## 94話 サント酒造の数字
## 94話 サント酒造の数字
「こんにちはー!」
クララの明るい声が、サント酒造の中庭に響いた。
木の樽が積まれた一角から、前掛け姿の男が顔を出す。
サント酒造の当主、ガレンさんだ。
「おや、クララちゃん、こんにちは! それにライム君たち。この前は本当にありがとうございました」
「ううん、こっちこそ、これから一緒に頑張っていこう。ヤブタさんいる? 打ち合わせしたいです」
「ええ、事務所にいますよ。どうぞ」
ガレンさんが先導してくれて、俺たちは母屋につながる事務所に入った。
帳簿と紙束が山になっている机がふたつ。
その向こうに、ヤブタさんと、横に奥さんが座っている。
その対面に、俺とレノとクララ、それからガレンさんが腰を下ろした。
「ライム坊、この前の話じゃな?」
ヤブタさんが、眉毛を持ち上げる。
「うん。3カ月後に金貨500だよ。そのうち400までは、こっちで何とかする」
俺は指を2本立ててから、もう1本足してみせる。
「残りの100は、ウイスキーで何とかするつもり。だから、いろいろ教えてほしいんだ」
〈口に出すと、改めて数字のデカさが刺さるな〉
「3カ月で金貨100ですか……」
ガレンさんが目を丸くする。
「そんなこと、できるんでしょうか」
「大丈夫だよ。ライムはすごいんだから」
クララが即答した。胸を張っている。
「はい。ナンバーツーの言うとおりです」
レノまで真顔で言う。
〈クララはともかく、レノからも絶大な信頼……〉
〈もう、『できませんでした』は許されないやつだな〉
「それで、だ」
気持ちを切り替えて、本題に入る。
「全盛期から出荷量も落ちて、人も減らしてきたと思うけど。今の人数のままなら、エールはどれくらい作れるかな」
「そうですね……人数は変えず、ということであれば」
ガレンさんは指を折って、頭の中で数えている。
「今の2倍くらいまでは、いけると思います。今は、エールが月に600樽くらいです」
「1200までは問題なく行けるじゃろう」
ヤブタさんがうなずいた。
今の人員でフル稼働したら、2倍。
エール換算1200樽。
「今600ということは、売上が金貨180なので……」
横でレノが、さらさらと紙に数字を書きながら口にする。
「出し値は1樽あたり、金貨0.3枚ですね」
金貨0.3枚は、前世の感覚だとだいたい30,000円相当だ。
〈やっぱり計算、俺より早い〉
「確か、炎の鍋亭ではエール1杯、銅貨5枚だったよね」
銅貨5枚は、前世の感覚だと500円くらいだ。
俺が付け加えると、ガレンさんがうなずいた。
「そうですね。こちらからベック爺さんなどの酒屋への出し値が、1樽金貨0.3です。店には、金貨0.35くらいでいってるはずです」
「エステルエールは?」
「エステルエールは、1樽金貨0.25で店に行ってると聞いています」
「エールの相場は、店でだいたい銅貨5枚じゃな」
ヤブタさんが、腕を組んで言う。
「それより高いと、客が他に流れちまう」
〈味で勝ってても、店からしたら『利益が薄い酒』ってことか〉
店としては、味よりも利益率の高いエステルエールを使いたい構図か。
「エールだけで売上を伸ばすのは、厳しそうですね」
レノが素直に結論を口にした。
「そうだね」
俺も同意する。
「だからサントエールは、今までどおり600樽で既存のお客さんを守る。それとは別に、追加の600樽をウイスキー用に回す、っていうのはどうかな」
「エールを守りながら……」
ガレンさんが、感嘆したように息をのむ。
「すごい。そんなこと、考えたこともありませんでした」
「そこから先の数字を詰めるのに、コストをもう少し『ブレイクダウン』したいんだけど」
俺が言うと、すかさず隣でクララが手を挙げた。
「『ぶれいくだうん』はね、『紐解く』ってことだよ」
クララは前に話した昔の単語をよく覚えてるな。
ガレンさんが、ちょっと感心したような顔になる。
「えーと、費用は、原料や薪代など生産にかかわる部分で月に金貨90です」
彼は帳簿をめくりながら続けた。
「従業員や私たちの生活費など、いつもかかるのがもろもろで金貨70。合わせて金貨160ですね」
固定費は70。
変動費は、エール1樽あたり金貨0.15――そんなところか。
「固定でかかる部分は変えずに、生産を2倍にすると……」
レノが、さらさらと数字を書き足していく。
「原料などの変動分が金貨180になるので、固定70と合わせて金貨250になりますね」
「うん」
レノは、本当に優秀だ。
俺の頭の中と、ほとんど同じ速さで答えにたどり着いている。
「ウイスキーで、蒸留する工程が増えるから」
俺は、レノの紙に数字を書き足した。
「そこにプラス10くらい、かかるとして。変動費は合計で金貨190かな。あとは、ウイスキーでどれだけ売り上げを出すか、だね」
〈コストは見えた。ここから先は、完全に『売り方勝負』だ〉
クララが、いつものようにピンと手を上げた。
「はい!」
クララは椅子の上でちょこんと座り直して、みんなの顔を順に見回した。
「えっとね」
指を1本ずつ折りながら、ゆっくり話し始める。
「まず、今のままだと、エールは月600樽で、サントさんの手元に残るのは金貨20だけ」
「……はい」
ガレンさんが、苦笑いを浮かべる。
「でも、人は増やさなくても、がんばればエールを1200樽ぶんまで作れる」
2本目の指が折られる。
「そのうち600樽は、今までどおりエールとして売って、今のお客さんを守る」
3本目。
「残りの600樽ぶんは、ウイスキーにする。だから、ウイスキーをちゃんと売れるようにすれば……いっぱい儲かる! サントさんの『がんばったごほうび』だね!」
事務所の中の空気が、一瞬だけ止まったあと――。
〈言い方は子どもっぽいのに、言ってることはだいぶエグいな〉
「そんなふうに、なるんでしょうか」
「やることは、そんなに増えないはずです」
レノが、落ち着いた声で口を挟んだ。
「今の人数で釜を回す手順を少し変えて、ウイスキーの蒸留を足すだけですから」
「もちろん、楽ではないけどね」
俺は笑って、椅子から少し身を乗り出した。
「でも、エール600は守る。ウイスキー用の600は、今まで捨てていた『空き時間』で作る。そう考えれば、やる価値はあると思う」
〈サントの100年分の積み重ねに、『もうひとつの柱』を足すイメージだ〉
「じゃあ、次は『ウイスキーをどうやって売るか』だね」
その一言で、事務所の空気が、少しだけ前向きな熱を帯びた気がした。




