黄の花は色を失い
ルミエハの家にもミモザアカシアが咲いてから、数日たったときの日のことです。
父が私の部屋に来ました。
それ自体は珍しいことではないのですが、父が少し真剣な表情をしているのが気になりました。
どうしたというのでしょう。
さきほどから、一度も離さないまま、父は椅子に座っているのです。
それはいつもリエンが座る場所。
「どうしたのですか?」
「話が、ある」
「はい。それは分かっております」
父は重々しく、ようやく口を開きました。
「リエン・オブスキィトの婚約者が決まった」
「え……?」
「ソーンダーズ侯爵家の、フェリエ・ソーンダーズ嬢だ。美しく、元気な姫らしい」
私は目の前が真っ暗になりました。
確かに私は体が弱いです。
それでも、私はずっとリエンの隣にいることを望んでいたのですから。
「だから……お前はもう、リエンと会うな」
「はい……?」
「婚約者もちの男と、婚約者のいない女が二人きりでいる、というのは、外聞が悪い」
父の言葉は、すなわち、ルミエハ八代目当主のフェルナン・ルミエハの言葉でもありました。
「エルマーとも話した結果だ。リエンにもそう伝わる」
高圧的な声。
すべてを決めてしまう父の声。
私は自由などないのに、こうやって閉じ込められてしまうのでしょうか。
「嫌……」
声が、こぼれおちておりました。
「嫌よ! 嫌!」
「何を……聞き分けるんだ!」
「これ以上、私の自由を奪わないでください! 私が病弱なのは、父母のせいなのに!」
パンッという軽い音とともに、自分の頬に痛みを感じました。
父にたたかれたのだと自覚した時には、父は荒々しく部屋を出て行ってしまいました。
こういう時、私はただ、泣き崩れるしかできないのです。
私はどうやっても、一人で屋敷の外に出ることは叶いません。
私はリエンの名を呼びながら、ひたすらに泣き続けました。
そうして、泣き続けて、私はぐったりとして、そのまま意識を失ってしまいました。
目を覚ますと、頭がぼーっとしていて、どうしてこんなにのどが痛いのだろう、とぼんやり思いました。
「起きたのか」
月明かりがさしこんで、優しい顔をした茶色の髪の青年が見えました。
リエンです。
その姿に安心して、一度起こした身を、そちらに傾けようとして、私はようやく気付きました。
「リエンっ!」
「バカ、静かにしろ。ばれるだろ」
リエンの言葉にハッとして、私は声をひそめて聞きました。
「どうしてここに?」
「……会うなって言われて、おとなしく引き下がるほど、俺は良い子じゃないからな」
リエンもまた、ささやくように言って、私の髪を梳きました。
「目がはれてるぞ。美人が台無しだ」
「それはっ……」
「でも嬉しい」
「え?」
やさしくまぶたに触れて、そして、リエンは囁きます。
「それだけ、悲しく思ってくれたんだろ?」
そういって笑うリエンに、私は顔を真っ赤にして、うつむいてしまいました。
彼の笑顔がまぶしかったからだけではありません。彼の言葉が図星だったからです。
「ありがとう」
彼はそういって私の髪を梳きました。
その手がとても優しくて、私は安心して、ふっと力を抜きました。
それを彼は抱きとめて、しかしすぐに体を離しました。
「これ以上いると、ばれるから。また、来る」
そういってリエンは、窓枠に足をかけ、器用に下に降りていきました。
私は窓からリエンを見送りました。
これからは、寝るときに、ちゃんと窓を開けておこうと、思ったのです。
それからというものの、隙を見てはリエンは顔を見せてくれました。
父は私があきらめたと思っていたようで、食事の時も何も言いませんでした。
しかし私は父を許してはおらず、一度も顔を見ることも、言葉を交わすこともありませんでした。
母が見とがめて、会話を促したこともありましたが、私はそれすら無視しました。
私にとって、リエンは世界であり、すべてなのです。
婚約の話から、二週間後の今日は雨の日でした。
雷が鳴り、風が強く吹き付ける夜でした。
リエンはそれでも、いつものように、みんなが寝静まった真夜中に、私の部屋を訪れました。
「大丈夫か?」
「大丈夫。雷なんて、平気よ」
私は微笑んで、リエンに言いました。
リエンがいるなら、なんだって怖くはないのです。
「あれ……また違うの持ってこないとだな」
以前持ってきてくれた籠の花をさしてリエンは言いました。
黄色の花が涸れて萎れて、色を失っています。
「うん……」
そういって私は少しだけ動きました。
「濡れてるから、ちょっと待て」
そのままリエンに抱き着こうとした私を止めて、リエンは持っていたタオルで服と髪を拭きました。
そうして、いつもの椅子に、彼は腰掛けました。
そして私に何か言おうと口を開きかけたのです。
「大丈夫か?」
それと同時に、ノックもせずに扉が開け放たれました。
そして、入ってきた人物は、リエンを見るなり、顔を真っ赤に染めました。
それは、恥じらいではなく、間違いなく怒りからです。
入ってきたのは、父でした。
「何をしているっ!」
真夜中だと言うのに、屋敷中に響き渡りそうな大声で、父は叫び、部屋にずかずかと入ってきました。
「リエンっ!」
私はおもわずリエンの腕をつかんでいました。
リエンもまた、私を庇うようにして、立ち上がりました。
「お前は婚約者がいるのだろう! ミモザにこれ以上関わるなっ!」
「俺はミモザのことが好きなんです!」
「それは妹に対する感情と同じだ!」
「違います! それは父にも何度も言いました!」
「うるさいっ! 出ていけっ!」
父が叫ぶので、屋敷の人間が集まってきました。
そして父の指示に従って、リエンを部屋の外へと連れ出してしまいます。
「リエンっ」
「ミモザっ!」
リエンが部屋の扉から出て行ってしまった時、私は絶望感に襲われました。
きっと警備も増えて、リエンは私に会いには来れなくなってしまうのです。
「聞け! いいか? オブスキィトとルミエハは、兄弟なんだ! 兄弟のように寄り添い、助け合い、しかしそれ以上に交わることはしない! それがオブスキィト家とルミエハ家の正しい距離感なんだ!」
父の言葉は、私には全く響きませんでした。
私は泣いていました。
リエンの名を呼んで、それでも、今夜はあの日以上に暴れて、泣き叫びました。
今日もまた、意識が遠のきました。
体力を使い果たしてしまったようなのです。