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とくべつの夏  作者: sanpo
17/30

#16


     16


 翌朝、早くからクレイは電話をかけまくって島内の友人の一人から船を借り受けるのに成功した。

 船は漁船だった。持ち主の青年が従姉妹の結婚式で数日島を離れることになり、当然漁には出ないので舫ってあるという。(島でこの時期、クルーザーやレジャーボートの類を予約なしに借りられる幸運など期待すべきではない。)

 クレイは、自分の車を島へ持ち込んではいなかった。島内の移動は徒歩か自転車で。それがバントリー家の家訓だったから。

 そういうわけで、その朝、ポーチに立て掛けてあった徹底的に使い込まれた水色の自転車に乗ってクレイは出かけて行った。

 葵里子はサミュエルを愛車のコンバーチブルの助手席に積んで、まず専門店に寄ってスキューバーダイビングの用具をレンタルした後、昨夜、三人で命名した〈刺青の入江〉を目指すことになっている。

 珍しくスパーキィは番犬という本来の任務を与えられてコテージに残された。スパーキィは船が苦手だったせいだ。彼はひどく船酔いをした。


 立ち寄ったダイビング用具の専門店は、言うまでもなく〈ジェフ・ペッカーの店〉である。

 サミュエルは初めてゴミ袋を下げていないペッカーを見た。

「やあ! 君はクレイの友人だね? 知ってるとも! この間も一緒に清掃活動に協力してくれてた……」

 この朝のジェフ・ペッカーはバミューダパンツにドラゴン模様のアロハシャツ。この格好にもかかわらず──やはりハンサムだった。誰かに似ているな? サミュエルは考えた。

(あ! 〝追いつめられて〟のケヴィン・コスナー! ママがファンなんだよな……)

 ママが島に来てなくてよかったと初めてサミュエルは思った。ペッカーは悪い人ではないけれど、万が一にも〝お父さん〟と呼びたくはなかった。こんなシャツを着る人を。

 ダイビング用具には全てステンシルの啄木鳥が刻印されていて、料金は言うまでもなく20%オフだった。

 何処へ潜るのか、頻りにペッカーは知りたがった。

 サミュエルが場所を教えると明らかにショックを受けた様子で首を振った。

「そりゃまた……変わった場所を選んだもんだな? あの辺りには何も見るべきものはないぞ。考え直しちゃどうだい? 僕なら、もっと素敵な秘密のスポットを特別に教えてあげられるけど?」

「じゃ、この次には、ぜひお願いします」

 サミュエルは〈浜辺の番人〉が気分を害さないように丁重に辞退した。


 入江には葵里子の車の方が先に着いた。

 ダイビングセットを引きずり下ろして桟橋で待つこと四十分。バースディケーキの蝋燭のような白い灯台を乗せた岬をグルッと廻ってクレイの乗る〈アイランダー号〉はやって来た。

 全長三十フィート。白と群青色の美しい刺し網漁船で、キャビンは船体中央やや船尾よりにある。

 クレイがこの種の操船技術を習得していることについてサミュエルはさほど驚きはしなかった。

 何と言ってもクレイ・バントリーはマサチューセッツの当島に別荘を持つボストン在住の医師の子息なのだから。自分があからさまに父を嫌っていてついでにヨットを憎悪しているのを知っているから敢えて口にしないだけで、きっとヨットだって操るんだろうとサミュエルは踏んでいた。


 三人で目星をつけた海域──実際の計算は全てクレイが一人で行った──へ波を蹴立てて進む間にサミュエルに代わって葵里子が質問してくれた。

「いつ、何処で、誰から、船の操縦を習ったの、クレイ?」

「この島で、父親から」

 と言うのがクレイの返答だった。

「俺たち、充分時間があったからさ。夏に男二人っきりで海しかない場所で他に何をする? それで、海に関わることは大抵、何にでも手を出したよ」

「男二人っきりって、お母様はどうしたのよ?」

 写真家と来たら飽くことを知らない。ハイエナのように容赦しない。

「そう言えば、今年、お父さんは新婚旅行だって言ってたわよね?」

「俺の母親は死んじまったんだ」

 操舵室には入らず、一人(とも)の甲板にエアタンクなどと混じって(うずくま)っていたサミュエルはハッとしてクレイの背に目をやった。舵を取っているから当然と言えば当然だがクレイは真っ直ぐに水平線を見つめて話している。

「肺癌だった。俺が四歳の時」

 もっと言えば、それは、海で溺れた翌年の晩夏。

 溺れたことは鮮明に憶えているのに、その次の年の、臨終の母の記憶が一切ないのは何故だろう?

 そのことがクレイは不思議でならない。

 最後の夏、ケイト・バントリーはもう大好きな海へ出るほど体力が残っておらず、代わりに海を見て過ごした。バスルームや炉端に彼女が集めた海の色をした美しいタイルを少しづつ貼ったりしながら。それで、母のことをほとんど憶えてないにもかかわらずクレイはあのタイルを見るといつも少し悲しい気分になる。

 サミュエルはそっと身動(みじろ)ぎして潮風に髪を嬲らせた。


「じゃ、がんばってね!」

 エアタンクを背負い終えたクレイとサミュエルに向かって衣通葵里子はにこやかに手を振った。

「なあ?」

 水中眼鏡を引き下ろす前に我慢できずサミュエルは訊いてみた。

「どうして俺とクレイ(・・・・・)なんだ?」

 今朝、ペッカーの店で用具を二つしか借りなかった時点で嫌な予感はしたが。

 サミュエルは咳払いをした。勿論、潜るとしたら、絶対、バディはクレイを選ぶ。が、それとこれとは話は別だ。いつもいつも司令塔はこの女で肉弾は自分たち。そこのところが気に食わない。

「あんたはどうして潜らないんだよ?」

 西海岸に住んでいる人間は全員マリンスポーツの心得があると信じきっている無垢で単純なティーンエイジャーのこの言葉に葵理子は猛烈に腹を立てた。

 どうして潜らないか? 答えは明白ではないか。潜れないからだ。

 実は葵里子もスキューバーダイビングのスクールに通った経験はある。

 日本から遥々やって来て西海岸に腰を落ち着けたばかりの頃、カリフォルニア湾に生息するイルカやマナティを撮るのも悪くないと真剣に思った。けれど、どうしても、あの息を吐き出すところ、何でもない誰にでも簡単にマスターできるその段階をクリアできなかったのだ。

 この事実はひどく写真家のプライドを傷つけた。

 LAに住み、毎日海を見て暮らしているというのに私は潜水は一生できないのだ。あの美しい世界に門前払いされたような惨めな気分──

「どうして潜らないか、ですって? 私は潜るのが嫌いだからよ! 私は常に上昇するって決めてるの! わかる? だから、海だろうと空だろうと下降(ダイブ)なんか金輪際まっぴらよ!」

「ったく」

 これだから芸術家は嫌いだ。レギュレーターのマウスピースを咥える前に少年はこっそり毒づいた。

「地獄へ墜ちろ……!」

 クレイとサミュエルは二人して体を反らせて、まず空を見上げその青を確認した後、そのままもっと濃い海面(あお)へ突入した。

 ところで──

 二人が懸念したよりも事態はずっと容易に運んだ。

 さほど深くない入江の海底、水深約四〇m辺りに二本マストの帆船(ケッチ)が沈んでいるのをクレイとサミュエルは潜水を開始してほどなく発見したのだ。



 

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