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君のその髪


「え」


 颯馬の口から落ちた呟きが、堀家の居間に響いた。


「無月さん、その髪…」


 尚も続けようとする颯馬の口を、佐月が目にも留まらぬ速さで塞いだ。


「さぁ、颯馬はお兄さんと一緒にあっちの飾りつけしような!夏希!廊下の飾り付けは任せろ!」

「任せた!」


 堀兄妹の連携により、颯馬は一言も発することなく連行されて行った。

 無月はその様子を見届けると、隣の蜜華と日向に苦笑する。


「そんなに気を使わなくていいのに」

「まぁ確かに、あれはちょっとあからさまでしたわね」

「だが、あいつに髪の話をされると無月も困るだろ。全くどんな神経してやがるんだ」

「颯馬さんのこと、そんな風に言うものじゃないわ」


 無月が首を振ると、日向は心底不満そうに眉をひそめた。

 詳細は知らないが、大事な幼なじみを振った男なのだ。文句の一つくらい言わせてほしい。

 蜜華もそうだろうと促すと、予想に反し、彼女は冷静だった。


「そうですわね…でも、こればかりは無月様の問題ですから。それに、私も多かれ少なかれ、颯馬様のことは好意的に見ておりますわ」


 日向様もそうでしょう?

 穏やかにそう尋ねられ、日向の口はますますへの字に曲がった。

 

「…まぁ、悪い奴ではないとは思ってる」

「意地っ張りですわね」


 ころころと笑う蜜華と、不機嫌そうで、それでも満更でもなさそうな日向。

 あの日向がこんな顔をするなんて、と無月は目を細めた。

 惚れたが負けとは、よく言ったものである。


「完全に尻に敷かれてるわね」

「あの日向さんが……槙が見たら倒れるかも」


 夏希と一葉は、こそこそと囁き合って肩をすくめた。


「そういえば、肝心の槙さんはいつ来るの?入ってきたらクラッカー鳴らすんでしょ?」

「もうじき着くみたいだけど」


 佐月が焼き上げたパンの周りに、サラダとスープを並べていく。

 メインのチキンは既にオーブンの中でこんがりと温まっていた。

 一葉はふと、室内に視線を巡らせた。

 遠くから聞こえてくる佐月と颯馬の声。

 輪飾りを天井に留めながら、談笑している無月、蜜華、日向。

 そして、隣で鼻歌交じりに手を動かしている夏希。

 ふと目が合うと、彼女は不思議そうに首を傾げた。


「どうしたの?」


 一葉は、視線を外して、ミトンを取り、グラタンの位置を整えた。

 それから、なるべく何気なく聞こえるように答えた。


「皆が変わらず側にいてくれて良かったなって」


 夏希は眉を下げると、くしゃりと笑って一葉の頭を撫でた。


「当たり前でしょ!心配性なんだから」


 一葉から、兄と恋人になったと聞いたときには、正直なところ驚いた。

 二人の間にそんな気配など微塵も感じなかったから。

 あれほど側にいたのに気付いてあげられなかった自分が、少しだけ悔しかった。

 気付いていれば、もっと早くその背中を押してあげられたのに。

 苦しむ必要なんてないのだと、伝えてあげられたのに。

 夏希は暫く思い巡らすと、その考えを打ち消すように首を振った。

 いや、きっと、この二人はあれで良かったのだと。

 回り道をしたようだけれど、恐らく無駄なことなんて一つもなかった。

 苦しいことも、嬉しいことも、全ての経験が、これからの二人の糧になることだろう。


「幸せになりなさいよ。好きな人が自分のことを好きなんて、そんなの、奇跡みたいなものなんだから」


 一葉は、花がほころぶような笑みを浮かべ、一つ頷いた。


「そうだね。うん、こんなに幸せなことってない」


 彼を想うとそんな顔をするのかと、夏希は一瞬刮目したが、あえて指摘はしなかった。

 この先もずっと、親友の幸せな微笑みを隣で見ていたいと思ったから。

 代わりに、少し声を潜めて問いかける。


「ところで、無月さんと颯馬のことなんだけど、本当に颯馬が無月さんを振ったのかな?」


 これには、一葉も何とはなしに違和感を覚えていたので、一緒に首をひねった。


「私もおかしいなと思ってたんだよね。いくら颯馬でも、自分が振った人の短くなった髪を指摘するかな?」

「あの驚き方もなんか釈然としないっていうか。まさに青天の霹靂って顔だったし」


 そうして暫くの間黙って考え込んだが、結局は二人の問題かと息をついた。

 周囲はやきもきしながらも、見守るしかないのである。


「あー!誤解だったらと思うともやもやする!でも下手に口出しすると拗れるだろうし…!」

「暫く様子を見るしかないだろうね…」


 そのとき、玄関扉のカランカランという音が、廊下の先から聞こえてきた。

 追って、佐月と颯馬の声と、クラッカーの音が響く。

 一葉と夏希、そして、ちょうど飾り付けを終えた無月、蜜華、日向は急いで位置についた。

 各々、クラッカーに手をかける。

 そうして扉が開くや否や、楽しげに弾ける音が、部屋中に鳴り渡った。


「誕生日おめでとう!槙!」

 

 槙は驚きに目を見張ったが、面々を見回し、心底嬉しそうに、まるで幼い子供のように笑った。


「…ありがとう」


 少し震えたその声をかき消すように、背後から佐月と颯馬が背を叩き、その肩を組んだ。




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