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とくべつの夏  作者: sanpo
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#5


     5


 目が覚めた時、サミュエルは一瞬そこがどこかわからなかった。

 梁が剥き出しの天井を見つめながら、セージと石鹸の匂いのする清潔なシーツの中でじっとしていた。

 やがて、ゆっくりと思い当たった。

(そうか。ここはクレイのコテージの……クレイのベッドの中だ。)

 どのくらい眠っていたんだろう? チェストの上の時計に目をやると4時過ぎ──夕方だった。

 とはいえ、紺と白のストライプのカーテン越しにまだ全然衰えていない夏の陽射しがキラキラ零れ落ちている。

 サミュエルが予想した通り、クレイの寝室はクレイ本人同様、素敵だった。

 屋根裏部屋で、床も壁も真っ白いペンキで塗ってある。壁にぴったりと寄せられたアンティークの猫脚の丸テーブル。その上に置かれたランプは白磁に藍色。ベッドの足元にはこれまたいい具合に塗料の剥げ落ちた年代物のリネンボックスがあってジィーンズと本が無造作に積んであった。ベッド自体は簡素で頑丈なクェーカー教徒を思わせる木製のそれだ。

(フェアじゃないよな?)

 真っ先に思ったのはそのこと。なるべく考えまいとしていたが。

 この心地よいベッドで眠る幸運に恵まれた奴は俺が最初ってわけじゃない。クレイときたら二言目には十番目、十番目って俺を苛めるのにさ。あいつにとって俺が何番目(・・・)かは教えてくれていない。

『おまえはどうしてついて来たんだ?』

 そう聞いたクレイの横顔をサミュエルは思い出した。

 初めて会って、この家にやって来た時に、クレイは知りたがったっけ? もっと具体的に言ってやれば良かったかな?

 あの時、もうどうなってもいいと思ったんだと。だから、ついて来た。たとえおまえが例の〝右足好み〟の連続殺人鬼でもかまやしなかった、って。

 するとサミュエルには鮮明に見える気がした。

『ひどいぜ』

 とクレイが目を細めて笑う姿。髪を掻き上げて彼は言うだろう。

『俺のこと、そんな変態だと思ったのかよ?』

 そしたら俺は答える。

『だって、浜辺で声かけてくる野郎なんかにマトモな奴いるわけないもの。違う?』

 ベッドの中でひとしきりクスクス笑った後でサミュエルは体を起こした。

 ところで、と。本物(・・)のクレイは今、何処にいるんだ? 

 カーテンがヨットのように風を孕んで揺れている。本当に愛する人と真剣に愛し合った後の幸福な眠りに堕ちる前に、クレイがそれを引いて静かに出て行ったのをサミュエルは見たような気がした。


 階下へ降りると、キッチンのストーブの上で鍋がコトコト湯気を上げていた。

 続くリビングルームのソファの中にサミュエルはクレイを見つけた。

 クレイもまたぐっすりと眠り込んでいた。投げ出された長い足の下には例によってスパーキィ。この頼もしい金色の守護天使はすぐに鼻をヒクつかせてサミュエルを見上げた。

「シッ」

 微笑んでサミュエルは唇に指を当てた。

「いいよ、スパーキィ。おまえのご主人を起こすんじゃない」

 サミュエルは廊下を抜けてそっと玄関のドアを開けると外へ出た。


 サミュエルはプレローズ屋敷に戻って来た。

 鍵を開けて中に入る。

 リビングルームの扉は意識的に目を逸らせてやり過ごした。まだ昨夜のおぞましい悪夢に真正面から対峙する自信はなかった。クレイと一緒なら別だが。

 自分の部屋に使っていた二階のメインゲストルームへ直行して、そこのチェストから最低限必要な衣類をバッグに詰め込む。

 当分ここへ戻るつもりはなかった。本気でクレイと同居しようと決めた。

 再び階段を降りて玄関へ向かう。

 リビングルームの前を通った際、両開きのドアの隙間からさっき気づかなかった何か──影のような塊──がチラッと目を過ぎった。

「?」

 妙な気がした。

 それが何であるのか気にかかって仕方がない。それで、もう一度よく見ようと、手に持っていたバッグでドアを押して、室内に足を踏み入れて、今度こそハッキリとそれ(・・)を見た。

 そこにあったのはエルンスト・オレンジの死体だった。

 首を絞められたらしい。不自然に折れ曲がった頭。喉の周囲に痣が残っている。昨日自分が絞めた際できたそれとは比べ物にならない毒々しい柘榴色。

 そして、何にも増して印象的だったのは、片足が──右足が切り取られている点だった。

 右足は膝から下がなくて、その真下の美しい床に丸く広がっている血溜りがまるで穴みたいに見えた。

 夜空に開いている石炭袋(コールサック)の口……宇宙の深淵……

 だから? そのせいで? エルンストの右足はすっぽりと奈落の底に吸い込まれたように見える。

「──……」

 どのくらいそこに突っ立って従兄弟の死体を見下ろしていたのだろう?

 サミュエルは突然身を翻すと一目散に屋敷を飛び出した。


 気づくと浜辺に立っていた。

 いつもの定位置の近く、熱い砂の中に倒れ込む。

「落ち着け、落ち着くんだ……」

 砂を握り締めながらサミュエルは自問した。

「アレはなんだった? エルンストだ。あのクソガキ、よりによって俺のパパの居間で殺されやがって!」

 殺される? そうだ、どう見たって、ありゃ、殺されてた(・・・・・)……!

 目の当たりにしたエルンスト・オレンジの死体にオーバーラップしてサミュエルの脳裏には新聞のグロテスクな見出しが次から次へと浮かんでは消えた。

 〝連続殺人鬼〟〝右足切断魔〟〝飛び石のように移動して行く犯行現場〟〝犠牲者は全員青少年男子〟……


 サミュエルが自分のバッグについて考えが及んだのは浜に駆け込んでかなり経ってからだった。

 エルンストの有様にあまりに衝撃を受けて取り乱していたので、居間にそのまま置き忘れて来たのだ。

 取りに戻ろう、と頬についた砂を擦り落としながらサミュエルは決心した。そして? それから? 

(警察に連絡しなければ……)

 父の電話を使って、あそこ、プレローズ屋敷から直接連絡するんだ。見た通りのこと、有りのままの事実を逐一報告する。それが第一発見者である自分の義務だ。

 馴染みの潮風に吹かれて多少なりとも冷静さを取り戻したサミュエルは勇気を奮い起こすと屋敷へ取って返した。

 ポーチに立って、ジィーンズの尻ポケットから鍵を引っ張り出す。手が震えているせいかポケットの縁に二、三度引っかかって少年は悪態をついた。

 漸く鍵穴に差し込んだところで、玄関に鍵をかけていなかったことに気づいた。思えば、後ろも見ずに飛び出したのだからこれは当然と言えば当然だった。

 リビングルームのドアも慌てて逃げ出したそのままに大きく開いていた。

 できる限り何処にも触れないように体を硬くして通り抜けるとバッグを探した。

 けれど、バッグは何処にも見当たらなかった。

「変だな?」

 声に出してサミュエルは呟いた。

「確かこの辺に落としたと思ったんだけど。クソッ、ここ以外の何処に──」

 だが、見つからないものは、実はバッグだけではなかった。

 改めて周囲を見渡してサミュエルは気づいた。

 勿論、見たいものでは決してない。でも……

 そこに、さっきは確かにあった、エルンスト・オレンジの死体も消え失せているではないか。

 

 再び襲い来る戦慄──



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