#11
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「私は私なりにこの事件を追って来たの」
葵里子が声高に告げたのはクレイのコテージの居心地の良いリビングルームに三人して腰を落ち着けた後だった。
プレローズ屋敷に必要以上長居すべきではない。もっと詳しい話は何処か別の場所で、と言うのが見張り台での写真家の意見だった。この頃になると主導権は完全に彼女が握っていた。 が、クレイとサミュエルにはもはやどうしようもなかった。
それで、取り敢えず──別の場所と言えばそこ以外ないではないか!──バントリー家の別荘へ移動することに同意したのだ。
既に悪い兆候……犯罪者の特質が身に染み始めているようにクレイとサミュエルには感じられた。コソコソと隠れ廻り、息を殺して暮らすスタイル……
かくして、プレローズ屋敷の風雅な玄関にしっかりと鍵を掛けて、まだ濡れた髪のままクレイ・バントリーはサミュエル・ケリーを伴って自分のコテージへ戻って来た。
シャベルを携えてそこを出たのは昨夜の真夜中だった。それなのに長い旅をして来た気がする。シャベルの他に、今度は黒いゴミ袋にエルンストの血の染み付いたキッチンペーパーを詰め込んで持ち帰った。
道で出会った人たちは皆一様に満面の笑顔を二人に返してくれた。中の一人はわざわざ近寄って声までかけてくれた。勿論、それは例の〈浜辺の番人〉ジェフ・ペッカー氏である。
「やあ、偉いね! 君たちみたいなのを〝模範的な若者〟と言うんだな! 僕も負けてはいられないよ」
かく言う自分もちゃんと膨らんだゴミ袋をぶら下げていた。
「それにしても──頑張ったんだな?そんなにたくさんゴミを回収するとは……!」
膨らみ具合を比較するように繁繁とクレイの持つソレを見つめる。二人とも内心生きた心地がしなかった。
「お疲れ様! おかげで今日も浜辺が綺麗だ!」
鼻歌を歌いながら去って行く後ろ姿を眺めながらサミュエルが呟いた。
「……完全にビーチコーミングだと誤解されてるよね、俺たち?」
「いいから、会釈してやり過ごせ、ほら、振り返って手を振ってる」
クレイも手を振り返しながら、
「実際、俺は何度も浜辺の清掃活動に参加してるからさほど後ろめたさを感じる必要はないよ、サミー」
コテージに帰還するなり、すぐさまクレイはキッチンペーパーを青いタイルが張り廻らしてあるあの美しいストーブで焼いた。
その間中、背後でサミュエルは文句を言いっ放しだった。
「あーあ、こんな使われ方したんじゃ、このストーブも悲しいだろうなあ?」
でも仕方なかった。
写真家に指摘されるまでもなくクレイも知っていた。ロブ・プレローズの死後ずっと使用していない向こうの屋敷の暖炉にくべるより自分のコテージのストーブの方が足が着きにくい。なにせこっちはしょっちゆう──料理や冷え込んだ夜半の暖房に──日常的に使用しているから、いつ何時煙が煙突から立ち上ろうと近隣の住人が気に止める心配はないだろう。
葵里子は一度、投宿していたB&Bに戻った後、愛車ごと乗り付けて来た。
傷だらけのクリーム色のコンバーチブルからカメラ機器用のジュラルミンのケースと衣類を詰めたトランクを引っ張り下ろす様子を窓から見ていてサミュエルはギョッとした。写真家ときたら、先刻プレローズ屋敷でシャワーを浴びた際、貸してやったデニムのショートパンツとTシャツをもうしっかりと着替えているではないか。
葵里子は今、目が覚めるような杏色のタンクトップに大きな牡丹の花が刺繍された巻きスカート姿で、玉砂利を敷き詰めたコテージの脇道を弾むような足取りでやって来る。それはそれで彼女の東洋的な雰囲気に似合ってはいるが──
(俺の服はどうしたんだ? まさか、捨てたんじゃないよな?)
片や、飛んで行って玄関ドアを開けたクレイの服装は、同じくシャワーの際サミュエルが父のクローゼットから物色して渡した物だ。彼はまだそれらをちゃんと身につけていた。
最初に会った日に、似ていると思った通り、クレイ・バントリーはサイズの方も父とぴったり一緒だった。サミュエルはクレイに父の服を脱いで欲しくなかった。せめて今日一日位は。できることなら、いつまでも。
だって、とても似合っているから。
現実にはそれらの服を着て歩き回っていた父を見る機会のなかったサミュエルはさっきからいつにも増してチラチラとクレイを盗み見てばかりいた。
「どう? これで私がこの島へやって来た理由がわかったでしょう? ズバリ的中よ! 次なる犠牲者が出るとすればここを置いて他にないと踏んでいたんだから」
コーヒーテーブルに事件に関する新聞記事の切り抜きと全米地図を挟んだファイルを拡げて葵里子は声を張り上げた。
地図上には赤いマーカーで四つ、印と番号が点けてある。
最初のそれはカリフォルニア州LAの男娼、ケニー・ウォール。二つ目はカンザス州カンザス大学の学生、パウル・ドウマス。三つめがイリノイ州シカゴの高校生、トニィ・サンチャゴで、四つめはペンシルバニア州フィラデルフィアの花屋の店員、ジョニー・スチィブンス。
クレイとサミュエルの目の前で今しも葵里子は五つめの印を書き加えた。エルンスト・オレンジの赤丸を。
こうして見ると宛ら、点々と血の零れた痕のようだった。
呪われた悪しき魔物が西海岸から東海岸へヨロヨロと旅をしている。切り取られた足を庇いながら……
耐えられなくてサミュエルは目を逸らせた。
「はっ、一般人がこれほど熱心なんだ。ってことは今頃は警察はもっと完璧にプロファイリングしてくれてるはず。安心したよ。こりゃ、犯人が捕まるのも時間の問題だ」
「だといいけど?」
次に悲劇が起こるとすれば東海岸だと漠然と推理していたのは事実だ。
とはいえ、自分がマサチューセッツのこの島にいたのは偶然以外の何者でもない点について敢えて葵里子は言及しなかった。
せっかく東海岸まで来たのだから(それもチャチな広告の仕事絡みで)予々訪れてみたいと思っていた風光明美なこっちの島々に足を伸ばしたに過ぎないことは黙っていても罪にはなるまい。
胸の前で指を組んで、タンクトップと揃いの色に塗った爪を見つめながら葵里子はそう判断した。
(信頼関係の構築にはその方がいいはずだもの……)
現にブロンドのクールビューティの方は感銘を受けたという顔つきで訊いて来たではないか。
「なあ? これらのデーターから犯行地点の予測以外に何かもっと読み取れることはないのか? 例えば、犠牲者の共通点とか?」
葵里子はこれには正直に答えた。
「残念ながら、新聞に書かれている以上のことは私にも皆目見当がつかないわ。あまりにもインパクトの有り過ぎる〝右足切断〟。それから、被害者が全員男性で十代から二十代始めの若者たちってことと、足を切り取られている他は性的虐待の痕跡は一切見受けられない──このくらいね」
「俺の意見を言おうか?」
クレイが冷蔵庫から出して来たアンバーエールを受け取るとサミュエルは言った。
「あんなところにエルンストを永遠に隠しとけるとは思えない。で? あいつが見つかって身元が割れたら警察は一直線に俺の所へやって来るだろうさ。だって、奴は俺を頼ってカリフォルニアから遥々やって来たクソ従兄弟なんだから。現にプレローズ屋敷のガレージには親父のベンツやチェロキーの横にあいつのイカレたモンテカルロが並んでると来た」
サミュエルはソファの自分の隣に腰を下ろしたクレイを見た。
父のジィーンズに父のオックスフォードシャツを来た麗しき恋人。
(クソッ、ペールブルーがなんてよく似合うんだ?)
「どうせなら、何故、車ごと始末しなかったんだよ? よりによってこんな近くにあいつだけ埋めるなんてどうかしてる……」
「そんな言い方あるかよ?」
自身もビールを一缶手にとってプッシュトップを押しながらクレイ、
「俺だって死体の扱いは初めてだったんだ。それに考えてみろよ、まず第一にあの車は派手過ぎる。あんなんで走り回ったら全島民の目を釘付けにすること間違いなしだ。『はい、何時何分に見かけました』『コッドフィッシュパークをアクセル踏んで目一杯ブッ飛ばして絶壁から落っこちて行きました』『運転していたのはブロンドの馬鹿、荷物は死体でしょう』ってか? で、担いで行くにも重過ぎたんだ。野郎、あそこが限界だよ」
リビングのフランス窓越しにクレイはエルンストが埋められている洞窟の方を指差した。
「おまえの従兄弟ってわりには、あいつ重量級だったぜ」
ビールを一口飲んだ後でニヤッとして付け足した。
「おまえだったら軽ーーくこの千倍は担いで行けたのにな。誓ってもいい。おまえならもっと遠く、砂丘を超えてお望みの場所に埋めてやれたさ。何処がいい? チルドレンズビーチか?」
「ご親切にどうも。どうせ俺は痩せっぽっちだよ。悪かったな。何だよ、マッチョ型が好みだったのか? ならハナからそう言えよ。俺に声なんかかけるな!」
パシャ……
独特の硬質の音。
クレイとサミュエルは同時に振り返った。
二人が座るソファと向かい合わせの白いロイドチェアに腰掛けていた葵里子の両手にはいつの間にかカメラが挟まれていて──
葵里子は言い争っている二人を、撮ったのだ。
「ハイ、もう一枚!」
立て続けのシャッター音。
パシャ……パシャ……パシャ……
クレイとサミュエルはいきりたって立ち上がった。
「何だよ!」
「勝手に写真なんか撮るなっ!」
「だって、面白いんだもん、あんたたち。いい構図だわ。〈仲間割れする連続殺人容疑者カップル〉……ハイ、もう1枚!」
パシャ……
冴えたシャッター音は水の流れる音に似ている。それから、雨の音にも。
クレイとサミュエルの怒りは急速に冷却した。
二人は決まり悪げに相次いでソファに腰を落とした。
それを見届けてから、葵里子は改めて口を開いた。
「ねえ? 実のところ、あんたたちを真犯人じゃないと私が直感した理由は……こうしてファインダー越しに見たあんたたちの姿と、それから、もう一つ。埋めたって行為なのよ」
「?」
「パターンが違うわ。今までは死体は放っとくのが常だもの。見てごらんなさい」
写真家は自分がスクラップした記事を顎で指し示した。
「ほら、まるでディスプレイよろしく死体を何処にでも無造作に放り出している……決して隠そうとしていない……」
その通りだった。
最初のケニーから始まって四人が四人とも右足を膝から下、切り取られた他は、各人それぞれの馴染みの場所で普段通りの姿で発見されている。死体の発見現場がイコール犯行現場なのだ。
「やっぱり警察に行くよ!」
決然とした面持ちでサミュエルは立ち上がった。
少年は真っ直ぐに青く塗られた玄関ドアへ歩を進めながら、クレイに向けて、クレイにだけ話しかけた。
「聞いたろ? この女が今指摘した点をプロが気づいていないはずはない。ってことは、多少こんがらからせたとは言え俺たちが真犯人として吊るされる心配はないんだ。だとすれば──〝警察に出頭する〟これが一番の解決策さ!」
クレイもサミュエルを追いかけた。
「わかった。なら、勿論、俺も一緒に──」
「やめてっ!」
ギョッとして二人は立ち止まった。
一瞬VTRを巻戻して夜明け前の洞窟にいるような錯覚に陥った。
女にいきなりフラッシュライトを浴びせられたあの瞬間も、やはりこんな格好で二人して立ち竦んだものだ。こんな恐ろしい体験をするのは、1日に2回は多過ぎる……!
葵里子も腰を上げた。
コーヒーテーブルの上、記事の切り抜きや全米地図の間に静かにカメラを置く。
「まだわからないの? これは絶好のチャンスなのに?」
クレイもサミュエルもほとんど同時に聞き返した。
「……何の?」
「動機がなんであれあんたたちは死体に手を加えてしまった。その事実を知っているのは、それをやったあんたたちと、それから……実際に死体を作った犯人だけだってこと」
二人が何も言わないので葵里子は続けた。
「犯人は戸惑うに違いないわ。ショックを受けてるはずよ。犯した第五の犯罪がいつまでたっても露見しないばかりか、実は死体も消え失せているんだもの。そしたら……絶対何らかの反応を示すはず」
クレイとサミュエルはまだ何も言わない。目を見開いたままお互いを支え合って立っている。
葵里子は更に具体的に言ってのけた。
「真犯人は犯行現場へ舞い戻って来るに違いないわ。と言うことは、私たちこそ犯人を捕らえるのに一番いい位置にいるってことよ。このチャンスを逃す手は手はないわ!」