黄の花は咲き誇る
窓の外に広がるのは、澄み切った青空と、木々のざわめき、小鳥のさえずり。
それは、とても遠いものでした。
私にとっては、見えているけれど、手の届かないもの。
私の唯一手の届く、大切な人は、今日も家にやってきました。
窓の外に見える道に立つ青年が、私に手を振っています。
彼はとても整った顔立ちをした青年です。
女性にとても人気があるらしい彼は、私の幼馴染であり、私の大切な人でもあります。
このシュトレリッツ王国の標準的な色ではない、茶色の髪に、茶色の瞳。
私はシュトレリッツ王国、通称トレリの国民の標準装備である、金髪碧眼のため、少しだけうらやましいのです。
そんな彼に手を振りかえして、そのあと、私が庭まで走っていって、彼を出迎えることができたらどんなに素晴らしいでしょうか。
しかし、それはできないのです。
私の体は、走ることができるほど、強くないのです。
だから私はこうやって、窓枠に体をもたれかからせて、窓の外から世界を見ることしかできません。
外の世界は、窓からと、彼の話からとの、二つからしか見ることはできないのです。
私がため息をつくと、ノックする音が聞こえました。
それはきっと、彼でしょう。
「どうぞ」
だから私は声をかけました。
すると、扉が開いて、彼が部屋の中に入ってきました。
日に焼けた彼の健康的な肌が、とてもとてもうらやましいのですが、それは言いません。
そんなことを言ってしまえば、彼はきっと困るでしょうから。
「おはよ、ミモザ」
「おはよう。今日も来てくれてありがとう、リエン」
「どういたしまして」
リエンはふっと笑って、私のいるベッドの傍にいる椅子に腰かけます。
これはもう、決まっていることなのです。
「それ、なあに?」
リエンが持っている小さな籠を見ながら、私は聞きました。
「これは、お前だよ」
「え?」
「ミモザアカシア」
はじめ、彼の言葉にうまく反応できなかった私ですが、続いて言われたその言葉に、ようやく理解ができました。
私の名前はミモザ・アカシア・ルミエハ。
ファーストネームとミドルネームを続けて読むと、ミモザアカシアという花の名になるのです。
私はこんなに病弱なのに、名前の由来が、黄色い鮮やかな花をたくさん咲かせるミモザアカシアのように、元気いっぱいに育ってほしい、というものなのですから、なんという皮肉なのでしょう。
「ほら」
リエンはそっと籠にかけられていた布をとって、私に見せてくれました。
すると、甘い香りがふわりと広がり、籠の中には黄色い花と、銀色みを帯びた葉が入っていました。
「これはうちの家に咲いてたやつ」
「オブスキィト家の方が咲くのが早いのかしら……?」
「そうかもな。まあ、このうちでも、明日にでも咲くだろ」
ここにおいとくぞ、と言って、部屋の中にある小さなテーブルに、籠を置いてくれました。
家に咲いたものを、一番に持ってきてくれたリエンの心遣いに感謝しながら、私は窓の外をちらりと見ました。
二階にある、私の部屋の窓から見えるような位置に、ミモザアカシアの木はあるのですが、ルミエハ家のミモザアカシアは、まだ花を咲かせていません。
「でも……今年ももう、こんな季節」
去年の春から今年の春になるまでに、私はいったい何回外に出ることが叶ったのでしょうか。
両手の指で足りてしまうほどの回数しか、家の外に出れていないことは、間違いありません。
「いつか元気になったら、いろんなところに連れてってやるからさ」
励ますようにリエンがポンポンと頭をたたいてくれますが、私はもう、十八です。
少し子ども扱いされている気がして、むっとした表情でリエンの方を見ました。
「なんだよ? いじけてるのか?」
「リエンが子ども扱いするから……」
「大人……って感じでもないだろ」
リエンがそんなことを言うので、私はますますむっとして、そして悪戯を思いつきました。
私はリエンの腕を引っ張るようにして自分の体を起こし、そのまま顔を近づけました。
「おいっ、ミモザ……」
慌てたように声をあげたリエンを無視して、私はそのまま彼に口付けました。
唇が触れていたのは、ほんの数秒ですが、リエンの顔を真っ赤に染め上げるには、十分な時間でした。
「子供はこんなことしないと思うの」
いたずらっぽく笑ってリエンを見ると、彼の茶色の瞳が、少しいつもより熱を帯びて、赤みがかっているように見えました。
そしてあっと思った瞬間には、今度はリエンに引き寄せられて、彼の腕の中にすっぽりと収まっていました。
そして彼は、角度を変えて、なんども私に口づけを落とします。
さすがに今度は私の方が恥ずかしくなってしまって、彼の胸を押して逃れようとしますが、彼は離してはくれません。
女の、そして病弱な私がリエンにかなうはずもなく、しばらくの間、私はされるがままになっていました。
ようやく気がすんだのか、彼が私から少しだけ離れて、こちらを見ました。
その表情はとても晴れ晴れとしていて、そうして、どこか意地悪な笑みを浮かべていました。
「顔、真っ赤だぞ」
指摘されずとも、そんなことは分かっているのです。
顔も赤ければ、息も絶え絶えなのですから。
意地悪なリエンを、睨みつけてみると、リエンはにっと笑って言いました。
「考えなしのお前が悪い」
そういってリエンは私が膨らませた頬をつつきます。
「だって、リエンが……」
「本気で餓鬼だとは思ってない。でも、だからこそ、それが危険だって、分かるべきだと思うぞ?」
リエンが呆れたように私にそう言いました。
その意味が分からないほど、私は純情ではないのです。
それでも私は首を横に振りました。
「リエンだったら……いいもの」
小さくつぶやいた私の言葉は、リエンを動揺させることに成功したようです。
再び真っ赤になったリエンは、さっと私から視線を反らしました。
「ったく……。これだから、妹なんて思えるわけないのに……」
「妹?」
その響きは、なんだか嫌なのです。
私はリエンを、一人の男性として見てしまっているのですから。
「ああ。いや、世間的には、オブスキィト家とルミエハ家は、アンリの兄弟の家系で、永久に公爵家だろ? だから、それで兄弟公爵家と呼ばれるほど、世間の認識は両家は親戚って感じなんだよ」
リエンの言葉になるほどと、私は思いました。
私の家のルミエハ家は、シュトレリッツ王国の建国者かつ、英雄として名高い、アンリ・シュトレリッツの一つ下の弟の子孫です。
そして、リエンの家のオブスキィト家は、アンリの三つ下の弟の家であり、この両家は、王国二大公爵家として名を馳せていまして、王家の血がいくら遠くなろうとも、永遠の公爵家という扱いを受けている、少し特殊な家なのです。
「でも……親類でなく、家臣になったからこそ、姓も変えたのに。それに、両家は一度も婚姻したことがないから、血は遠いのに……」
今代ルミエハとオブスキィトは、すでに八代目であり、そうとうな年数がたっているため、王家とルミエハ、オブスキィト家は、もはや親類とよぶには血が遠すぎるのです。
「だよな。まあ、俺もお前が妹だと困る」
微笑んで、優しく私の髪を触れるリエンに、私は胸が高鳴るのを感じました。
ずるいのです。
私ばかりがドキドキするのです。
「好きだよ……ミモザ」
そんな風に甘くささやかれて、私ばかりが、余裕がないのです。
「私も……好き。何よりも、好き、です……」
私がそういって言えば、リエンがふっと近づいてきて、もう一度、軽く触れるだけのキスをしました。
私はこうやって、幸せな毎日を過ごしていたのです。
あの日までは。