#22
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「わかったか? どんなに美しくともおまえ等は皆、腐っている。私はそんな穢れた肉体など欲しくない!」
肉の焼ける匂い。ライターの炎がサミュエルの右足の裏を舐めた。サミュエルは喘いで身を捩った。
クレイも同時に悲鳴を上げた。後ろ手に結わえられた縄に悪態をつきながら、よろけつつも数歩、進み出る。
それを見て教授はライターを放ると甲板に置いた銃を掬い上げた。
「そこにいろ! 動くんじゃない!」
銃口をクレイに定めたまま、床でのたうっているサミュエルの肩を掴んで一気に引き起こす。
改めて少年の耳元で囁いた。
「おまえの父親は最低のコソ泥だぞ」
火傷の痛みも忘れてサミュエルは聞き返した。
「何だと?」
「私はかつて一度、〈真実の美〉を手に入れた。だが、それをおまえの父親が略奪してしまったのさ」
「俺のパパがそんなことするもんか!」
「したんだよ」
首筋に息がかかるほど近くでアンブローズ・リンクィストは言うのだ。
「だから、その報いでああなった」
「ヨット事故のことを言ってるのか?」
「あれは事故じゃない。鈍いな、サミュエル? おまえの父親は殺されたのさ、私に」
何と言っていいのか、サミュエルには思いつかなかった。
目を見開いて、本当は見たくもない教授の、痩せて尖った顔を見つめ続ける。
一方、教授は少年の視線を春の陽光のように浴びてこの上なく嬉しそうだった。
「ロブ・プレローズは私から奪った〈財宝〉を独り占めにしてこっそり隠した。そして、その隠し場所の地図を、何を思ったのか息子の体に彫りつけたんだとさ! 傑作だろ? まあ、あいつは出会った当初からオツムの軽いイカレたお坊ちゃまだったからな。そんな奴に引っかかるとは、おまえの母親も差し詰め──見てくれだけが全てって類の淫売なんだろうなあ?」
少年の真っ青な瞳を覗き込んで教授は続けた。
「この春、例の時化の夜、サイアスコンセット沖で私もあのヨットの乗っていた。何と言ったっけ? そうそう、〈S・S号〉。
奴は簡単には口を割らなかった。だが、肉体上の痛みには耐えたくせに、息子の命は見逃すという交換条件に屈した。洗い浚い全てを私に打ち明ける気になったんだ。それなのに、皮肉なことだ! 少しばかり時間が足りなかった。全てを明かす前に奴は息絶えてしまったのさ。
強情を張らずもう少し早くネを上げていてくれたらこんな面倒はなかったのに……
おかげで、刺青の件は聞いたが肝心の──そこに秘められた意味、〈秘密の隠し場所〉については聞けずじまいだった」
クレイは思い出した。知り合った夜、サミュエルから聞いたロブ・プレローズの死に様──
『死体がさ、物凄かったんだって。見れたものじゃなかったって。海難事故には付きものらしいけど……』
「おまえがやったって? パパを切り刻んだ? あれを……おまえが?」
絞り出すようなサミュエルの声が甲板に響いている。
「自業自得さ! 奴は盗人なんだ!」
「違う! この変態野郎っ!」
サミュエルは華奢だが爆発的な瞬発力がある。
実際、エルンストの首を絞めて殺しかけたし、クレイの重厚な樫のベッドを引っくり返したこともあった。今度も、怒りで火の玉のようになった少年は体格で勝るリンクィストを弾き飛ばすと馬乗りになって押さえつけた。銀髪を掴んで数度、甲板に叩きつける。
「おまえは見たかったんだ、パパが苦しむとこ! 畜生! パパを傷つけて楽しんでいたな? 貴様は葵里子の言った通り、正真正銘の変態だ!」
「サミー!」
クレイも走り出す。一秒でも早く傍へ行って加勢したかった。
片や、葵里子、身を捩って大声で喚いた。
「銃よ! サミー! 早く銃を確保してっ!」
だが、遅かった。
虚を突かれていったんは少年に組み敷かれたリンクィストだったが、握っていた銃ごとサミュエルの横面を張って、甲板に殴り倒した。
「ここまでだ!」
後数インチで飛びかかれたはずのクレイを振り返る。銃口はサミュエルの乱れた黒髪の中に突っ込まれていた。
教授が荒い息を整える間、サミュエルの美しい漆黒の髪の中で銃も微かに上下した。
それは吐き気を催す、ゾッとする光景だった。
「安心しろ」
最後にアンブローズ・リンクィストは言って、微笑んだ。
「右足は死後、丁寧に切り落としてやるからな。私は潜水のみならず解体のベテランでもあるんだ。勿論、私の旅の完結を祝って、ケニー並みに裸に剥いてから……」
こいつは喋り過ぎる。サミュエルはうんざりだった。職業病かも知れないけど。
「楽しみだろ、サミュエル? おまえだって死体の方がずっと美しいって知ってるか? 今のおまえの美を損ねている低俗な肉欲から私が開放してやろう」
リンクィストは二、三歩サミュエルから離れた。
皮膚にくっけて撃って、おぞましい火傷の痕を残したくなかったのだ。
殺すくらいには充分な距離を開けて立ち、腕を伸ばして少年の胸に照準を合わせた。
チラッとクレイと葵里子を肩越しに見る。
「おまえ等にも見せてやろう。この子の〈真実の美〉を!」
そして、教授は引き金を引いた。
サミュエルは反射的に目を閉じた。
次の瞬間察知したのは、乾いた銃の音と、その軽い音の割に重くて鈍い衝撃だった。
サミュエルは弾き飛ばされて体ごと舷縁にぶつかった。
打ち付けた耳の後ろが燃えるように痛い。それから、さっき焼かれた右足の裏も。だが、それ以外は何も感じなかった。
口の中に広がる血の味。頬の内側を噛んだせいだ。で、弾丸を喰らった胸は──心臓はどうなった?
目を開けて、初めて知った。
甲板の上を血が滑って流れ始めていて、自分の足の上にクレイの体がある。
クレイは重かった。いつもそうだが、今は特に重いと感じた。
「クレイ?」
サミュエルは続けて名前を呼んだ。
「クレイ……クレイ……クレイ……」
三回目くらいで気がついた。
クレイは銃が炸裂した瞬間、突進して来て、自分に覆い被さってくれたのだ──
「クレイ!」
脇腹の下で血は見る見るドス黒くなって行く。
サミュエルは傷口を押さえた。他には何も思いつかなかったから。
薄く目を開けてクレイ・バントリーが言ったこと。
「これじゃ……リッキーに……怒鳴られちまう……」
即座にサミュエルは理解した。リッキーの時は庇えなかったんだもんな?
「クレイ! 馬鹿野郎っ!」
「どいつもこいつも……」
リンクィストは目を血走らせて喚いた。
「そんなに生身がいいのか? 下種どもめっ!」
再び指が引き金にかかる。今度こそ少年の心臓を狙って。
「やめてーーーっ!」
葵里子の絶叫。
予想もしなかった大きな揺れが船を襲ったのは、まさにその時だった……!
船首がググッと反り返って、一挙にガクッと落ちた。船尾肋板から真っ白な、ブリザードのような波飛沫が砕けて、甲板のクレイの鮮血を一瞬で何処かへ浚って行った。
衝撃でサミュエルはクレイの上へ倒れこむ。葵里子は仰向けのまま、開きっ放しだったドアから操舵室へ転がり落ちた。リンクィストも膝を折った格好で前につんのめった。
この、突然の嵐の正体は──
鯨だった。
七月の大西洋上、漁船〈アイランダー号〉の舳先を掠めて巨大なザトウクジラが浮上して来たのだ。
夢のように美しい光景がそこにあった。
空に浮かぶ月は満月。
その光のせいで鯨の巨体も、海原も、空も、全てが錫色に滲んでいる。
操舵室のドアから顔だけ出して葵里子は、今、この瞬間カメラを手にしていないことを心から悔しがった。
(もうっ、一世一代の写真が撮れたのに……!)
毎年、夏を島で過ごして来たクレイでさえ、これほど間近で鯨を見た経験は数えるほどしかない。
(そう、これで、二回目だ……)
前回、鯨を見た日。クレイは吃驚して父のヨットから転げ落ちてしまった。同船していたラルデッリの叫び声。白いビキニを着けた母が飛び込んで掬い上げてくれなかったら溺れ死んでいたろう。
(と、すると? 鯨は俺にとって〈死の使い〉なのかな……?)
あの美しい海洋生物と自分の死の距離がいつも比例しているようにクレイには思えた。
止血のためにずっと脇腹を押さえていたサミュエルの手が離れたのはその時だ。
「?」
血に染まった少年の手が宙を切って行くのをクレイは薄れる意識の中でぼんやりと見ていた。
月光の下、唯一際立っているあの色は、かつて特別だった色。
教会の尖塔、秋の木の葉、少女の背負っていたバックパック、それから、それから、何だった?
そう、あれ、最初の恋人の髪の色……
真紅の手が漁船の綱巻上げ機の真下に落ちていたマグナム・リボルバーを拾い上げた。
我に返ったアンブローズ・リンクィストが起き上がると全力で突進して来る。
サミュエルは躊躇しなかった。
勿論、銃に触れるのは初めてだったが。刺青同様、ママが許すはずがない。こんな不良の真似。
だが、この場合、仕方ないじゃないか……!
弾倉に残っていた全ての弾丸をサミュエルは飛びかかって来るリンクィストの体にぶち込んだ。




