02 ご挨拶
「エーベル副隊長、これからよろしく」
差し出された手を、私は引きつった笑顔で握り返した。
「ジレルダ隊長、こちらこそよろしくお願いします」
二日酔いで頭は痛いし、ほとんど寝てないから意識も朦朧としていたはずなのに。
彼の手を握った瞬間、そんなことは消え去っていた。
数年ぶりにきちんと顔を合わせた彼は、相変わらずとても素敵だった。
キース・ジレルダ。
私よりも2つ年上の彼は、短い癖の無い黒髪に、綺麗な灰色の瞳をしている。
私は女性の中でも背が高い方なのだけれど、彼はそんな私より頭一つ分高い。
腕だって…そこらの男性よりも逞しい私の腕より、一回り以上太いし、無駄なく鍛えられた体躯は見惚れてしまう程だ。
言葉を交わすのも数年ぶりだ。
不覚にも胸がときめいてしまった。
…にしても、二日酔いで肌もボロボロ、目の下にはどす黒いクマとか作って、髪も悲惨な程にボサボサに絡まっている私に比べて…
あーもう、キースは彫刻のように美しい。悔しいけど、完敗だ。勝てる要素が何一つ無い。
「…エーベル副隊長は、昨晩…オーヴェ・ブラントと飲み明かしたと聞いたが」
「申し訳ありません。出世祝いにブラントが店に連れていってくれたので」
「今日は3棟の案内だけだから構わないが、明日から業務にも就いて貰う。今夜は飲み明かすことの無いように」
キースが冷たい目で私を一瞥した。
初日からこんな注意を受けるなんて…
情けなさすぎて、切腹でもしたくなる。
とりあえず、後でオーヴェのこと殴っとこう。
八つ当たりだけど。オーヴェならいいだろう。っていうか、オーヴェが悪い。
そんなこんなで、私は初日の大仕事、隊長への挨拶を済ませた。
緊張していた体の力が抜け、少しだけ気分が楽になった。
失礼しました、と敬礼して、隊長室から出ると…
廊下には楽しそうに笑うオーヴェの姿があった。
「オーヴェ、お前のせいで隊長に怒られた」
所属している隊の棟が隣同士ということもあるからか、オーヴェはわざわざ私をからかいに3棟まで足を運んできたらしい。
待ち構えてましたと言わんばかりのオーヴェに苛立ちが増す。
「リリが悪いんだろ?呑め呑めって」
不機嫌な私を、オーヴェは面白そうに見る。
そのにやけ顔が腹立つので、無駄に肩らへんまで伸びた淡い茶色の髪をぐいっと引っ張ってやった。
オーヴェ・ブラントは騎兵隊に入った当初から、何故か気が合った。
私の事情の全てを知っている友人だ。
二人でずっと鍛錬に励んできた、良き同僚でもあるオーヴェは先月、私より一足先に副隊長に出世していた。
私はキース・ジレルダ率いる第三部隊、
オーヴェは、フェリクス・ミルネス隊長率いる第四部隊に引き抜かれた。
なんか、一ヶ月しか変わらないなら…別に逆でもいいんじゃないの?と思わずにはいられない。
適当な人事しやがって!誰だよ!
「で、どうだった?愛しのジレルダ隊長は」
「からかわないで。もう関係無いんだから」
「もしかしたら、チャンスかもしれないだろ?同じ隊に配属されたんだから…もしかしたら…寝込み襲えるかもよ」
酔わせて既成事実作ればこっちのもんだろって。
最低だ、こいつ。
腹が立って仕方無かったので、脛を思いっきり蹴飛ばしてやった。
「痛いだろ!」
「あったりまえよ!どんだけ力入れて蹴飛ばしたと思ってんのよ!」
オーヴェの茶色の瞳が若干潤んでいる。
ははは、ざまあみろ。
昨日の恨みもこれでスッキリした。
「暴力的だな、リリは」
ツン、と小さな痛みが頭のてっぺんに走った。
振り向くと、オーヴェが私の髪を一本引き抜いていた。
「もう一回蹴られたいの?」
「いやもう勘弁」
あーだこーだとオーヴェと言い争っていると…
ゆっくりと目の前の隊長室の扉が開いた。
「ジ、ジレルダ隊長」
びし、と背筋を整えた私の前にジレルダ隊長が無表情で近づいてくる。
「何の騒ぎだ」
眉を顰めて私の顔を見てくるジレルダ隊長。
何とも言えない張り詰めた空気に、ちょっと吐きそうになる。
「すみません、俺がエーベル副隊長をからかったもので」
そんな私のことを察したのか、すかさずオーヴェが間に入ってくれた。
ナイス、オーヴェ。
全ての責任を被って私の代わりに怒られてくれ。
また今度、昼ごはん驕るから!
そんな意思を込めてオーヴェを見る。
オーヴェも分かっているのか、小さく頷いてくれた。
「…エーベル副隊長、こんな所で遊んでいる時間は無いだろう。3棟は俺が案内するから、すぐに用意しろ」
苛立った様子でキースが私に告げた。
なんか、さすがだなーなんて。
言い訳とかさせてくれないこの感じ。流石、隊長!
オーヴェに罪を被せることすらさせてくれないなんて。
「申し訳ありません。すぐに準備致します」
一つ敬礼し、私はすぐに駆け足でその場を去った。
「俺も職場に戻ります!失礼します!」なんて言って、オーヴェも足早に逃げてくる。
オーヴェのせいだ。
本当は案内なんて、別の隊員がしてくれることになっていたのに!
「悪い」
なんて片手を上げて去っていくオーヴェの背中に、私は自分の髪留めを投げつけた。
今日のこれからを考えると、二日酔いが悪化する。
吐き気がもう激しいのなんのって。
でも、ちょっとだけ…楽しみにしている自分もいて、何だか変な気分だった。