## 78話 サント酒造の工場見学
## 78話 サント酒造の工場見学
「みんな、よく来たな! わしは先代のヤブタじゃ。酒造り一筋、50年じゃな」
そう言って、どんと胸を叩く。
「酒の作り方が見てみたいんだって?」
「はい!」
クララが元気よく手を上げた。
「はい。炎の夜明け商会のライムです」
俺も一歩前に出る。
「新しいお酒を作りたくて……でも、お酒の作り方も分からないから、見学させてもらって、いろいろ教えてほしいです」
ヤブタさんは、じっと俺の顔を見てから、ふっと目尻を緩めた。
「ベックから話は聞いとったが……本当に賢そうな目をしとるな」
「へっへ」
後ろでベック爺さんが、鼻を鳴らす。
「酒造りは簡単じゃないぞ」
ヤブタさんは、わざとらしく咳払いをひとつして言う。
「麦と水と酵母だけじゃない。手間も時間も根気も要る。
ちゃんと聞いて、ちゃんと見て、ちゃんと『匂い』まで覚えて帰るんじゃ」
「はい!」
そこへ、さっきの男が戻ってきた。
「遅れました。私が当主のガレンです。サント酒造の現当主です」
俺たちの前で、ていねいに頭を下げる。
「こんな小さな子たちが、酒造りの仕事に興味を持ってくれるなんて、嬉しいですね」
「ははは」
ベック爺さんが、笑いながら肩をすくめる。
「ヤブタよ。この子たちは、本当にすごい子たちじゃぞ。
『お前さんのところ』も、そのうち助けてくれるだろうて」
「何を言っとるかと思えば」
ヤブタさんは、がらっぱちに笑った。
「まあ、これだけの年で『社長』やっとるんじゃからな。
大人になったら、うちの酒をたくさん飲んでくれよ。わははは」
〈まあ、普通は『ちょっと賢い子ども』くらいの扱いだよな〉
〈それくらいの距離感のほうが、今はちょうどいいか〉
「はい。必ず力になります。今日は、よろしくお願いします」
俺は、きちんと頭を下げた。
「よし。じゃあ、まずは外からじゃな。ついてこい」
ヤブタさんが、ぐいっと歩き出す。
――
最初に案内されたのは、水車のそばだった。
「さっき外から見えとったじゃろ。あの水車じゃ」
ヤブタさんが、回る水車を指さす。
「ノール川の支流の水を引いてな。あれで『石臼』を回しとる」
小さな小屋の中に入ると、ゴウンゴウンと低い音が響いていた。
大きな石が、ゆっくりと回っている。
その隙間に、大麦がざらざらと流れ込み、粉になっていく。
「大麦は、そのままじゃ使わん」
ヤブタさんが、手に掬った粉を見せてくれる。
「こうして『挽いて』から、仕込みに使うんじゃ。
細かすぎてもあかん。荒すぎても味が出ん。
この加減を間違えると、えらいことになる」
「ちなみにだな」
ベック爺さんが、後ろから口を挟む。
「サントの挽き方は、『少し粗め』なんじゃ。あれが、あの独特の香りを出しとる」
「ベック、お前は黙っとれ。説明はわしの仕事じゃ」
ヤブタさんが、むくれたように言うと、クララがくすっと笑った。
「喧嘩はだめだよ?」
――
次は仕込み場だ。仕込み場は、ほんのり暖かかった。
大きな木の桶――というには巨大すぎる樽が、並んでいる。
「ここが、麦と水を混ぜて『糖を取り出す』ところじゃ」
ヤブタさんは、木べらを持ち上げて、桶の中をぐるりとかき混ぜる。
「挽いた麦に、湯を入れて、ゆっくりかき混ぜてな。甘い汁を出していく。
この甘い汁を、『麦汁』って言うんじゃ」
「甘いの?」
クララが首をかしげる。
「少しだけ舐めてみるか」
ヤブタさんが、小さなひしゃくで少しすくって、木のスプーンにとる。
「熱いから、気をつけるんじゃぞ」
クララがぺろっと舐めて、目を丸くした。
「……ほんとに甘い!」
「だろう?」
ガレンさんが、穏やかに笑う。
「ここでちゃんと糖が出てないと、このあと酵母を入れても、お酒にならないんですよ」
〈なるほど。糖分が酒になるんだな〉
「次は、酵母じゃ」
ヤブタさんが、奥の部屋を指さす。
――
少しひんやりした部屋に入ると、大きな樽がずらりと並んでいた。
さっきよりも、どこかピリッとした匂いがする。
「ここで、『麦汁』に酵母を入れて、発酵させる」
ヤブタさんは、樽の蓋を少しだけずらした。
ふわっと、エール特有の香りが広がる。
「見てみい」
中では、液面に細かい泡がびっしりと浮かんでいた。
「これが、酵母が『仕事しとる』印じゃ。
こいつらが糖を食べて、酒と泡を吐き出す。
温度が高すぎても、低すぎてもあかん。
酵母が好きな温度を保ってやらんと、いい酒にはならん」
「エールの匂いだ……」
テトが、小さく呟く。
「そうだな」
俺も、そっと鼻を近づける。
〈酵母が仕事して、アルコールと炭酸になるんだな〉
「ここまでは、どこも似たようなもんじゃがな」
ヤブタさんは、誇らしげに胸を張る。
「サントの『肝』は、このあとの樽じゃ」
――
さらに奥へ進むと、ひんやりした貯蔵庫に出た。
薄暗い中に、樽が何十本も並んでいる。
木の香りと、エールの香りが混ざっていて、なんとも言えない空気だ。
「ここで、船積み用のエールと、樽熟成のエールを分ける」
ガレンさんが、代わりに説明を引き継ぐ。
「早く出すものは、軽めの樽に短く。
じっくり寝かせたいものは、木目の違う樽に長く――って具合です」
「樽によって、味が変わるんだよね?」
俺が確認すると、ヤブタさんがニヤリと笑った。
「分かっとるじゃないか。そうじゃ。
木の種類、焼き具合、前に何を入れとったか……全部が味に出る」
〈ここ、ウイスキーとの『接点』だな〉
樽を見回しながら、頭の中で勝手にメモを取っていく。
〈水車での粉挽き〉
〈仕込みの温度と時間〉
〈発酵の管理〉
〈樽の選び方〉
どこも、すぐには真似できない『積み重ね』だ。
「質問はあるか?」
ヤブタさんが、ぐるりと俺たちを見渡す。
クララが、真っ先に手を挙げた。
「えっと……ここまで作ったエールを、そのまま飲むのと、樽で寝かせたのって、どれくらい違うの?」
「ほう」
ヤブタさんが、嬉しそうに目を細める。
「いいところを聞くのう。……ガレン、試飲を出してやれ」
「はい」
ガレンさんが、小さなグラスをいくつか用意して、ほんの少しだけエールを注ぐ。
「子どもたちは、舐める程度でね」
「ありがとうございます」
まずは、できたてに近いエール。
次に、樽で少し寝かせたもの。
最後に、長く寝かせたもの。
一滴ずつ舌にのせる。
「……全然違う」
思わず、声が漏れた。
香りの広がり方。後味の長さ。
同じエールのはずなのに、まるで違う。
「これが、『時間と手間の味』じゃ」
ヤブタさんが、静かに言う。
「酒造りはのう。急いではいかん。
ただ『量を増やす』だけじゃ、どこかで必ずほころぶ。
わしらが守ってきたのは、『時間をかける意味』じゃ」
〈この人、『頑固』っていうより、『筋の通し方が固い』んだな〉
借金のこと。
ガレンさんの疲れた笑い。
さっきの取り立ての連中。
全部ひっくるめた上で、それでも『味だけは譲らない』っていう覚悟が伝わってくる。
「……すごいや」
俺は、小さくうなずいた。
〈数字だけじゃ測れない『価値』が、ここに詰まってる〉
〈M&Aどうこう言う前に、『この蔵が何を大事にしてるのか』を、ちゃんと理解しないとな〉
「さあ、まだまだあるぞ」
ヤブタさんが、手を叩く。
「次は、水と酵母の話じゃ。サント酒造の心臓部分よ」
そう言って、俺たちをさらに奥へと導いていくのだった。




