#14
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三人と一匹はエルンスト・オレンジを埋め直した洞窟の前に並んで立っている。
〈チーム〉を組んでから──或いは〈運命共同体〉を宣言してから三日と半日が過ぎようとしている遅い午後。
風が強くて、ともすると海原は鯖の腹のような銀色に見えた。
「……やれやれ、かなり腐敗してるだろうな?」
青いヌバックの靴先で砂を蹴りながらクレイが呟いた。
「その点は気にするなよ」
サミュエルが即座に慰める。
「あいつはさ、生きてる時から充分に腐ってたから」
「上手い!」
と、これは葵里子。
それから三人は暗い穴に背を向けて歩き出した。
右手には縞瑪瑙のような断崖の上にプレローズ屋敷がくっきりと浮かび上がっている。遠く近く散在する岩山の群れ。
これら岩々はその大小にかかわらず皆〈特別の名前〉を持っていて、島の住民なら誰でもその名を言うことができた。兎岩にカエル岩、鯨岩。妖精岩や竪琴岩。靴下岩なんてのもある。
馨しい夏の日、島には四色しか存在しない、と言うのもまた真実のようだ。その四色は青と白と緑と岩色。
幸福な夏休暇中の誰かが選んだ絵葉書のような風景を見ながら三人は風に嬲られ、砂を踏んで無言で歩いて行く。
遠くから手を振っている人に気づいて慌ててクレイは手を振り返した。
「誰?」
葵里子が聞いた。
「ペッカーさん。〈浜辺の番人〉だよ。知らないの?」
サミュエルが教える。
「いつもああやって浜辺をきれいにしてくれてるんだ。夜中もだぜ。俺たちは会ったことがある」
その後、交わしたキスがどれくらい甘くて素敵だったかについては少年は言及しなかった。
〈浜辺の番人〉は今日もゴミ袋を下げていた。清掃はこれからだと見えて黒いゴミ袋はバタバタと風に翻弄されて手旗信号のように見えた。
三人が再び会話をし始めたのは〈グリル・ホープ&ウィンドゥ〉に入った後だった。
店は洞窟をチェックした後立ち寄るには絶好の距離にあった。しかも、この時間帯ならスパーキィはスープの出汁に使った骨を振舞ってもらえるし、予約しなくても海側の席に座れる。
案の定、今日も自分たち以外には三つしかテーブルは塞がっていなかった。裕福そうな中年男女と、幸福そうな母娘連れと、暇そうな初老の男性……
いづれにせよ美しい海を眺めながら将来の計画を語り合うには最適の場所だ。
「で? どうなってるんだ?」
口火を切ったのはクレイだった。
「でなきゃ、どうすればいいんだ?」
これはサミュエル。
例によって二人は並んで座っている。テーブルを隔てて孤高の写真家、衣通葵里子。
「明日で五日目だよな?」
サミュエルは念押しした。
「あんたの提案に従って俺たち屋敷の周辺をずっと見張って来たけど、一向に変わった様子は見られないじゃないか?」
この三日と半日、三人は交代で側道に止めた車からプレローズ屋敷を監視し続けた。
その間に屋敷に近づいたのは、郵便配達人と観光客のカップル、これっきりだった……!
前者はサミュエルの母からのポストカードを届けにやって来たというのが即、判明した。カップルの方はホテルと間違えたらしく、数枚の写真撮影と数度の熱烈なキスの後で引き返して行った。
「あの郵便配達は」
クレイが捕捉する。
「夏期アルバイト中の島内の高校生、トッド・マクミランだ。身元ははっきりしている。俺もよく知ってる子だよ。親父さんは漁師でおふくろさんの方は確か、メイタケット港の土産物屋で働いている。可愛い双子の小学生の妹がいて……」
ここでサミュエルが咳払いをした。
(どうしてそこまで知ってるんだよ?)
そもそもよく知っているとはどういう意味だ? ひょっとしてクレイは新聞配達の少年の家族構成も言えるのだろうか?
とはいえ、この場はサミュエルは自重した。代わりに写真家に問い質す。
「まさか、残るカップルの方を真犯人だと考えてるわけじゃないよね? どう見たってあいつら、エンゼルフィッシュを解剖する脳みそすら持ち合わせてないぜ?」
カップルってものは第三者から見たら押し並べて〝馬鹿っぽく〟見えるのよ。気づいてないの? あんたたちだって似たようなもんよ。
しかし、写真家もここは自重した。代わりに口に出したはこう言った。
「OK、あんたたちの言うとおりよ。認めるわ。この三日間にプレローズ屋敷の周辺に怪しい人物が出没した気配は皆無だわよ」
さミュエルはきっぱりと言い切った。
「俺たち、明日、警察に出頭するからな」
クレイが引き取って、
「もうこれ以上は素人には無理だ。正直言って限界だよ」
「ねえ……」
いつになく真摯な声。クレイとサミュエルはハッとして顔を上げた。
では、いよいよこの尊大な芸術家から、ここ数日間引っ張り回したことについての謝罪の言葉を聞けるのだろうか?
「ねえ、この貝、何て言うの? こんな美味しいクラムチャウダー食べたの初めて!」
葵里子はスープ皿をスプーンでつつきながら、
「ほら、NYで注文するとチャウダーって真っ赤じゃない? トマト味よね? でも、こっちのクリーム仕立て絶品だわ!」
「そりゃもう! 当店は伝統的なニューイングランドスタイルですから!」
いつの間にかオーナーのジョバンニ・ラルデッリがニコニコ笑って背後に立っていた。
三人は吃驚して硬直する。とりわけクレイは顔面蒼白だった。
続けて何か言おうとするラルデッリから洋梨とクランベリーのタルトを引っ手繰ると、
「ここはいいからさ、ラルデッリさん。どうぞ他のお客さんのサービスしてやってくれ。俺たちは、その、今、込み入った大切な話の最中なんだ」
「大切な話? そうでしょうとも!」
ラルデッリは訳知り顔で片目を瞑ると去って行った。
オーナーがいなくなったのを見届けてから、クレイは改めて葵里子に確認した。
「明日、俺たちは警察に行って、今現在持っている情報の全てを報告する。そういうことでいいな?」
「カホーグ貝」
葵里子の肩に手を置いたのはさっきまで隅のテーブルに一人で座っていた初老の男で、よく見ると銀髪なだけで老人というほどの歳でもなく、もっとよく見るとそれは先日、洞窟で会った──
「リンクィスト教授!」
葵里子は椅子を引いて立ち上がった。
「よくよく縁があるみたいですね、私たち? あ、よろしかったらご一緒にどうぞ……」
「いやいや、若い人の邪魔をする気はないよ。ただちょっと、帰りしな小耳に挟んでね。職業柄質問に答えずにはいられないのさ。それはカホーグ貝。島で捕れるんだよ。本当に美味だと私も思う。おっと、ムール貝やベイスキャロップは試したかね? そっちも美味しいぞ」
勘定を済ませてから、戸口でもう一度若者たちに手を振るとアンブローズ・リンクィスト教授はパーカーのフードを被って浜へと降りて行った。
「チェッ、センセイ、お気楽でいいよな?」
アイスミルクティの氷を噛み砕いて少年は毒づく。
「こっちは死体を抱えてアップアップしてるってのにさ。とんだ〝サミーの災難〟だ」
クレイが肘でつついた。
「シッ! 滅多なこと口にするんじゃない。誰が何処で聞き耳立ててるかわからないんだぞ」
本当は〝死体〟よりも〝アップアップ〟という言葉にレジの後ろのラルデッリが反応したように見えたせいだが。
果たして、勘定を払って店を出る際、ラルデッリは目を輝かせてクレイの耳元で囁いた。
「で? どっちなのかな?」
「何がですか、ラルデッリさん?」
「この間の晩、おまえさんをここに待ちぼうけさせた罪な恋人!」
「やめてくださいよ」
「おや、それとも……さては両方ともなのか? やるねえ、クレイ君! この色男め! ああ、私も誇らしくて胸が潰れそうだ!」
そろそろ来るぞ、とクレイは覚悟した。
「いやあ、今でも思い出すよ! 小さかった頃のおまえさんのあの可愛い姿! まさか海水をたらふく飲んでアップアップやっていたあのクレイ坊やが……こんなに立派に成長して……三角関係の清算に苦しむとはなあ! この勇姿、ケイトにも見せたかったな。おっと、そう言えば、親父さんはいつ新しい奥方を私に紹介してくれるんだ? 今年の夏は島には来ないのかね?」
釣りは取っといて、と言うや、後ろも見ずにクレイは駆け出した。
幸いサミュエルも葵里子もとっくに砂浜を歩いていてオーナーとクレイの会話を聞いてはいなかった。
追いつこうとして気が変わった。クレイは足を止めて遠い砂浜の二人を眺めた。
正確には二人と一匹だが。
こうして見るとサミュエルと葵里子は姉弟に見えなくもない。古風な草色の格子柄のワンピースを着た葵里子と、まるで申し合わせたかのように今日は青いギンガムチエックのシャツのサミー。 これまたお揃いの真っ黒い髪がピカピカ光る鱗のような海原にくっきりと浮かび上がっている。
サミュエルは小枝を拾って波打ち際へ放った。即座にスパーキィが駆け出す。愛犬は小枝を咥えて得意気に戻って来た。サミュエルは今度はその枝を奪い取ると全速力で走り出した。スパーキィはふさふさした金色の尻尾を吹流しのようにはためかせて追いかける。
(おいおい……)
サミーときたら、いつの間にかデッキシューズを脱いでショートパンツの尻ポケットに捻じ込んでいるじゃないか! そうして熱い砂の上を裸足で逃げ回って──
「!」
クレイ・バントリーは息を飲んだ。
信じられないものを見たからだ。
彼が見たもの、それは──