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突入

 倉庫の中には、約二、三十人の男が集っていた。各々何らかの武器を携えている。服装はそれぞれだが、総じてとても品の良い集団であるとは判じ難い。この五番倉庫は、常から彼らの居城になっていたようで、内壁への落書きや、持ち込まれた派手なソファ等はかなり年季が入っているように見受けられた。


 日向と槙は、大きく開かれた倉庫の扉から、その集団へと歩みを進める。集団の端に、電話を取り出し、「い…いえ、男二人みたいです」と何処かに報告しているスキンヘッドを捉えた。

 槙の、人一人くらいなら容易く屠ってしまえそうなほどの静かな怒りが、あたりの空気を張り詰めさせる。そしてまた、対照的な日向の存在が、彼らに一際不気味な印象を与えた。歩みは軽く、しなやかに月光色の髪が揺れる。大きく色素の薄い瞳は、ゆらゆらと輝き、通った鼻筋の下の薄い唇は、緩く結ばれている。

 その姿に、誰もが見惚れた。シャツから覗く首も手首も、白く細く、なめらかだ。だが、ちらりと覗く鎖骨は、間違いなく男性のものだった。


 二人は、あと十歩というところで歩みを止めた。呆然と立ち尽くしている者、どうすれば良いのかと互いに顔を見合わせる者、実に様々であったが、皆一様にその場を動けずにいた。

 そんな中、日向は桜色の唇をゆっくりと開き、こう切り出した。


「俺が、藤泉院家の長子だ。約束通り、人質を出せ」


 そうして、そのまま妖艶に微笑む。

 辺りが、しんと静まり返る。

 何処からか、生唾を飲む音が聞こえた。見開かれた瞳は全て日向に注がれている。

 隣で見ていた槙ですら、そっと息を飲んだ。


「惚れるなよ」


 極小声で、日向は槙に、そう嘯く。不敵な笑みが、一瞬そちらへ向けられた。

 細い首筋から覗く、なめらかな肌に、不覚にも鼓動が早まる。


「何を馬鹿なことを言ってるんですか」


 そう、不機嫌そうにねめつけながら、槙は悟った。

 この人も、無月と同じ側の人間なのだ、と。


 現に今このとき、正常な判断能力を保っている者は皆無であった。明らかに男性の体格をしている日向が「女」を名乗る。そして、それに異議を唱える人物が誰一人として存在しないのだから。

 だが、これでいい。槙は周囲へ神経を尖らせる。何かが、炙り出されるはずなのだ。


 日向が、一歩踏み出した。すると眼前の群れは、一歩後退する。

 一歩ずつ、相手を追い詰めていく日向を、槙は見つめることしかできなかった。


 そして、日向は、問う。琥珀のような瞳は、先ほど通話していた男に据えられていた。


「人質は、どこだと聞いている」


 作り物めいた表情に潜む気迫は、相手の思考力を奪っていく。


「お、俺は何も…」


 哀れな男は辛うじてそう呟くと、よろよろと後ずさった。

 日向は舌打ちをすると、槙に目配せをした。これでは話にならない。不気味なほどに、呆気ない、と。


 そのときだった。


「何事かと思えば、春乃宮家の異端児じゃないか」


 そう、声が聞こえた。

 二人は、殆ど同時に振り返る。

 すると、扉付近に黒づくめの男が立っていた。

 歳は四十程、白髪の混じった灰色の髪を丁寧に整えている。身につけているものも、一目見て上質だと分かるものばかりだった。

 柔和な顔立ちをしているが、今その表情からは何の感情も読み取れない。


 一歩、一歩ゆっくりと近づいてくる。その度に、革靴の踵の音が響いた。


 槙は、日向の表情を盗み見る。この男は、何者なのだ、と。

 そして、息を飲む。見たこともないほどの無表情に。


「…お前が何者かは知らないが、俺を知っているということは、こちら側の人間なのだろう。俺はともかく藤泉院を敵に回して五体満足でいられると思っているのか」


 男は、薄く笑うと、肩を竦めた。


「何も彼女を害してやろうとは考えていない。少々協力していただきたいことがあるだけだ」


 日向は僅かに眉をひそめる。


「…その割に、汚い真似をこそこそと」

「この話を、藤泉院家の娘がそう易々と受け入れるとは思えないからな」


 そう言うと、男は懐から小銃を取り出した。


「『日向さま』も人質に取ろうか。リスクは大きくなるだろうが。だが、春乃宮家の跡取りといえど、たかが庶子。それも、薄汚い女優なんぞの」


 そこまで聞くや否や、日向は男の方へ一歩を踏み出した。だんっという音が遅れて響く。その瞳は、怒りに燃えていた。


 しかし、男が銃を構える方が早かった。


「動くなよ」


 そう、無機質に呟くと、男は初めて槙を一瞥する。


「あの娘は藤泉院家と血縁上の繋がりを持ってるだけではなかったのか。何故、あんな小娘のために春乃宮家の者が出向く。お前達兄妹は、何者なんだ」


 槙は、静かに男を見据えた。まるで、暗い湖面のような双眸。男は、得体の知れない不気味さに、身の毛のよだつのを感じた。照準を、僅かにずらし、槙に合わせる。


「お前はここで始末してしまってもいいんだぞ」


 相手を射殺さんばかりの勢いで捉えながら、それでも必死に踏み止まっている日向。

 そういえば、彼は一つ歳下だったか。そんなことを槙は考えていた。

 庶子、ということは愛人の子。そんな話は、無月からも聞いたことがなかった、とかつての記憶を探る。彼女は、知っていたのだろうか。


 我を忘れるほどの怒りを、そして、恐らくは悲しみを、ずっと飼い続けてきた彼に、誰か寄り添う者があったのだろうか。


 槙は、急に体の力が抜けていくのを感じた。

 日に焼けた、骨張った手を、何度か握って感覚を取り戻す。

 それから、不規則に震える細い背中を、柔らかく叩いた。まるで、母親が子供を勇気付けるかのように。


「日向さん、大丈夫です」


 任せてください、と口の中で呟く。

 日向は、打ちっ放しのコンクリートを見つめた。正確には、何も目に入ってはいなかった。自身の背に、温かさを感じる。燃えるような仄暗い感覚が、引いていく。震えていたこと、そして、手先が冷たくなっていたことにもようやく気がついた。

 こんなに感情を剥き出しにしたのは、いつ以来だろう。


 日向は、温かさの戻った拳で、槙の大きな背を叩き返した。もう、大丈夫だと。

 槙は、ほんの僅かに口元を緩め、男に向き直る。


「俺は、無月と関係を結んでいる。証拠なら、後からいくらでも見つかるだろう。妹は、彼女と直接の面識はない。人質を取るなら、俺にするべきだ」


 そう言うと、槙は一歩踏み出した。その言葉に、そして、その張りのある声音に、男の顔が強張る。


「お前が…?」


 その隙を、槙は見逃さなかった。相手との距離を、たったの二歩で詰める。それから、力の限り地面に叩きつけた。

 一度床面に衝突してから、なおも勢い余って転がる男を、槙は更に追った。その様子に、日向すら動けずにいる。

 男は、壁に背をぶつけるや、すぐに液晶に映る一葉の姿を槙へ向けた。

 瞬間、槙は立ち止まるより他ない。


 男はのろのろと壁伝いに立ち上がると、一度口に溜まった血を吐き出した。それから、再び槙へ向かっていく。


「動くと妹の無事は保証できなくなるぞ」


 槙は、男を冷たく見返した。その目を、男は睨めつけ、そして口元だけで嘲笑すると、彼の腹部を殴りつけた。

 重力に従い崩れ落ちる槙。うつ伏せとなった彼の脇腹を、男は更に蹴りつけた。

 もはや、男の目は日向すら映してはいなかった。


 ようやく落ち着いた日向も、二人の間に割り込むことはできない。人質の場所を知っているのは、恐らくこの男のみ。そして、この男の口を割らせようにも、人質のため強く出ることはできない。頭を使おうにも、今、自らの頭が使い物にならないことくらい、分かりきっていた。


「お前ら、何のために雇ったと思ってるんだ!早く加勢しろ!」


 男の呼び方に、先程まで彫像と化していた群れも、じりじりと動き出す。


 どうするか、と考える振りをしながら、全く回らない頭に、苛立ちが募る。

 あの兄妹を顧みず激情のままに全員片付けてしまおうか。その考えが浮かぶと同時に、自嘲した。

 今の自分に、そんなこと、できるわけがない。

 理由はつけられない。ただ、きっと体は言うことを聞かないだろう。そう、確信していた。


 日向を取り囲む輩は、手を出しかねていた。拳を叩き込むのは、やはり憚られる。まるで、神に背くかのようだ。

 しかし、その内の一人が、バッドを取り出した。そしてそれを、振り上げる。日向の側頭部に向けて。


 日向は、ゆっくり目を閉じる。

 脳裏に浮かぶのは、月の女神ではなく、美しい母の姿だった。


「日向」


 淡い空色の目を細め、波打つ金糸の髪を豊かな体に這わせ、そうして彼女は我が子を抱きしめた。


「日向、あなたがいてくれるから、私は何だってできるのよ。私、怖いことなんて、何もないわ」


 象牙のような肌に、花のような香り。

 春の陽だまりのような笑顔。

 晴れやかで優しい母の姿。


「日向、あなたは私の太陽よ」



 

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