## 84話 2人の決意
## 84話 2人の決意
【レノ視点】
組合長室を出て、俺たちは炎の鍋亭へ向かって歩いていた。
夕方の賑やかな市場通りの真ん中を歩いているライムは、さっきからほとんど喋っていない。
〈さっきの話の後半から、心ここにあらずって顔をしていたな〉
俺――レノは、少し後ろから、その小さな背中を見つめる。
組合長やテンドーさんの話。
ガラワ組の現状。
『危ないから、関わるな』と言われたこと。
頭では、全部分かっているのだろう。
それでも、納得できない顔をしている。
〈『サント酒造と一緒にやりたいんだ』〉
あの声が、まだ耳の奥に残っている。
――
姉さんから手紙を受け取った日のことを、思い出す。
『過去のことは気にせず、お前はお前の好きなように生きなさい』
手紙の一番最初に、そう書かれていた。
『きっと、あなたが“仕えたい”って思える人が現れる。
そのとき、その人のところへ行きなさい。
私は、その人がライムさんだと思っている』
それが、姉さんの結論だった。
――
俺と姉さんは、「家なし」だった。
物心ついたころには、もう両親はいなかった。
捨てられたのだと聞かされた。
暑い日も、寒い日も、ただ生きるために、その日食べるものを探した。
ある日、とうとう空腹に耐えられなくなって、店先のパンを盗んだ。
その手首を、がしっと掴んだのが、バルドさんだった。
「盗みは、駄目だ」
低くて、よく通る声だった。
怖かった。
怒鳴られると思った。
殴られるか、役人に突き出されるかと覚悟した。
でも、違った。
「腹が減ったなら『助けを求めろ』。
盗んでいい理由にはならんが、腹が減ること自体は仕方がない」
俺も、姉さんも、徹底的に叱られた。
そのあとで、温かいスープと、焼きたてのパンをもらった。
あのときの味は、今でも覚えている。
それから――。
バルドさんは、俺と姉さんを引き取ってくれた。
住む場所をくれて、読み書きを教えてくれて、剣の握り方を教えてくれた。
怒るときは本気で怒った。
褒めるときは、少しだけ照れた顔で褒めてくれた。
俺にとっては、素晴らしい大人で、先生で、父だった。
〈一生をかけて、この人に恩返しをしたい〉
そう思っていた。
だから、俺も姉さんも、がむしゃらに頑張った。
誰よりも勉強して、誰よりも鍛錬した。
ギリギリの成績なんて、許したことはない。
常に一番を目指してきた。
その結果、姉さんと俺は、そろって王立学院に入ることができた。
学院でも、勉強は上位、剣術は負けなし。
〈これでようやく、『仕える』ことができる〉
本気でそう思っていた。
でも――。
「ノーラがいてくれるだけで、俺には十分すぎる」
ある日、バルドさんはそう言った。
「お前は、お前の好きなように生きろ。
『俺のため』じゃなくて、『お前自身のため』に決めろ」
姉さんも、同じことを言った。
『レノ。あなたは、あなたの好きにしなさい。
私がいるから大丈夫。あなたは、あなたの人生を選びなさい』
優しい言葉だった。
でも――そのときの俺は、何もかも失った気分だった。
〈バルドさんに仕えることだけが、俺の『答え』だったのに〉
それができないと知った瞬間、心の半分くらいが空っぽになった。
バルドさんに紹介してもらって、軍に行くことにした。
正直、そこで幹部になるくらいは、できる自信があった。
でも、心はまったく躍らなかった。
そんなときに、姉さんからの手紙が来た。
『面白い少年がいる。
あなたが“この人のために働きたい”と思えたなら、そのときは、そこで働きなさい』
〈そんなに都合よく、『仕えたい』と思える人間なんて現れるか?〉
でも、姉さんがわざわざ名前を書くくらいだ。
「とりあえず会ってみよう」
それが、ここに来た理由だった。
――
初めて見たライムは、小さかった。
賢そうな目をしているとは思ったが、それだけだとも思った。
少なくとも、最初の印象は『ただの少年』だった。
けれど。
「誰かに言われたからそうするなんて、『つまらない人間』はいらない」
そう言ったとき、胸のどこかが揺れた。
〈『勧められたから軍に行くつもり』でいた〉
言われたから。
決めてくれたから。
だから、その道を選ぼうとしていた。
そんな俺に向かって、この少年は、きっぱりとそう言った。
〈この子は――こんなに小さいのに、自分の足で立とうとしている〉
そして、今日。
「俺は、『あの人たちと一緒にやりたい』んだ!」
組合長室で、必死に声を上げた姿を見た。
守りたいもののために、危ない橋だと分かっていても、前に出ようとする。
その姿を見て、胸が熱くなる。
〈この少年なら――〉
〈ライムさんなら、俺はもう一度、『仕えたい』と思えるかもしれない〉
――
そんなことを考えているうちに、炎の鍋亭が見えてきた。
店の手前で、俺は意を決して、口を開く。
「ライムさ――」
「あーーっ!」
俺の言葉を、全力の叫び声がぶった切った。
「こうなったら、『サント酒造』も、『ガラワ組』も、みんな一遍に取り込んでやる!」
ライムが、空に向かって叫んでいた。
小さな拳をぎゅっと握りしめて、真っ赤な顔で。
「……」
思わず、言葉を失う。
〈やっぱり、この人はとんでもない人だ〉
どうしても、目を離せそうにない。
胸の奥で、静かに何かが決まっていくのを感じながら――。
俺は、飲み込んだ言葉を、そっと心の中で言い直した。
〈ライムさん
俺は、あなたに仕えたい〉




