四月の皐月晴れ
「二週続けて、兄弟ワンツーあるかもね」
皐月賞に向けて、新聞を買って帰ってきてもらった。
「間違えたって新聞買ってこようかと思った」としんがり君はふざけている。ナイガイを買っていたらしいのだが、廃刊になってから新聞は買っていない。最近、私が愛読している新聞――といっても、名前は変わってしまったが――を一緒に読んでいた。
先週の桜花賞は、
「いつもよりサクラが少ない気がするね」といいながら、テレビを見ていた。
「兄弟ワンツーかぁ」
武兄弟のことをさしていた。私は、その二頭を軸に三連複を買っていたので、しんがり君にコメントをして欲しくなかった。コメントされることが嫌な予感だった。
「デムーロって、兄弟じゃないの? こっちの兄弟だったりして」
しんがり君は、そういってから不安そうにこちらをみた。私も一瞬黙って見返した。時刻は発走二分前。すでに投票は締め切られている。
「……こんな時間に余計なこといわないでよ」
結果はご存知の通り、デムーロ兄弟のワンツーだった。
「だいたい、こういうふうに買えない時間になってから思いつくことって当たるんだよね」しんがり君は自分で呟いておいて、愚痴っている。
そうなのだ。
いい思い付きは大抵、締め切られた後にひらめく。
勝つ馬を、または儲かる馬券を当てるために予想する。同じ新聞を読んでいても、違う予想になるのが、また面白いところだ。何に重きを置くかによって、予想は変わってくる。それでかまわない。だってGⅠなんだもの。本来どの馬が勝ってもおかしくない。そのフィールドにいる時点で勝つ可能性があるのだ。それだけ勝ち上がってきているのだから。
どこに重きを置くかで予想は変わっても、同じ情報をみているわけである。ほんの小さな情報も見逃さないように、目を皿のようにして端々の情報まで読んでいる。つもりなのに。純粋に(?)勝つ馬を、儲かる馬券を探しているはずなのに、見落とした上に、もう後戻りできなくなってから気がつく。
要するに、馬券を買うまでが勝負なのだ。馬券を買って、いざレースとなって、もうどうにもできなくなって初めて本当に純粋な予想ができているのではないか。だからそこまで気がつけないのだ。
「三頭だけにしようかなぁ」
明日も午前中仕事のしんがり君は、いつもより予想に身がはいらないようだった。しんがり君が気になる馬は、タマモベストプレイ、ロゴダイプ、エピファネイアとめずらしく人気どころだった。
「全然つかないんじゃない?」
「うん」と生返事をする。当たる気がしていないのだ。
私の予想でしんがり君とかぶっているのは、ロゴタイプだけだった。なんとなくあたるんじゃないかという気がしている。そろそろあたってくれないと困る。また春のGⅠ全敗となりたくない。
まあ、一月から一度も当たっていないので、当たらなくても『かする』くらいにはなりたい。関東では久しぶりの週末のお天気。できれば、締め切り前に、ちょっとしたひらめきが欲しいものだ。




