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とくべつの夏  作者: sanpo
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#10


     10


 洞窟の入口から、ひょっこりと頭が一つ突き出ている。手にしているのは見覚えのあるフラッシュライトだった。

 その人──男だ──はゴム長靴を履いた足でゆっくりと砂を踏みしめ洞窟の中に入って来た。

「ちょうどこの辺りを歩いていたら足元にこれが飛んで来てね。いやぁ、吃驚したよ。見るとこっちの岩の間がほんのりと明るいので……いいねぇ、若い人は。洞窟でパーティかい?」

 今度こそ終わりだ。クレイとサミュエルは観念した。女にとっては文字通り最強の救援部隊であろう。

「ほら、返すよ、これは君たちのだろ?」

 夜釣りの帰りらしい、ゴム引きのパーカーを羽織った痩せて背の高い初老の男は気さくな調子でフラッシュライトを差し出した。反対の手にはブリキのバケツを下げている。

(出来過ぎだ……!)

 この新たな登場人物の風貌がいかにもこの島っぽくて、実際は泣きたかったにもかかわらずもう少しでクレイは笑い出すところだった。

 一歩前に出てライトを受け取る。本当の持ち主(・・・)が地面に腰を落としたまま動こうとしなかったので。

「ご、ご親切に、どうも」

 男の立っている位置からクソ忌々しいエルンストの死体はどういう風に見えているものやら。

 クレイは自分自身を呪った。

(畜生、シャベルなんか突き立てるんじゃなかった! )

 仄暗い洞窟の中でそれは宛ら墓標のように浮かび上がっている。男が死体に気づいて騒ぎ出すのはもはや時間の問題だった。

「教授? アンブローズ・リンクィスト教授ではありませんか!」

 突然、女が叫んで立ち上がったのでその場に居合わせた男たちは一様に驚いた。

「お会いできて光栄です! しかも──こんな処で……?」

 クレイとサミュエルは口を開けて、同様に口を半開きにしている夜釣りの男と、男の腕に飛びついた女を見つめた。女ときたらあんまり激しく握手の手を上下させたせいで残る方の手で胸のカメラを押さえねばならない始末。

「申し遅れました。私は衣通葵里子(そとおりきりこ)と言って、写真家です。ああ、教授が憶えておられなくても当然ですわ!」

 握った手を離さないまま女は男を洞窟の外へと引っ張って行った。

「何年か前にUCLAで教授の特別講義を受講する幸運に恵まれました。本当にあれは今思い返しても素晴らしい体験でした……!」

「君?」

「教授が見せてくださった貴重な資料の数々……エーゲ海域で最も古いミノア文明の忘れ形見……現在ではアテネ国立考古美術館でしか見ることのできない壁画群……!」

「ああ、あれかね? あの時の講義を君は──」

「私、今でも鮮明に憶えています! 魚を持つ〈漁師〉や波を蹴立てて進む〈舟行図〉のイルカたち。〈春〉の百合と燕。でも、何と言っても私の心を捉えて放さないのは、〈拳闘をする少年たち〉です。燃えるようなあの肌の色ったら……!」

 浜辺でなお暫く熱心に語り合っている女と男の姿が洞窟に置き去りにされたクレイとサミュエルからも見ることができた。空が明け始めたせいだ。

 やがて、薔薇色の光に染まって女は一人戻って来た。

「やるじゃないか!」

 皮肉たっぷりにサミュエルは迎えた。

「上手く丸め込んじゃって」

「丸め込んじゃいないわ」

 キッと眉を上げて女は言った。

「彼は本物(・・)よ。アンブローズ・リンクィスト教授。高名な考古学者だわ。古代海洋民族史の権威で有名なギリシャはサントリーニ島のアクロティリ古代都市の遺跡発掘にも参加したんだから!」

 両頬に朝焼けの色がまだ残っている。それともこれは彼女自身の血潮の色だろうか?

「感激だわ! まさかこんな処で会えるなんて! 近くに別荘があるんですって。夏休みは釣り三昧だって笑ってらしたわ。ふふふ……」

 当然ながらクレイとサミュエルはそんな話には全く興味がなかった。

 二人はそれぞれ現在最も関心のあることについて問い質した。

「何故、その教授とやらを追っ払ってくれたんだ?」

「そもそも、あんた(・・・)、一体何者なんだ?」

 女は両方の問いに一度で答えた。

「あら、さっき聞いてなかったの? 私は写真家で衣通葵里子って言うの。何故、リンクィスト教授を追っ払ったかって? だって、大切な話の途中(・・・・・・・)だったでしょ、私たち」


 クレイとサミュエルがこの洞窟に至った一部始終──ほとんどクレイが一人で説明したのだが──を聞き終えると写真家衣通葵里子は大きく頷いた。

「なるほど。それで一応辻褄(つじつま)は合うわね。あんたたちがこの、エルンスト・レモンって子を埋めたり掘り返したりしている〝理由〟ってやつ?」

 サミュエルがうんざりしながら訂正した。

オレンジ(・・・・)だよ」

「さあ!」

 クレイが促した。

「今度はあんたの番だぜ? 話せよ、警官でもないくせになんだってこんな場所にいて、こんな事に首を突っ込む?」

 偶然埋めているところに出くわしたのなら、どうしてその時点ですぐ警察に通報しなかったのか、クレイはそれが不思議で仕方なかった。

「私はね、この目で(じか)に真犯人を見てみたかったの」

 葵里子はクレイとサミュエルを交互に見つめながら答えた。二人はまた例の岩のベンチにくっついて座っていた。葵里子の方はどんどん明るさを増して行く洞窟の入口を背にして立ったままだ。

「誰よりも早くこのファインダーに真犯人を捉えたかった。何故って? まあ言わば……私も被害者の一人みたいなものだから」

 一度静かに息を吐くと、

「あの連続殺人鬼の最初の犠牲者は、私のモデルだったのよ」

 流石にクレイとサミュエルは驚いた。その驚愕している二人に葵里子はサッと指を突きつけると、

「でも、そのことについて詳しく話をする前に、私たち、まず先にやるべきことがあるわよ」

「?」

 葵里子が二人に突きつけていた指を一直線にエルンスト・オレンジに移してこう言った時、クレイとサミュエルの驚愕は戦慄に変わった。

 女写真家はきっぱりと言い切ったのだ。

「さあ! あの子を埋め戻しましょ(・・・・・・・)!」



 クレイは双眼鏡を水平線からゆっくりと岸の岩場へと動かした。

 プレローズ屋敷の見張り台に立つとシャワーの後の湿った体に海風が心地良い。

「大丈夫、野郎に変わり(・・・)はなさそうだな?」

 改めて三人で埋め直した洞窟の近辺に人だかり等、異常は見受けられない。

「チェッ、〈見張り台)とはよく言ったもんだぜ」

 もともとは捕鯨が盛んだった頃、鯨の到来を観測するために造られた特別の露台である。

 再度の埋葬の後、実際にエルンストが殺された現場を見せろと写真家にせっつかれて、ここプレローズ屋敷にやって来たクレイとサミュエルだが──

 既にひと悶着あった。

 台所のゴミバケツの中に血に染まったキッチンペーパーを大量に発見して葵里子が大騒ぎしたのだ。

 曰く、『犠牲者の血を拭き取った紙をこんな処に無造作に突っ込んどくなんて信じられないわ! このマヌケ!」

 尤も、彼女はこうも言ってくれたが。

『こんな不始末しでかすようでは、あんたたちが〈真犯人〉でないのがよおくわかったわよ!』

「本当にこれで良かったのかな?」

 独り言のように囁くサミュエルの声。

 クレイは双眼鏡を下ろしてそっちへ顔を向けた。サミュエルはと言うと、見張り台の手摺りの隙間から下を見たがるスパーキィの首輪に手をやって引き戻している最中だった。

「何だか、俺たち益々ヤバくなって行くような気がする。深みに嵌って行くだけって感じ」

 少年はため息をついた。

「なあ? やっぱり警察に行って、有りのまま全てをブチ撒けた方がいいんじゃないか?」

 片目を瞑って顰めた顔。今朝のサミュエルは一段と子供っぽく見えた。キュート過ぎる……

「確かにそれも一つの手ではあるわね?」

 肩に掛けたタオルで髪を拭きながら、今しも衣通葵里子のご登場だ。亡きこの家の当主ロブ・プレローズの紫色のバスローブを身に纏って。

(ああ、やめてくれよ……)

 とたんにクレイは胸騒ぎがし出した。

「警官どもはあんたたち(・・・・・)に飛びつくでしょうね。最初に片足のない死体が見つかって以来四ヶ月、容疑者を逮捕したくてウズウズしてるんだから」

 バスローブの紐をきっちりと結び直してから葵里子は微笑んだ。

「そして? マスコミも加わってあんたたちを丸裸にして、有ること無いこと……触れられたくない処、見られたくない部分……全て嗅ぎ出されて陵辱され続けるってわけ」

 サミュエルが何か言おうとして口を開きかけたが葵里子が指を一本──シャッターを切るとき使う指だ──突きつけたので少年は顔を背けた。

「で? その間に第六、第七の犠牲者が出るって寸法よ。ブラボー!」

 葵里子はクレイの横にやって来て手摺りに向こう向きに寄りかかった。

 そうして、幾分声を落として話し始めた。

「ケニー・ウォール。さっき私が言った第一犠牲者の男の子なんだけど、彼の取り扱まれ方がまさにそれだった……」

 クレイが肩ごしに尋ねる。

「あんたのモデルだったって言う?」

「そうよ。彼、男娼だったの」

 流石にクレイもサミュエルもちょっと身動ぎした。

「私はその時、LAで若い街娼たち、男の子も女の子もね、撮ってたんだけど。ケニー、とってもいい子だった。私、彼のこと凄く気にっていたのよ。なんて言えばいいのかなぁ? そう、純粋でね」

 サミュエルが吐き捨てる。

「ケッ、男娼のくせに、か?」

 少年はスパーキィを手摺りから引き離すのを諦めて自分も両腕を引っ掛けるとそこに体ごと凭れかかった。

 クレイを間に挟んでサミュエルと葵里子は反対の風景を見ていることになる。海と陸と。

「ファインダーを覗くとね、見えてくるものがあるのよ」

 葵里子の声が今まで聞いた憶えがないくらいたおやかだったのでクレイはハッとして顔を上げた。

「普段どんなに偉ぶっていても臆病な奴もいる。着飾っていても腐ってる(カス)もいる。写真家になってファインダーを覗けば覗くほどわかるようになって来た。人間の真髄って、思ってる以上に隠しようのない露骨なものよ。特に無機質の機械を通すと逃れる術がない。痛々しくていじらしい……まあ、こんなこと一般の人に言っても理解するのは無理かな」

 葵里子は苦笑した。

「とにかく、ケニーは良かったのよ。いつもキラキラしてた。エネルギーに溢れてて、生きてることを心から楽しんでて、だからとびっきりの写真が撮れたわ」

「それ、ヌードだったのか?」

 クレイの質問にサミュエルが真っ先に反応した。少年はあからさまに顔を顰めてクレイを睨みつけた。

 やや遅れて写真家もクレイを睨んだ。

「ヌードもあれば着衣のもあった。どっちも同じことよ。わからないの?」

 勢いよく体を半回転させると真正面から海と向かい合って言う。

「あんたたちはすぐそれを聞くのよね? ヌードか、そうでないか。同じこと(・・・・)なのに」

 葵里子は指で枠を作りそこから海を覗いた。

 その姿を見てクレイは写真家がカメラを下げてないのに気づいた。思えば、カメラを下げていない彼女を見るのはこれが初めてだった。

「言ったでしょ? 写真を撮るって行為は全てを貫いて生身の、真髄、そのもの(・・・・)だけを写し取ることなんだから。衣服があるかないかなんて問題じゃないのよ」

「いい加減にしろよ!」

 サミュエルはやけに感情的(ナーバス)になっていた。そっぽをむいて声を荒らげる。

「俺はそんな話、興味ない。あんたの芸術論なんてクソ喰らえだ!」

「OK」

 珍しく葵里子はこの件ではあっさりと退いた。

「要するにケニーは素晴らしい子だったってこと。だけど、どう? LAPDときたらあの子が男娼だったってだけで被害者というより犯罪者に等しい扱いだった」

 衣通葵里子が言うには──

 ケニー・ウォールは最初の犠牲者だったせいも多分にあったのだろうが、当初の警察の対応はあまりにも無関心且つおざなりだった。

 お気に入りのモデル残酷な殺され方を知った葵里子は、警察に積極的に協力して自分が知っていた事実や情報の全てを提供した。にもかかわらず、警察当局のやったことと言えば、犯人を捕まえるどころかそれら情報を面白可笑しくメディアに垂れ流しただけ。

「〝恥知らずな商売に勤しんでる馬鹿な男娼が悪い客に出くわして似合いの最期を遂げた〟ってな調子」

 葵里子は潮風に黒い瞳を伏せる。

「そこに同情や哀悼の気持ちは微塵もなかった。ただ笑いものにしてただけ。だから、私、我慢ならなかったのよ」

 やがて、似たような事件が続けて出だした時、ほうらご覧なさい、とこっちが笑ってやったわ、と葵里子は言った。その顔は決して笑っていなかったが。

「ケニーの時にもっと真剣に対処していたら良かったのよ。それを男娼だってだけで鼻も引っ掛けなかった。警官は能無しばかりだわ。私は愛想が尽きたの。だから──金輪際、連中になんか頼るもんですか!」


 





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