#9
9
大型フラッシュライトの光がピタリと二人を照準していた。
けたたましくスパーキィが吠え始める。
クレイとサミュエルはお互いを支え合ったまま凍りついたように突っ立っていた。
あんまり驚いたので全神経が麻痺してしまって声を出すことも、まともに考えることすらできなかった。
光源は洞窟の入口付近。その同じ方向から声がした。
「動かないで! 動くと撃つわよ……!」
警告は同じ声で繰り返された。
「動かないで! 銃を持っているのよ! 見えないの?」
当然のことながら光を浴びせられているクレイとサミュエルには全く視界が効かなかった。
「み、見えないよ」
サミュエルは率直にその旨を告げた。クレイは目を細めて──この場合正真正銘、眩しかったからだ──尋ねた。
「警官か?」
「そうよ。ダメっ! 動かないでと言ったでしょ! この犬は大丈夫? この子にも動かないよう言ってちょうだい。動物を撃ちたくないのよ」
クレイは慌ててスパーキィに命令した。
「スパーキィ、動くな! じっとしてろ!」
「OK」
その後、声はピタリと止んで洞窟内は静まり返った。
眩しいライトの中でクレイとサミュエルはひたすら次の指示を待った。手だってどうすりゃいいんだ? 大抵の場合、すぐに『頭の上で組め!』と命じられるはずだが。
サミュエルはクレイの腰にしがみついている両手を引っ込めるべきか、クレイはクレイでサミュエルの肩に回した腕についてこのままでいいのかどうか思案にくれた。だが、下手に動いて撃ち殺されるのだけは二人とも絶対に御免だった。
「……驚いたわね!」
たっぷりと間隔を置いた後で発せられた声は指示というよりは独白に近かった。
「あの猟奇犯がこんなに若かったなんて! おまけに二人組だったとは……!」
「俺たちは違う!」
光源へ向かってクレイとサミュエルは同時に叫んだ。
「この状況で誰が信じると思うの? ふざけないで!」
更に声は続く。
「現に私、一部始終見せてもらったんだから。夜明け前にあんたたちが二人してスコップ担いでやって来て犠牲者を掘り起こしてるところ」
ここでいったん言葉を切った。
「もっと言えばね、埋めてるところも」
サミュエルはクレイを睨んだ。クレイは呻いて天を仰いだ。
「そもそも──昨日、埋めてるとこに出くわして、その際、後をつけたんだけど見失っちゃったのよ。で、ここをずっと張っていたわけ。ほら、よく言うでしょ? 『犯人は必ず現場に戻って来る』……」
声の主は勝ち誇って締め括った。
「長丁場を覚悟したけど、早かったのね? 昨日の今日ですもの」
堪りかねて、半歩体を前に出すとクレイは弁明した。
「俺たちは犯人じゃないんだ! どうか話を聞いてくれ!」
「動かないで!」
ここでクレイの腰に回されていたサミュエルの手に微かな力が籠る。
クレイはハッとしてサミュエルを見た。少年は声を潜めて、
「クレイ、あいつどうも……警官じゃないぜ」
小声でクレイも応じた。
「どうしてそう思う?」
「さっきからずっと声が同じだ。でも、警官は決して一人では行動しない。だから──銃を持ってるってのも嘘かも」
「だが、他の連中は周りを固めているのかも」
「にしても……それなら、とっくに取り押さえられていい頃だぜ、俺たち」
時間が掛かり過ぎだと少年は言うのだ。本来なら今頃、自分たちはエルンストの横の砂の上に捩じ伏せられて〈ミランダ準則〉を読み聞かせられていて然るべきだと。
「なるほど」
クレイは横っ飛びに跳んで──フォールを逃れる要領で、だ──死人に預けっぱなしだったランタンを引っ掴んだ。
「!」
突然のこの行動にフラッシュライトはついて来れなかった。飛び去ったクレイを探して洞窟中に光の輪が交錯する。その間に腹這いになりながらもクレイ・バントリーは、フラッシュライトを掲げて洞窟の入口に立つ声の主の正体をはっきりと見た。
ジィーンズにTシャツ姿、中肉中背の若い女。
サミュエルが賢明にも予測した通り銃器の類は一切携帯していない。代わりに──
女は胸にカメラをぶら下げていた。
「警官だと? 嘘つきめ! 人を死ぬほど脅かしやがって……!」
クレイはランタンもろとも砂の地面から立ち上がった。
「でも」
女はいったん奥の岩壁の前に立っているサミュエルにライトを当ててその位置を確認してから、再びクレイに光を戻した。
「あんたたちが気づかない間に証拠写真はバッチリ撮ったわよ! 私のカメラはレーザーシャッター付きの高性能なんだから! 暗闇でだってちゃんと撮れるの!」
フラッシュライトを持っていない方の手で胸に下げたカメラのストラップを愛おしそうに撫でると、
「もうあんたたちは逃げられないわ。私が警官じゃないから何だっての? 同じことよ。だって、私がすぐに証拠写真もろとも警察に通報してやるんだから、この忌まわしい殺人鬼ども!」
「だから、俺たちは違う!」
女の方へ躙り寄りながらクレイは辛抱強く繰り返した。
「俺たちは巻き込まれただけだ。話せば長くなるけど、俺たちだって、その、被害者みたいなものだ」
女はせせら笑った。
「よく言うわよ」
「じゃ、よく見てみろよ!」
クレイは高く腕を伸ばしランタンをトーチのように掲げると叫んだ。他に思いつかなかったからだが。
「よく見てみろ! 俺たちが猟奇連続殺人みたいなおぞましい真似、本当にする人間に見えるか?」
「クレイ……」
洞窟の片隅で少年が絶望のため息を吐いたのがはっきりと聞こえた。これでは誰が見たって万事休す──
と、次の瞬間、女は意外な行動を取った。
カメラを掴むとまずクレイ、続いてサミュエルに照準を合わせた。素早くシャッターを切る。
カシャ……カシャ……
「赤外線対応のレーザーシャッターだと? どこがだよ? また騙したなっ……!」
疾風のようにサミュエルが女に突進した。
「フラッシュが走ったぞ! 今撮ったんだ!」
「キャッ……」
女と少年は縺れ合って湿った砂地に倒れ込んだ。その勢いで女の手にしていたフラッシュライトが弾け飛んだ。だが、女はカメラからは決して手を離さなかった。
胸の上、宛ら心臓そのもののように大切に握りしめている。サミュエルは毟り取ろうと躍起になった。
「やめろ!」
慌ててクレイが駆け寄る。ずっと伏せの姿勢で地面に腹這いになっていたスパーキィがビクンと首を上げた。自分が叱られたと思ったのだ。
「やめろ、乱暴はよせ、サミー。そんな真似したら俺たち、本物の犯罪者になっちまうぜ」
「──」
少年は素直にカメラと女から手を離した。手の甲で頬を拭いながら、荒い息のまま女を跨いでクレイの傍へ戻る。
女はゆっくりと上半身を起こした。
「ったく、もう……」
強力なフラッシュライトがどこかへ飛び去って、ランタンの柔らかい明かりの中で見る女が最初思ったよりずっと小柄で若いことにクレイは気がついた。
気がついたことは他にもある。
女の腰の辺りで揺れている髪が洞窟の向こうの空や海と同じくらい真っ黒いこと。凛とした容貌のわりに声が舌足らずで甘いこと。カメラを持つ手が華奢なことはとうに先刻、女がシャッターを切った際気づいていた。
足元にランタンを置いてクレイは静かに尋ねた。
「あんたは何者だ? どうしてこんな真似をする?」
「それを言うなら──あんたたちこそ何者? どうしてこんな真似してるのよ?」
女はクレイの広い肩越しにエルンスト・オレンジを凝視した。
一瞬、顔を顰めたが目を逸らそうとはしなかった。朧な明かりの下で、見ることのできる全てを見ようとしている女の強い意思をクレイは感じ取った。
「もし、本当にあんたたちが殺人犯じゃないのなら──」
さっきより幾分柔らか声で女は訊いてきた。掘り返された死体をカメラで指し示しながら、
「じゃあ、アレは何故?」
縋る思いでクレイは訊き返した。
「本当のことを話したら信じてくれるか?」
「無理だよ、クレイ」
片や、少年は警戒心剥き出しの悪魔滲みた声で呟く。
「よせって、誰が信じてくれるもんか」
だが、ここで、三人はまた別の声を聞く破目になった。
「もしもし?」
第三の声が言った。
「どうかしましたか? そこで何か厄介ごとでも?」