07 薔薇色恋物語
三棟の案内はそれほど時間も掛からずに終わり、私はその後、すぐに副隊長室の片付けに取り掛かった。
副隊長室は、隊長室よりも一回り小さい部屋だった。
とは言え、部屋の奥に位置する机は両腕を伸ばすよりも大きなものだったし、椅子だって柔らかいクッションがついていて、ゆったりと腰掛けれるようになっている。
部屋に入って右手側には大きな棚が、左手側には小さなソファが置かれている。
前はこれより少し狭い部屋を4人で執務室として使っていたのだから、こんな広い部屋を宛がわれるなんて、出世したんだなーと思わずにはいられない。
さてと。
私は部屋の中に運び込まれている幾つかの箱に目を遣った。
前に所属していた第九部隊時代の持ち物の半分は捨ててきた。
指南書もほとんど置いて来たので、本当に必要な物しか持ってきていない。
箱を開き、中にある物を取り出していく。
キースは緊急の隊長会議が入ったとのことで、また後で来る、と言ってすぐに出て行ってしまった。
一人で片付ける方が気も楽なので、そのことに少しだけ安堵した。
キースと一緒にいれるのは嬉しい…だけど、それと同じぐらい辛いものがある。
諦めていた恋なのに、また好きという気持ちが大きくなっていく…
叶わないのが分かっているから、切なくて苦しくなる。
高地訓練でもこんなに苦しくならなかったのに。
恋って…キースって凄いなーなんかもう私、酸欠で死にそう。
という訳で。
どうせ荷物も多く無いのだから、キースが帰ってくる前に片づけを終えてしまおう。
勢い良く箱を次々に開けていき、机や棚の上にそれらを片付けていった。
半分は終わったかな、という所で、ドンドンと大きなノックが響いてきた。
「リリー!」
ノックと同時に扉が開く。
普通はさ、ノックの後に名乗って入って良いかを確認するだろう。
今日、キースに怒られた元凶とも言えるこの存在は、そんな常識は無いらしい。
扉を開いてずかずかと無遠慮に中に入って来たのは…
キースに「恋人なのか?」なんて聞かれたけど、互いにその気が全くない、オーヴェだった。
「入って良いなんて言ってない」
「聞いてないからな。それより、忘れもんだ」
オーヴェは悪びれる様子も無い。
私が文句を言おうと口を開く前に、一冊の本を差し出してきた。
忘れ物、と言って渡されたのは…前の部隊に所属していた時によく読んでいた甘酸っぱい恋愛小説だった。
その名も「薔薇色恋物語」だ。
これ読んでてよくオーヴェに笑われたので、表紙を「軍馬の血統」に差し替えたっていう。
「もう、捨てといてよ」
二年前に許婚が解消されてから、この本は読んでない。
この話の主人公のように恋を実らせることも出来ないから…空しさが半端無くて棚の奥に詰め込んだ記憶がある。
今後も読む気になれない本だ。
他にも色々と置いてきた本はあったのに…わざわざこれだけ持ってくるとか、厭味か。
「お前が置いてった本とか、全部売ってやろうと思ったんだけどな。その本は中に手紙が挟んでたから、持ってきた」
厭味じゃなかったのか!
というか、売るつもりだったのか!
道理で隊も別になっていたオーヴェが私の忘れ物を持ってる訳か。
オーヴェってこういう変にがめつい所があるというか…騎兵隊の副隊長で十分な給金貰ってるのに、こういう所は昔から変わらない。
差し出された本を受け取って、中を開いてみると…古びた紙切れが挟まれていた。
「…やっぱり、捨ててくれれば良かったのに」
許婚で無くなる前、騎兵隊に入ったばかりの頃にキースから貰った手紙だ。
リリに合いそうな馬を選んでおいたよ、って紙に書いてくれたのだ。
最後に「がんばって」という言葉を添えて。
頑張ったよ。
私は頑張ったんだ。
だから、副隊長にまで昇進した。
代わりに失ったものも大きい。
本当に欲しかったものを、失うことになったのだから。
「リリは魅力的だ。だから、きっとジレルダ隊長だってお前のことを…」
「何よ。いきなり優しくしたって…何もあげないから」
「せっかく優しくしてやったのに、そんな物言いしか出来ないのかよ。まあでも、今朝のお前のこと庇ったからな。今度、昼飯驕れよな!」
からかうように笑いながら、オーヴェが私の髪をぐしゃっと撫でた。
せっかく整えたのに!
髪を直していたら、再び扉をノックする音が聞こえてきた。
「リリ、俺だ」
「あ、ジレルダ隊長。ど、どうぞ!」
私が答えると、ゆっくりと扉が開かれた。
部屋の中にいる私とオーヴェの姿を見た途端、キースの表情が険しくなった。
オーヴェと一緒だとどうにもキースからの印象が悪くなりそうで。
やばい、と私の本能が告げてくる。
「どうしてブラント副隊長がここにいる?」
冷たい口調でキースが問いかける。
部屋の中の温度が一気に下がった気がする。
オーヴェも目が泳いでるし。
威圧感が凄い…さ、さすがは隊長。
「え、あの、手伝ってくれてたんです。部屋の片づけを」
答える私もしどろもどろ。
悪いことはしてないけど…二日酔いで挨拶っていう失態があるからなあ。
「第四部隊の者に手伝って貰わなくとも、俺が手伝うと言った筈だ」
「は、はい。すみません…」
「ブラント副隊長はもういいから、退室してくれ」
キースの冷ややかな視線に、オーヴェは一言も発することなく…
びしっと敬礼してそそくさと部屋を出て行った。
あいつといると、なんかろくなことにならない。
今も、問題だけ残して自分はさっさとこの場から逃げるし。
オーヴェが出て行って静まり返った部屋で、私はキースと向き合う。
逸らすことが出来ない、キースの真っ直ぐで厳しい目に少しだけ不安を感じた。