不死者の殺し方
不死者を殺す、とは大きく出たものだ。
第二紀に殺されアンデッドと化し、六百年を経た能島英樹の身体はリッチーに変異している。これを滅ぼそうというなら、Aランク以上の光魔法を行使しなければならない。
そして、ヴェンディルの鍛え上げた鑑定スキルは猟師のステータスを看破していた。……たかだか六年を過ごしたにしては高いステータス。だが光魔法はCランクと、ようやく退魔の光に手が届いた程度に過ぎない。
これで高位の不死者を殺す? まったく大言壮語も甚だしい。身の程知らずな不埒者は、リッチーの身体に一つの傷も付けられずに嬲り殺される。
その、はずだった。
「■■――――」
女が何事かを呟く。その体の中で何かが湧き出るような気配がした。それは体幹から彼女の左肩に位置を変え、
「ぐ、う……!?」
か細い呻き声が唇から洩れている。先ほど鎖骨を破壊した女の左肩。もはや動くことも叶わないはずの左腕が―――
「これ、は……!?」
蠢いていると称するのが正しい。女の左腕は、何か得体のしれない物に操られているような、中に蟲でも入り込んだような挙動で暴れ回り、彼女はそれをなすがままに放置している。そして、
「――――接続完了。うん、結局こうなったか」
「なん、なんだ、それは……!?」
わきわきと左手を動かし、女は一人納得したように頷いた。対しヴェンディルは目の前の光景を信じられない思いで見つめていた。
治癒ではない。光魔法が発動した痕跡はなかった。彼女の鎖骨は未だ砕けたまま。だというのに、どうしてこいつは平然と左腕を動かせる?
「何驚いてるんだ、不死者? 身体を動かす方法なんて、それこそお前が専門だろう?」
「く……ッ!?」
からかい混じりの口調に反して、同時に放ってきた斬撃は正確に断首を狙っていた。両手剣を盾にして受け止める。鍔迫り合いの重さは、とても重傷者とは思えないほど。
「う、おおおおおおおおおおおおっ……!」
「――――――」
力任せに弾き飛ばす。間合いを離したところで、猛烈な剣戟の応酬が始まった。
斬る、弾く、打つ、いなす、突く、躱す。思いつく限りの剣閃を試みる。
削り合う大剣と偃月刀。打ち合う度に手が痺れ、剣を取り落しそうになる。
魔法を撃つ暇はない。たった刹那の集中が致命的な隙となる。それをどちらも理解していた。
おかしい。
どちらも致命打にいたらない、守りを崩すための剣勢。それがおかしい
なぜ女は得物を取り落さない。なぜ動ける。
ヴェンディルの両手剣は彼自身が苦しめられた業物だ。打ち合うだけで相手のSPを消耗させ、しまいには枯渇させた上に回復阻害の呪いまで付与する。
本来の持ち主であった能島英樹の剣の腕は大したものではなかったが、この剣の能力が実力を引き上げていた。だからこそ死霊術師の討伐に参加できたともいえる。
だが、ならばなぜ。
ヴェンディルの鑑定は捉えている。彼女のSPはもはや尽きている。だというのに、なぜそうやって平然と動き回れる……!?
「――――はぁっ!」
「げぁ……!?」
剣を弾かれ無防備になった胸に、偃月刀の石突きが突き放たれた。容易く胸甲を砕いた一撃はヴェンディルの肋骨を粉砕し、壁際まで吹き飛ばす。
血泡混じりに咳き込みながら、死霊術師の脳は疑問で埋め尽くされていた。
尽きたSP、動く身体。――――そして何より、捌ききれない太刀筋。
もう二十合以上打ち合っている。能島英樹由来のカンストした両手剣スキルと受け流しスキルを持ちながら、未だあの太刀筋になれることがない。
ありうるのか、そんなことが。
まるで、あの女の繰り出す一撃は、その全てが初見のそれであるように、まるで慣れることがない――――!
「――――へえ。その様子だと、ようやく気付いたか」
甲冑を突き飛ばしたまま残心していた女は、男の視線に何を思ったのか唇を歪めた。
「けど、それだとヒントが足りないだろう? だから少しだけネタ晴らしを。
問題だ。ついさっきまでここにいたのは、どんな奴だった?」
「何を……ッ!」
愚弄する気か、と怒号を上げようとして、ヴェンディルは凍り付いた。
――あの女の隣にいたプレイヤーは、どんな風体だっただろうか……?
思い出せない。
顔も、背丈も、服装も、性別も。そもそも人間だったのか? もっと背が小さくてドワーフのようだった気もする。……ああ、種族すら記憶の中で判然としない。
そして、目の前の女も。
奴は名乗ったはずだ。確かにその武器を杖代わりにした体勢で、はっきりと名と身分を口にしたはずだ!
なぜ思い出せない!? なぜ記憶が無くなっている!? アンデッドが認知症など、罹るはずがないというのに……!
「……うぁ……わ、かつ、きぃ……」
「……驚いた。とっくに忘却の彼方だと思ってたんだが」
「なにを……私に、何をしたァ……!?」
血を吐くような絶叫。血走った眼を剥き出しにして、得物を肩に担いだ女の一挙手一投足を見逃すまいと凝視する。
女はつい、と偃月刀で弧を描き、軽やかな声で言った。
「――――忘撃」
「ぼう、げき……?」
「今作った言葉だ、覚える必要はないよ。……斬るたびに、打ち合う度に、わたしの魔力はお前の内部に浸透して浸蝕する。精神に――特に、お前の持つ記憶に貼りついていく。
洗脳はお前だってやるんだろう? それと同じだよ。――だけどわたしはお前みたいに、自分を増やすなんて悪趣味なことはしないんだ。
――――その記憶、真っ黒な虚無を塗りたくってやろう」
「ば――――!?」
馬鹿な馬鹿な馬鹿な。
なぜ、どうして。
どうやったらそんな芸当が出来るのだ。虚無とはなんだ。そんな洗脳など聞いたことがない。
――ああ、だが女が何を言っているのか、己の中身を意識すればよくわかる。自らの記憶、そのうち昨今のそれで重要でないものが、ぼやけて黒ずんで思い出せない。
「あ、あああぁああああぁあああ!」
力任せに斬りかかった。能島の習得しているスキルなど使う気になれない。否、使えるほど覚えていないのか? よくわからない。
今はただ、この悪魔のような魔術師を殺すことだけを考えていた。
早く。
早く殺さなければ。あれを消さなければ。
さもなければ、己の根幹にある物まで塗りつぶされてしまう――――!
――――あぁ、それでも。
「――――――稚拙」
斬りかかれば対応されるのは道理だった。打ち返されるのか、捌かれるのか、斬り返されるのか。どちらにしても彼女はヴェンディルに触れてくる。偃月刀で、拳で、膝で、あるいは頭突きで。
浸透してくる。彼女の魔力が、蜘蛛糸のようにヴェンディルの魂を絡めとり、貼りついて侵してくるのが感じられた。
そのたびにヴェンディルから記憶が失われていく。黒く、昏く、見分けがつかなくなっていく。
六百年の封印など、三撃で吹き飛んだ。
何かに追われた記憶がある。自分の前に立ちはだかった数人の人影。顔がまるで思い出せない。
国を創ろうと思い立ったのだ。理由は定かではないが、何かに怒りを抱いていた。
志を同じくする賢者との会話に胸を躍らせた。その志は、既に忘却してしまった。
死霊術に魅せられた。何かを喪失したからだ。再び会いたい人がいると必死に願った。――だれにだろう? たいせつなひとだったはずなのに。
思い出せない。思い出せない。思い出せない。思い出せない……!
剣を振り、腕を斬られ、鎧を叩かれ、腹を突かれ、脚を踏みつけられながら、彼の大元になっていたはずのものが見えなくなっていく。
ただ解かるのは目の前の女が敵だという一点。斬らなければ、防がなければ殺されるという一念が身体を動かしている。
――――あれ? 私は死ねる存在だっただろうか……?
「やめろ、やめろ、やめろやめろやめろやめろぉおおおおおおおおおおおォ――!」
なんだ。
なんなんだ、お前は。
一体どうして殴りかかってくるんだ。どうして乱暴してくるんだ。
やめろよ、やめて。やめてよ。
どうしてこんな――――あぁ、ひどい。
どうして。
いったい、僕が何をしたっていうんだ……!?
「おかあさん――――っ!」
「――――――っ」
獣のような咆哮が聞こえた。なんて恐ろしい。顔に傷のある女の人が、こちらに向けて走ってくる。
爛々と光らせた眼光に、幅広の槍を携えて。真っ直ぐに踏み込んできて。
「が、ぶ……っ!?」
胸にそれを突き立てられて、ヴェンディルは壁に磔にされた。込み上げる物を吐きだすと、とんでもない量の血が溢れていた。
偃月刀を胸に撃ちこんだ女は、びくびくと痙攣する男の身体に、まるで恋人のように寄り添って、
「――――言っただろう、心を砕き殺すと」
彼の額を、鷲掴みにした。
「ぁ――――a――――u――――」
黒い。
昏い。
闇が見える。闇しか思い出せない。
何も見えない。何も聞こえない。何も感じない。
浸蝕してくる自身のものでない何かが、ヴェンディルの記憶を、理性を、本能を埋め尽くしていく。
それをどう感じるかさえ、忘却の果てに塗りつぶされた。
●
「………………」
磔になった死霊術師は、虚ろに目を見開いてこちらを見ていた。
だがあれには何も見えていない。目の機能すら忘れてしまったのだから。
何を見ようと、何を聞こうと、何に触ろうと、彼はそれを理解できない。機械でいうなら、カメラでいくら撮影しようと、本体が読み込み機能を使用できない状態だ。
肺の動かし方すら覚えていないのだから、人間なら即座に死んでいる。だが奴は不死者だ。酸素を必要とせず、生命活動が行えなくとも存続が可能。
――それが幸福かどうかは、今となってはわからないが。
「――――ごふっ」
咳き込み、零れてきた血を吐き捨てて、改めて死霊術師をみやる。
……倒すには、Aランクの光魔法が必要、とのことだったが。
「不死の殺し方なぞ、他に十通りでも挙げてやる。
――――覚えずとも、焼き付けずとも構わない。そこでただ朽ちて逝け、ヴェンディル」




