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とくべつの夏  作者: sanpo


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#28

     28


 サミュエルは静かに息を吐いた。

 息子との再会の夏を想定して綴られたロブ・プレローズの手紙はいったんここで終わっていた。

 その後に、明らかにもっと新しく、乱れた文字で続く一文があった。

 それはもはや手紙や伝言の類ではなくて自分を落ち着かせるために書きなぐったメモのように見える。


《 正直言って、今私は動揺してこれを書いている。

  昨日、3/13(火)、1995

  〈墓掘り人〉から突然電話があった。近い内に会いに来ると。会って話がしたいと。

  何てこった! あいつは私を見つけたのだ!

  20年以上たった今になって!

  呪うべき偶然。否、嗤うべき必然か?


  奴はよりによってこの島にこの春、別荘を購入したのだそうだ。

  そして、島の狭い通りで、不動産屋の車の窓越しに私を見つけたのだと。

  奴なら何処かエーゲ海の島にすべきだったのに。

  

  サントリーニ! クレタ! ミロス! デロス!


  島は山ほどあるって言うのに!


  それにしても、あの男の意図がわからない。

  私の方は彼の動静についてはある程度把握してきた。

  何故なら、今、彼は遠い異郷の街で出会った頃とは違って、

  広く名の知れた権威ある地位にあるのだから。

  この昔の馬鹿げた犯罪について、現在、彼自身はどう思っているんだろう?

  そのことについて私は訊いてみたい気もするが。


  私が引っ被ってくれて彼は感謝しているかも知れない。

  それとも、まさか、今更、積荷の引渡しを要求するだろうか?


  勿論、渡すつもりはない。


  これは、あくまで〈私の犯罪〉としてケリをつける。

  A・Rは発見し、掘り出し、計画し、解体・梱包し、送り出したが、

  盗み取ったのは私だ。今まで隠し続けたのも私なのだ。

  この場所──私が自分の口から教える予定の、私の息子以外に、

  ここへ至れる人間はいない。


  とはいうものの、もう悠長なことは言っていられなくなった。

  今年の夏こそ、サミーを呼ぶぞ。


  今、おまえは何をしてる、サミー? 早く来い!     》


 早く来い、の下に強く二本線が引いてあるのが印象的だった。



 サミュエルは黙って冊子をクレイと葵里子の方へ押しやった。

 それから、キャンプセットの椅子を引っ張り出して座るとテーブルに肘を突いて掌に顔を埋めた。

 そのままじっとしていた。

 ランタンの光がきつ過ぎると思った。

 強烈に眩し過ぎて目が痛い。目に滲みて、それで涙が止まらない。

 父は実際に〈墓掘り人〉=アンブローズ・リンクィストと会ったのだ。

 そこが何処で、その後どうなったか、今となってはサミュエルも正確に知っていた。

 冊子の最後のページを記した四日後の、三月十七日、父は〈S・S(スペシャルサマー)号〉の上で殺された。

 父がいつからそのヨットに乗っていたかは知らないけれど、どんな思いでその名をつけたのかはわかるような気がした。

「良かったじゃない、サミー」

 サミュエルは顔を上げた。

 ロブ・プレローズの〝時を超えた手紙〟を読み終えた写真家がまたしても訳のわからないことを言ってるな、と思いながら。

「これでハッキリしたわ! あなたのお父さんはあの変態教授の〈仲間〉なんかじゃない」

 涙を拭うことも忘れてポカンと口を開けたままサミュエルは葵里子の顔を凝視した。

「あなたのお父さんは違った。古代の美術品を盗んだ件では罪があっても、ある意味、彼は護った(・・・)のよ、これらが穢されるのを」

 葵里子は肩越しにクーロスを眺めつつ言うのだ。

「リンクィストの言いなりになっていたらロブ・プレローズは単なるオツムの軽い手下ってだけだけど、これだけは言える。あなたのお父さんの行為は……その基となった動機や衝動は……純粋で高貴なものだわ。本質的に教授とは違う。だって、あいつの手に渡っていたら犯罪の性質は全く変わってしまっていたはずだもの」

 クレイも即座に同意した。

 「葵里子の言わんとしてること、今回ばかりは俺にもわかる」

 読み終えた冊子をテーブルに戻しながら低いけれどよく通る声で言う。

「サミー、本当にその通りだぜ。だから──おまえは親父さんを軽蔑する必要はないよ」

 何と答えていいのかわからずサミュエルは湿ったジィーンズのポケットに手を突っ込んでボソッと呟いた。

「そうかな?」

「不思議よねえ?」

 像たちの方へ歩み寄りながら葵里子は言う。

「憶えてる? リンクィストは漁船の上で私たちに銃を向けながら言ったわ。『生身の美は亜流だ』。

 で? 彼の求めた〈真実の美〉がここのある……」

 顎に人差し指を置いて、私だってわかる、確かに美しいわよね、と写真家は頷いた。

「でも、肝心なことは、こっちこそ模倣(・・)だって事実よ。

 だって、この像たちが先にあったわけじゃ決してないもの。古代の芸術家だか職人だか──まあ、それは定かじゃないけど──クレタ人にこれらを造らせた原動力は、それこそ〝生身〟の人間……実在する〝愛する人〟が存在したからこそじゃない?」

 ここが最終目的でも到達点でもないのだ、と葵里子は考えていた。

「ねえ? 私はこのクーロスを通して、やっぱり基となった〝人間〟に思いを馳せるけどな。〝生身の肉体〟を恋焦がれるけどな」

 もうそこまで来るとクレイもサミュエルも何のことだかわからなくて返答に窮した。

 もどかしげに葵里子は舌打ちをして、

「チェッ、私が言いたいのは、まともな人間ならどっちかだけを取ったりしないってこと。こっちの〈創造の美〉を讃える人は、そのモデルとなった〈生きてる人間〉の方も心から愛するわ!」

 ふいに葵里子はクレイのコテージで半裸のサミュエルをカメラに収めようと焦っていた時、自分を襲った既視感の意味を理解した。

(サミーと何処かで会った(・・・・・・・)と思ったはずだわ!)

 サミュエルときたら、クレタ人が絶賛した若者たちとなんとよく似ていることか……!

 今、葵里子はハッキリとそのフレスコ画のタイトルを言うことができる。

「〈百合の王子〉……」

 夕焼けを背に、百合の咲き乱れる丘に立つ少年の図。

 長い黒髪を海風が吹き過ぎて行く……

 葵里子がこの絵を初めて見たのはUCLAの特別教室だった。

 スライドを指しながらエーゲ海に花開いた古代海洋民族の美意識について熱っぽく語るアンブローズ・リンクィスト教授の声。


 ── これは、クレタ島考古博物館14・15・16室に展示されているクノッソスの石棺の壁画だ。

   素晴らしいねえ?


(ええ、本当に。素晴らしいです、教授……!)

 してみると、クレイのコテージでカメラを構えていた時、既に私は意識下ではちゃんと真犯人(・・・)に行き着いていたのだ。

 教授の狂気がいつ、何処で、始まったのか、葵理子はその点についても考えてみた。

 漁船での彼は完全に狂っているように見えたが、出発点は一体何処だったのか?

 島を訪れた今年の春、ロブ・プレローズの姿を見て、いったんは失ったと諦めていたミロス島の若者たちを再び取り戻せると知った瞬間だろうか?

 それとも、あっち、乾いた風の吹く遥かエーゲの島々で、蘇った古代の都市を彷徨いながら彼の狂気は既に芽吹いていたのか?

(結局、今となっては誰にも知りようのないことだわ……)

 葵里子は頭を振って結論づけた。

(自分たちが唯一知っているのは──)

 リンクィストが単に刺青を手に入れる目的のためにだけ、カモフラージュの手段としてだけで、殺人を繰り返したのではないこと。

 エルンスト・オレンジはともかく、教授は明らかに自らの愉悦のために(・・・・・・・・・)それをしたのだ。

 洞窟の中の五体のクーロス……

 刺青を持つサミュエルまでの計五人……

前座殺人(プレマーダー)とか言ってたけど、今回の陰惨な事件はこれら美しい古代の若者を奪還する旅だったのかもね。右足を切り落とす時、教授はかつてエーゲ海の小島で白い裸体を切断した瞬間を追体験していたのかも……」

 葵里子は上着のポケットから封筒を取り出した。中の五枚の写真を彫像の足元に一つ一つ並べて行く。

「集めてきたのよ。今回の犠牲者たちの写真よ」

 そっと付け足して、

「ケニーのは私が以前撮ったもの」

 サミュエルは椅子から静かに立ち上げると航海日誌に挟んであった父の写真をその列に加えた。

 暗い洞窟。

 湿った風と鬼灯(ほおづき)のようなランタンの灯。潮の匂い。

「馬鹿野郎!」

 父に向かってサミュエルは言った。

「あんたは弱虫で能天気で救いようのないロマンチストな上に……大嘘つきだ! 待ってなんかいないくせに!」

 それが言ってやりたかった。一番言ってやりたいことだった。

「俺が今、ここを飛び出して、愛してるって叫んで抱きつきたくても、もうそこにはいないくせに! 何処にも……いないくせに!」

 いつの間にか傍らにクレイが立って、そっと肩を抱いてくれていた。

 少年がどんな時に『馬鹿野郎』と言うか知っているクレイ・バントリーが。

 彼自身は撃たれて死にかかっている時、それを言われた。

「〝ピノキオ〟が羨ましいよ!」

 サミュエルは彼流の言い方で更に続けた。

「羨ましくって仕方がない! 鯨の腹の中でちゃんと父親に再会したあのクソガキが! なあ、聞いてんのかよ、パパ?」

 潮が変わり、浮標(ブイ)が揺れ、海猫たちが喧しく騒ぎ出したら、

 夜の漁に出ていた漁船の、港へ戻るエンジン音が彼方此方で響き始めたら、

 海が空の後を追って黒から青へと変わったら、

 つまり、夜が明けて明日になったら。

 その時こそ父に代わって警察へ出頭しようとサミュエルは思った。

 写真家はともか──あの女はきっと逃げるだろうけど──クレイは一緒について来てくれるはずだ。

 そして、今度こそ洗い浚い全てを話すつもりだった。

 自分が体験した島の生活、〈特別な一夏〉のことを。

 でも、今夜は一晩中ここにいて、かつて父がそうしたように、唯黙って、美しい遺産を眺めていよう……

  

 


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