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とくべつの夏  作者: sanpo
16/30

#15

     15


 クレイは息を飲んだ。

 すぐには言葉が出てこない。体の方が先に動いた。砂を蹴って突進した。

「?」

 サミュエルが吃驚して振り返る。が、間に合わない。

 次の瞬間、二人は一緒に砂の上に倒れた。

 クレイに組み付されたサミュエル、腕に中で頬を染め、形ばかりの抗議をした。

「何だよ? 大胆だな? ファイヤーアイランドじゃあるまいし……」

 一方、クレイ、少年を押し倒したまま葵里子に叫んだ。

「見ろ、葵里子!」

「見てるわよ」

 写真家は呆れ顔で首を振って、

「でも、私、そんなの撮るつもりないから。それはハーブ・リッツがやっちゃってる。2番煎じはプライドが許さないわ」

「馬鹿野郎っ、違うったら! 足だ! サミーの右足……見ろ!」

「あ!」

 葵里子の短い叫び声。

「え?」

 サミュエルも身を捩ってクレイの下敷きになっている自分の右足に視線を走らせた。

 何とそこには、鮮やかに濃紺の刺青(タトゥ)が浮き上がっているではないか……!


「ほらな?」

 陽射しに目を細めて──これぞサミュエルの絶賛する〝黄金の微笑〟──クレイは言うのだ。

「俺の言った通りだろう? これ(・・)は刺青だ。俺の見て来たヤツだ、これこそ(・・・・)が!」

「こんなの俺、知らない。それに──」

 クレイから体を離すと座り直したサミュエル。今やつくづくと自分の足の裏を凝視している。

 写真家が少年の言葉を補った。

「それに、前に見た時はなかったわよ。それこそ影も形も、全然……」

 葵里子は少年の上に身を屈めた。

 暫くして、顔を上げると指摘した。

「ハハァ……これ、〈隠し彫り〉ってやつかも。聞いたことがある。何か、熱とか、または冷やしたりとか、要するに特別の刺激を与えると浮き上がってくる凝った仕掛けらしいわ。それにしても──面白いわね? どこでやってもらったの? やっぱり西海岸?」

「知らないって言ってるだろ!」

 少年は困惑して繰り返すばかりだ。

「俺、こんなの知らない。ママはこの手の真似、大っ嫌いだから絶対許しちゃくれない。俺自身、刺青を彫りに行った記憶もないし……」

「それだ!」

 クレイは即座に思い当たった。

「おまえのママさ、憶えてるか、サミー? 初めて会った夜、おまえ俺に教えてくれたよな、両親の離婚の原因について」

「え?」

 ここで、渚を散歩している若い親子連れが足を止めてこっちを見ているのにクレイは気がついた。

 ピンクのサンドレスを着た小さな女の子が頻りにスパーキィを呼んでいる。手に持っているビスケットはAの形。クレイが目配せして頷くとスパーキィはいそいそとそちらへ駆けて行った。

 それを見届けてから、幾分声を落としてクレイは話を再開した。

「確か、おまえのママが離婚を決意した最大の原因は、親父さんのおまえへの虐待行為だと、おまえ俺に言ったよな?」

「うん」

 サミュエルは唇を舐めた。砂の味がする。

「少なくともママはそう言ってる」

虐待(・・)って、それ、刺青のことじゃないのか?」

 サミュエルはハッとした。

「……」

「赤ん坊のおまえにそんな真似したから……ママはショックを受けたんじゃないのか?」

「どいて」

 葵里子はクレイを押し退けるとサミュエルの足の裏にカメラを近づけた。フレームにきっちり捉えるとシャッターを切った。


 クレイと葵里子は並んで青い格子縞のソファに腰を下ろしたまま、硝子の嵌ったドア越しにサミュエルの様子を覗っていた。

 廊下の向こう、階段下のチェストに電話機が置かれていて、サミュエルはさっきからずっと俯きかげんに受話器を握っている。

 西陽の射すフランス窓の下にはスパーキィ。英字ビスケットをたらふく食して満足げに鼾をかいている。クレイが立ち上がってブラインドを下ろしに行こうとした時、サミュエルは戻って来た。

「おまえの言う通りだ、クレイ。その通りだったよ」


 十五年前のある日、アマンダ・プレローズが外出先から帰宅すると屋敷は森閑としていてベビーシッターの女の子だけがポツンとソファに座っていた。高校生のその娘はアマンダの姿を見た途端、飛び上がった。赤ちゃんは何処にいるのかと問い質している最中に小さなサミーを抱いてロブ・プレローズが戻って来た。息子の右足の痛々しい包帯を目にしてアマンダは叫び声をあげた──


「『何でもない』とパパは笑顔で言ったそうだ。『ほんの遊び心だ』とか何とか。『すぐ治っちゃうよ』って。でも、ママは許さなかった。本当はそのこと以外にも、結婚以来不満の種が山ほどあって……それが一挙に爆発したんだろうけど。で、ママは俺を引っ手繰るとそのまま屋敷を飛び出したのさ」

 親指で額を掻きながらサミュエルは今しがた電話口で母から聞いた、そのままを伝えた。

「傷の方は、パパが言った通りすぐ治ったのでママはすっかり忘れて、気にも留めてなかったらしい。俺自身、今日まで全然気付かなかったし……」

「温めると出るみたいだな、それ」

 と、クレイ。

「そう言えば、バスタブに使ってる時も、俺、見たよ」

「それに浜辺」

 と、これは葵里子。

「焼けた砂のせいね?」

「何だと思う?」

 ソファが塞がっているのでロイドチェアに腰を下ろしながらサミュエルは独り言のように呟いた。

「パパがママに言った通り、単なる思いつきの……悪ふざけなのかな?」

 右足を膝の上に持ち上げて覗き込む。既に足の裏から刺青は消えていた。

 暫く三人とも黙り込んだまま座っていた。

「俺、思ったんだけど──」

「ねえ、私、思い当たったんだけど──」

 クレイと葵里子が同時に口を開いた。

「言ってみろよ」

「あなたからどうぞ」

 焦れてサミュエルが促す。

「どっちでもいいよ。何だい?」

「ねえ、これって……何か重大なメッセージなんじゃないかしら?」

 いつになく神妙な面持ちで写真家は言うのだ。

「自分の息子、しかもまだ赤ん坊の肌に細工してるわけでしょ? あなたのママが激怒するのも無理ないわ。誰が見たってかなり異常な行為よ。それを〝ほんの思いつき〟とか〝遊び心〟でやるとは思えない」

 クレイも力強く頷いた。

「俺も同じ意見だ。この上は、おまえのその刺青をもっと詳しく調べてみた方がいいかも……」


 早速、葵里子は二階のクレイの寝室の隣り、物置き代わりに使われていた小部屋の窓を塞いで暗室に転用した。

 夜半、リビングのコーヒーテーブルに置かれたサミュエルの足の裏の拡大写真を見降ろして三人は一様に頭を抱えた。

 刺青はクレイの記憶通り、〈歪んだ玉〉或いは〈アンバランスな円形〉の模様。

 引き伸ばされたおかげでその模様の中に小さな点が一つあるのがわかった。更に興味を引くのは、模様の下に並んでいるアルファベットだ。文字は5つ。


  《   I N K I R   》


「何、これ?」

 鼻の上に皺を寄せて葵里子。

「IN KIR……〝KIRにて〟または〝KIRの中〟って意味? そんな地名が島内にあるの? それとも聖書の文句や詩篇とか? でなきゃマザーグースの歌詞? あんたたち西洋人の考えることってこんなもんでしょ?」

 物凄く侮辱された気がするが。

「さあなあ?」

 クレイはやんわりと肩を竦めるに留めた。

「島の地名にKIRはない。今の段階で俺が自信を持って言えるのはそれだけだ」

 サミュエルはソファに倒れ込んでしまった。

「あーあ、こんなことなら、やっぱパパが生きてる内に会って色々話を聞いておくんだった」

 毎夏、毎夏、あんなに会いたがっていたロブ・プレローズとしてもきっと息子に直接伝えたい何かがあったのだろう。今更ながらそのことをサミュエルは悔やんだ。

「ねえ? ちょっと……ひょっとして、これ、〈地図〉じゃない?」

 唐突な葵里子の言葉にクレイとサミュエルは顔を見合わせた。

「なるほど……上手いぞ、葵里子!」

「しかもこの色からして──陸よりは海を連想させるわ」

 クレイは写真を引き寄せた。目を細めてじっくりと眺める。

「そうだな。丸い部分を海の省略形と見る。昔の海図なんかによくある手法さ。とすると、こっち、刺青の下のやや直線の部分は──海岸線?」

「そう言われたら……そう見えるな!」

 先刻までの落胆ぶりは何処へやら、少年はソファの上で飛び跳ねて叫んだ。

「地図帳持ってるか、クレイ? 全島詳しく出てるヤツ。調べてみようぜ!」


 こうして、意外にも問題はあっさりと解決した。

 地図を探すと、刺青の模様とよく似た形状の海を抱く入江が見つかったのだ。

 場所は島の西部。メイタゲットの港の付近、ランドポイント灯台の先……

「とすると」

 写真のその部分を指で押さえながらサミュエルは首を傾げた。

「この白い点(・・・)は何を意味するのかな?」

「ねえ、明日、どうする?」

 クレイもサミュエルもすぐには葵里子の質問の意味がわからなかった。

「確か、明日は私たち、死体の件で警察に出頭する予定だったわよね?」

 顔の横で疑似餌のごとく刺青の拡大写真をヒラヒラと振りながら葵里子は訊いた。

 この場合、写真家は自分が釣りをしているのをちゃんと心得ていた。清流の中の2匹の鱒よろしく、今やクレイとサミュエルの目は写真家が振り翳す写真に釘付けだ。

「どうする? 警察へ行く? それとも……こっち(・・・)を先に片付けてみる?」

 訊くまでもなく二人の答えは明白だった。

「中途半端にほっとく気にはなれないよ」

 とサミュエル。

 クレイも認めた。

「ここまで来たら誰だって〈謎〉を明らかにしたいと思って当然だ」

 地下のエルンスト・オレンジだってもう二、三日くらいならおとなしく待っていてくれるはず。

 

 かくして、〈避暑地の運命共同体〉、〈偶発的ドリームチーム〉……要するに半端な素人集団の三人は、行き詰ったまま何ら進展のない連続殺人鬼捜しから、ロブ・プレローズの残した刺青の謎解きへとあっさりと活動方針を転換した。

 この詰めの甘さがどれほどの災いを招くことになるか──

 その夜の三人には知る術がなかったのである。

 


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