犬との攻防戦
「ああーもう、何これ!焼きが回ったのかなわたし!」
そう言いながら頭を抱えていると、カツンカツンという音が背後から聞こえた。
「ん?」
音の聞こえるベッドわきの窓に視線をうつしよくよく見てみると、窓の向こう側で何かが跳ねている。
白い何か。
目を凝らしてみると、白い何かは二本の手のようなもので窓を引っかいているようだった。
白い毛並みの中央にある二つのつぶらな瞳が現れては消える。
しまいには、
『キャンキャン!』
という鳴き声が聞こえてきて、わたしはやっと気が付く。
「コータロー!?」
慌てて鍵を開け、窓を開くと、幸太郎が跳ねた勢いで飛び込んで来て、ベッドの上にのる。
『ミサキ!平気か!?怪我は!?』
「だ、大丈夫だけど、何で知ってるの?」
『体育館中大騒ぎなのが、グラウンドまで聞こえてきた。その後カズシがミサキ抱えてくのが見えて、追いかけてきたんだよ』
「そうなの?穂波君が……」
『それより、マジで平気か?どっか痛いとこないか?』
幸太郎は跳ねてわたしの肩に跳び、それから顔を覗きこんでくる。
「平気だって。ちょっとだけ顔がひりひりするけど……」
『マジ!?ちょっと見せてくれ!』
そう言いながら肉球がわたしの頬に触れる。
『ホントだ、顔、ちょっと赤いな』
頬に触れる肉球がぷにぷにして気持ちが良いなあ、でも土足だし、ひょっとしたら汚い?なんて呑気に思っていると、
『わっ、落ちる落ちる!』
と肩の上でバランスを崩した幸太郎がわたしの顔にへばりついてくる。
「か、顔にくっつかないで!」
幸太郎を引き剥がすとベッドの上にのせた。
『悪い!やっぱ、このカッコだと色々無理があるよな』
「まあ、犬だしね」
わたしがそう言うと、幸太郎はふて腐れたようにして、
『……犬じゃなかったら、あんな役カズシに譲ってなかった』
そう呟く。
「あんな役って?」
わたしが尋ねるとものすごく驚いたようにして幸太郎は身体をビクーッとさせる。
『き、聞こえてたのか?』
「だって、十分聞こえる声でしゃべってたよ?」
『そ、そうか、気をつけよう』
「うん?」
変な幸太郎。
今に始まったことじゃないけれど。
『ところでミサキ』
「ん?」
『その前髪の編み込みからカズシの匂いがするんだけど、何で?』
少しだけ戸惑いがちに、つぶらな瞳が見上げてくる。
「前髪?ああ、穂波君がわたしの寝ている間に髪の毛編んじゃったらしくて。だからじゃ――――」
いや、待てよ。
まさか、額に唇が触れたから前髪にも匂いがついたんじゃ?
そう考えた瞬間、
『く、唇が触れたあああ!?』
犬の叫ぶ声を聞いた。
幸太郎の黒い目がぐりん、と一回り大きくなる。
まずい、と判断したわたしは、
「ば、バカだなあコータローそんなわけないじゃん!手がくちっと触れたって考えただけ」
そう言い訳をするけれど、
『くちっと触れるってなんだ!無理があるだろ!』
逆に幸太郎に突っ込まれてしまう。
『つまり、カズシにキスされたんだな?』
小さな犬がずいずいとわたしに詰め寄ってくる。
愛らしい犬に詰め寄られても本来なら怖くはないけれど、目の前にいる犬はどどめ色の変な雰囲気を出して近づいてきているので、正直怖かった。
「しょ、しょうがないじゃん!されたものはされたんだから!それに額へのキスなんて、多分、深い意味なんてないよ!」
『ひ、開き直ったな』
「いやらしく考える方がいやらしいんだよ!やーいコータローのえっち!」
さっきまですっかり動揺していた自分を棚に上げて、こういうこと言ってしまうあたり、我ながら図太いと思う。
『ミ、ミサキ、そこまで言うのか』
「分かったなら、ちょっと離れてよね。昼まで少しだけ休むから」
わたしは掛け布団を整えると、横になれるように準備する。
『分かった』
と言いながらも、幸太郎はなぜか枕の脇にやって来る。
「コータロー、わたし横になりたいんだけど」
『横になれよ。そしたら、俺が額にキスするから』
「は、はああ!?何バカなこと……」
『バカなことじゃねーよ!カズシがキスしたなら俺もする!』
幸太郎は一足飛びに肩に飛んでくる。
「何その理屈!?ないない、通らないからそんなの!」
わたしは片手で幸太郎のわきに手を入れて引き剥がそうとするが、しぶとくしがみつかれて中々離れない。
『なんでカズシは良くて俺は駄目なんだよ!』
「あれだって、キスするよ、って言われてたら避けてたもん」
『じゃあ今からキスするとは言わないからな。勝手にする!』
ぴょーんと今度はわたしの頭の上にのり移る。上から仕掛けるつもりらしい。
「そうはさせるか!」
とわたしが手を伸ばすと、幸太郎は髪の毛に爪を引っかけて落ちないように防御する。
何この攻防。
何が悲しくて頭の上に犬をのっけて、キスさせないように頑張らなくちゃいけないんだろう。
加えて、重いわ折角編み込みをしてもらった髪はボサボサになるわ……。
『悪いなミサキ!』
そう言いながら、わたしの頭頂部の方から犬が顔を寄せてきたのが分かった。
「甘いよ!」
そう言って頭を揺すると、
『え?』
思いのほか勢いをつけて、幸太郎が飛んだ。




