギャップ……。
さて、肝心の手術内容なのだが……きつかった。
なにせ麻酔を使ってくれない。無いのではなく、使ってくれないのだ。
理由を聞くと、これほどの傷を治すには回復魔法を併用するのが望ましく、そして現在それを使えるのは他ならぬ患者の俺しかいない。つまり術中、俺が意識を保って回復魔法を発動し続ける必要があるのだという。
ふざけるななんでそんなことになるんだと抗議すると、女医からドワーフに光魔法の適性がないんだから仕方ないでしょうと逆ギレされた。釣り上げた目の端に若干の涙が浮かんでいて、無性に罪悪感がわいてしまったのは秘密です。
「……大体、魔法の習得に関しては我々よりもあなた方『客人』の方が優れているのですよ? むしろ『客人』のドワーフは積極的に魔法を習得して国のため役立てるべきなのに、この国の『客人』はどいつもこいつも生産だ生産チートだとほざいて公共に協力しようともしない! まともにナイフも砥げないくせになにがテッポーですか! おまけにようやく定職に就いたと思ったらハナキンだのアフターファイブだのとわけのわからない言葉を口走って修行を怠ける! そんな有様で鍛冶を極めるなんてできるわけないでしょう!?」
……あー、うん。色々と済まんかった。
とにかく傷口にメスを入れたり薬品を塗りたくったり縫合したりしている間、ひたすらHPが危険域にならないように自身を回復し続ける。痛みには慣れているつもりだったが、モルヒネも無しに自分が刻まれる光景を目の当たりにするのは少々どころでなくこたえた。二度とやるかよ畜生。
ドワーフ驚異の技術力とはよく言ったもの。それは医学においても同様なのだろう。怪我人が大事に扱われたのは最初だけで、術後三日でベッドを追い出された。
治癒後は分解される縫合糸のおかげで抜糸は不要。回復魔法が再生力を治癒力を増進するのでスピード退院が可能となるのだという。患者に労働を強いる病院って何なんだ。まさか入院した五日後にウォラン王と謁見する羽目になるとは思いもしなかった。
……ドワーフの王様? 目つきの鋭いおっさんでしたよ。自ら討伐に参加したかったらしく、死霊術師が滅んだことを聞くと相当悔しがっていた。
●
「――で、褒美として武具を安く購入する権利を得たわけなんだが」
「おう! 一端の戦士ならだれでも夢見るドワーフ製の武器だ!」
そんなキラキラした目で見られても。
「……当然、制限なしに何でもかんでもっていうわけにはいかない。ドワーフも商売でやってるんだ。転売を避けるためにも人数分しか貰えない。予備はなしだ」
おまけに専用のロットまで振り分けられる始末だ。――S-ELK。これが傭兵団員以外の手にあることが発覚した場合、直ちに取引は中止。違約金を支払わされることになる。
購入と運搬に関してはノームに任せることになるだろう。あいつだって地下王国と繋がりが出来るのだから嫌とは言わないはず。
管理については……代理補佐に丸投げだ。
「とりあえず、試供品として一式貰って来た。今は鍛冶屋と爺さんが盾の耐久試験を――――」
――――ズン、と。
口上を遮り、腹まで響くような爆発音。屋根の梁からパラパラと埃が落ち、面食らった他の客が椅子から転げ落ちる。
騒然となる酒場の中、俺と団長は気まずい表情で顔を見合わせた。
●
「…………うむ。話にならんのう」
「おいギムリン。これっていいのか?」
「何を言うか師匠。儂らは新たな制式装備の耐久試験を任されたのじゃ。考え得る限りの衝撃を加えて何が悪い。そのために大枚はたいて黒色火薬をでっち上げたのじゃぞ。これが無駄などというなら、儂の年収分の硫黄代を返して貰わねば」
「その……かやく? ……それのふざけた威力はよくわかったんだがよ――」
「何やってんだ、お前ら……!?」
村はずれのひらけた浜辺に、何やら話し込むマッドが二人。彼らの目の前には、人一人ほども埋まりそうな深さのクレーターが出来ている。
走り寄るこちらに気付いたギムリンは、先ほどの気難しげな表情はどこへやらと、不審なほど朗らかな笑顔で呼びかけてきた。
「おお、団長! それにコーラルか! 見てみよこれを! 仕事のできんドワーフめ、とんだ不良品を送りつけてきおったぞ!」
「ふざけんなァ――――!」
団長はそれに絶叫で応えた。よたよたと力ない足取りでクレーターに近寄り、そこにあるであろうねんがんのドワーフシールドを探し出す。そして、
「あ――――あ、ぁあああああ……!」
そこには、見るも無残にぼこぼこに変形し、中央に大穴の空いた丸盾の残骸があった。
膝をつき慟哭する団長。……そんなに楽しみだったのか。
「……爺さん。何だってこんなことを」
「説明書きに『耐久性に絶対の自信あり』なんて煽り文句があってのう。それはつまり、『壊せるもんなら壊してみやがれ』と言われてるようなもんじゃろ? じゃから儂の知る最大の衝撃を与えてみたのじゃが」
「大砲の砲身並の耐久力を歩兵盾に求めるのは間違ってるだろう」
たしなめる意味でそういうと、ジジイはちっちっと指を振ってのたまった。
「甘い。甘いぞコーラル。ここはファンタジー世界じゃ。歩兵の盾にドラゴンブレスを防ぐほどの防御性を求めなくてどうするというのじゃ」
「そんなもん防ぐ前に蒸し焼きになるわ」
それにしても、この惨状をどうしたものか。
壊れた盾を地下王国に送り返して新品を請求するのは当然だが、破損した分の費用をどちらが持つことになるのだろうか。恐ろしい想像に身を震わせる。
払えない金額とは思わないが、そのあとの代理補佐の追求が面倒くさい。いっそのこと、しらばっくれて十日ほど山に籠ろうか。
そんな益体もない考えにふけっていたとき、背後から声がかけられた。
「――コーラル」
「あぁ、借金エルフか」
「やめてよね、そのあだ名」
エルモは不快そうに眉をひそめると、次いで気遣わしげな視線を向けてくる。
「……傷はもう、大丈夫なの?」
「おかげさまで死なずに済んでる。この点に関してはドワーフさまさまだよ。……途中でいなくなった薄情者は知らないだろうがな」
「それは悪かったと思ってるわよ」
地下王国から半島に戻る途上で、彼女は何故か別行動をとった。どこか寄り道がしたいからということだが、詳しくは知らない。
ハスカールに到着したのは一日違いだったが、これは彼女が健脚だったというより俺とウォーセがある村で足止めを食ったせいだ。何があったのか詳しく語るとややこしくなるのでここでは置いておこう。
「……リアルでの友達と会ってたの。掲示板で待ち合わせして」
「そうか。交友関係が広いのはいいことだ」
「彼女、ログアウトしたわ」
「――――――」
思わず、エルモの顔を見る。
ふう、と息をついて、エルフは五月の海を見回した。なんでもないことのように続ける。
「そりゃそうよね。やり直しのできる転生みたいなゲームのつもりだったのに、それをひっくり返す存在がいたんだもの。……下手をすれば現実の自分にまで危害が行くなんて、話が違うでしょう?」
「まあ、な。――VRなんて代物が現れれば、いつかは起きる問題だったともいえるが」
「そこは運営にしっかりしてもらいたいところね」
「あんなのを六百年も野放しにしていたあたり、それも望み薄だがね」
「そうね。――――でも、あなたはこうなることを知っていたんじゃないの?」
不思議と確信を持った瞳で、彼女は俺を見つめた。
「あなたはヴェンディルみたいなNPCが現れることを知っていた。違うかしら?」
「おおう。いきなり結論が飛躍してないか? どうしてそんなことを?」
「ただの直感よ。……でも、そうね。コーラルはあいつと出会ってからの行動に一切の迷いがなかった。あれがどういう存在で、何を目的としているのか、初めから知っているように見えたの」
「……なるほど」
いや、そうとしか言えない。
買い被ってくれるところ悪いんだが、多分気のせいじゃないだろうか。
いつぞやに出会ったカピバラは、死亡したプレイヤーのIDを拝借している、と言っていたから、ああいう手合いが現れることは頭の端にあったかもしれない。
だが、そんなものは前もって知っていたの括りに入れるものでもない。
「もっともっぽい推論だが、悪いね。――あんなのがいるとわかっていたら、こんなまぐれ勝ちで生き残ることなんてなかっただろうよ」
そういうと、彼女はなぜか俺の顔をじっと見てからふっと笑った。
「……それもそうね。まさかヴェンディルが、大魔法の制御に失敗して自爆した、なんてオウンゴール、狙ったってできないもの」
「いやまったくだ。とんだところで命拾いしたよ」
俺もあれを見たときは開いた口が塞がらなかった。
どうやら乗り移ったあとの身体スペックは宿主のものに準じるらしく、見ての通り能島氏のステータスは脳筋寄りだったようだ。
そんな身体でヴェンディルが死霊術師であった頃の魔術を全力で行使すればどうなるか。……答えは俺が身をもって知っている。
使おうとした魔法が特殊だったのか、ヴェンディルは爆散することなく脳を灼き切って廃人と化した。あとで来た調査隊の報告にも復活の兆しは見られないとあったから、奴は完全に精神を滅ぼしたのだろう。
……自業自得とはいえ、なんとも間抜けな最期だ。
今はもういない馬鹿者に思いを馳せていると、再びエルモから声をかけられる。
「ねえコーラル。……あなたは、今後もああいった人間が出てきたら、また戦うの?」
「戦うだろうな」
即答する。
不思議と、それだけは断言できた。
「本当は勝ち目がない相手だったでしょ? あなた自身が言うように、今回はただのまぐれ勝ちだったじゃない」
「そんなことはない。やりようはいくらでもある。……今回は、色々と絶体絶命だったが」
例を挙げるなら――そう。
あれだって脳は生きている。頭を潰せば動きは鈍るだろう。動き出す前にひたすら頭を潰し、四肢を磨り潰し続ければ、滅ぼすとはいかないまでも時間は稼げる。これを援軍が来るまで繰り返せばいい。
……問題は、その援軍に当てがないことだが。
言いよどみ思考に沈んだ俺を眺めて、エルモはふっと苦笑した。
「そう。……うん、わかった。
――――それ、私も付き合うから」
「――――――」
何を言ってるんだ、こいつは。
馬鹿みたいな台詞に言葉を失う。正気を疑うこちらの視線に、彼女はどこか怒った様子でまくし立てる。
「見てられないのよ。ボロボロになって、血にまみれて。貴方にあの墓から放り出されて、私がどんな思いをしたかわかる? ……正直、逃げられてほっとした。でもそれ以上に怖くなった。
あなたがあそこで死んで、現実の身体を乗っ取られてそれっきりで。もし現実で私とあなたがすれ違ったとき、あなたが実は私の知るあなたじゃなかったらと思うと。わけのわからない怖気が走ったのよ」
「有り得ない仮定だ。アバターと現実での体は違う。現実で出会ったところで、相手に気付かないだろう」
「それでもよ。一度一緒に旅をして、一緒にご飯を食べて、散々お喋りした相手が、知らない場所で知らない人間に成り代わられている。――冗談じゃないわ。理屈じゃなく思うのよ。嫌なのよ。……特に、それを自分が防げる立場にいたかもしれないと知っているなら」
理屈ではない。――彼女はそう言って息をついた。
「――――もう、見捨てない。あなたにだって、二度とこんなことはさせないんだから」
それは――――なんとも、いやはや。
下っ腹がむずむずする。頬が痒くなった。どうにもにやけ笑いが収まらない。
「…………あー。その、なんだ。
ゲームじゃなかったのか、これは?」
「ゲームよ、これは。だから全力で遊ぶし、ルール違反は絶対に叩き潰す。そう決めたの」
「勇ましいね。――――ふん、そうか。存外なかなか好い女じゃないか」
「…………。そうやって息をするように臭い台詞を吐くのやめなさいよ」
一瞬素で面食らったエルモが見れたのは収穫だ。してやったりとほくそ笑む。
……それにしても、なかなか気骨のあるやつじゃないか。その頑ななスタンスは俺と相容れないが、そういう人間が一人くらいはいてもいい。
だから――――そうだな。付き合ってくれるっていうなら、こう言ってやらないと。
「――――傭兵村へようこそ、新兵エルモよ。今後は俺がお前の上官だ。びしばし鍛えてやるから、覚悟するんだな」




