## 77話 サント酒造の門前
## 77話 サント酒造の門前
3日後の朝。
今日は、いよいよサント酒造の工場見学だ。
山盛りの朝食をかき込みながら、今日の段取りを頭の中でなぞっていく。
「今日はサント酒造に行くんだったな」
パンをかじりながら、父さんが言う。
「うん。テトに馬車を出してもらって、クララとベック爺さんと、4人で行ってくるよ」
「気をつけていってこいよ」
「ありがとう。……お弁当のほうは、どんな感じ?」
「順調だぞ」
父さんは、少しだけ得意そうに胸を張る。
「昨日、弁当箱も届いてな。みなさんも普段から料理してるだけあって、段取りも早い。むしろ賑やかすぎるくらいだ……明日からは『200食』でいけるだろう」
「みんな張り切ってるわよ」
母さんも笑う。
「母友たちは、とりあえず8人で当番を決めて回せそう。休みたい日があっても、誰かが代わってくれるって、すごく喜んでたわ」
〈母友ネットワーク、完全に仕組み化に成功してるな〉
食器を片付けて、軽く身支度を整えると、俺はテトとクララを連れて炎の鍋亭を出た。
――
ベック爺さんの酒屋に着くと、すでにテトの馬車が入り口に横づけされていた。
「みんな、お揃いじゃな」
店から出てきたベック爺さんが、俺たちを見て目を細める。
「じゃあ、テト。頼むぞ」
「了解!」
テトは元気よく返事をして、御者台によじ登る。
「市場を抜けて、その先の街の塀を出てすぐだよ。1時間くらいで着くと思う」
「クララ、揺れるからちゃんとつかまっててね」
「うん!」
クララは、わくわくを隠しきれない顔で頷いた。
俺たちは馬車に乗り込み、ロンドールの街を後にした。
――
馬車が石畳から土の道に変わるころ、景色もだんだんと開けてくる。
〈リバーシは、今『1日50セット』〉
〈テンドーさんのところには全部捌けてるし、街でも口コミで広がってる。まだ供給不足は続いている状態だ〉
カチさんとラークが、もう1台プレス機を完成させてくれれば、1日100セット。
〈それでも、しばらくは『足りない』が続くだろうな〉
〈品薄だからこそ、『なかなか手に入らない』って噂が広がっている可能性もある〉
嬉しいような、怖いような。
そんなことを考えていると――。
「見えてきたよ!」
御者台から、テトの声が降ってきた。
馬車の布を少しめくると、視線の先に、こぢんまりとした酒造の建物が見えた。
街道から少し外れた場所に、石造りと木造を組み合わせた建物。隣には小さな川が流れ、その脇に大きな水車が回っている。
クララが、思わず身を乗り出した。
「わぁ、水車だ! かっこいい!」
〈ノール川の支流か〉
〈水車って、実物を見るのは初めてだな〉
素朴だけど、どこか誇りを持って建てられた建物。
ただ、壁の一部はくすんでいて、ところどころ修繕が追いついていないのが分かる。
「クララとライム坊」
ベック爺さんが、水車のほうを顎で示す。
「あの水車の隣の小屋でな。大麦を挽くんじゃ。まあ、その辺も、いろいろ聞いてみるとええ」
馬車が門の前で止まる。
そこには、あまり見たい感じのしない光景が広がっていた。
――
入り口前で、ガラの悪そうな2人組が、門のところで騒いでいた。
その前で、いかにも人のよさそうな中年の男が、何度も頭を下げている。
「今月分は、もうお支払いしたじゃないですか」
中年の男――たぶん、ここサント酒造の主人が、弱々しい声で言った。
「あれは『利息分』だろうが」
片方の男が、胸ぐらをつかむような勢いで詰め寄る。
「それじゃあ、いつになっても終わらねえぞ」
「そんな……最初に決めた金額で、足りてたはずじゃ……」
「利息ってのはなあ、『どんどん増える』もんだ」
もう1人の、明らかに親分格の男が、わざとらしく笑う。
「きっちり返せねえようじゃ、こっちにも『考え』があるぞ」
〈マジか。完全に『時代劇で見たやつ』だ〉
〈こういうの、本当にあるんだな……〉
空気が重くなった、その瞬間。
「こんにちは!」
クララの声が、場の空気をぶった切った。
〈天使か〉
あまりにも明るい声に、親分格の男がこちらを振り向く。
「けっ……」
舌打ちして、そっぽを向いた。
「まあいい。……また『来月』来るからな」
そう吐き捨てると、2人は俺たちの横を通り過ぎ、門を出ていく。
すれ違いざまに、片方が地面に唾を吐いた。
「ふん」
あまりいい匂いのしない煙草の匂いが、少しだけ残る。
「いやはや……」
ベック爺さんが、小さくため息をついた。
「ガレンよ。大変じゃな」
「お恥ずかしいところをお見せしました。すいません」
さっき頭を下げていた男――ガレンさんが、俺たちに気づいて慌てて頭を下げる。
〈この人が、『サント酒造の現当主』か〉
優しそうだけど、疲れた笑い方だ。
「ええ。わしも、お前さんとこの酒が、少しでも多く出るようにしてるつもりなんじゃがな……」
ベック爺さんは、肩をすくめてから尋ねる。
「ヤブタはおるか?」
「はい。呼んできます」
ガレンさんは、気を取り直したように頷いた。
「事務所にどうぞ。……みなさん、こんにちは。よく来てくれましたね。あっちで少しお待ちください」
「こんにちは!」
「こんにちは!」
「よろしくお願いします!」
クララと俺とテトも、順番に挨拶する。
ガレンさんは軽く会釈をすると、事務所の奥へ向かっていった。
――
薄い扉の向こうから、男の声が聞こえてくる。
「もう帰ったか」
きっと、これが先代――ヤブタさんの声だ。
「帰ったよ」
ガレンさんの声が返る。
「でも、『利息分』しか払えてないって。……もう、正直限界だよ」
「何を言っておるんじゃ」
ヤブタさんの声が、一段大きくなる。
「うちは『100年続く老舗』じゃぞ。そんなことで音を上げてどうする。何とかせい!」
「親父、声が大きい。お客さん来てるって」
「それを早く言わんか!」
〈声がでかいから、全部筒抜けなんだよなぁ〉
でも、おかげで、大体の事情はつかめた。
借金。膨らみ続ける利息。
それでも、『100年続けてきた酒造』を守りたい、先代の意地。
しばらくして、その『声の持ち主』が姿を現した。
ごつごつした手。年季の入った前掛け。
目尻にはしわが刻まれているのに、目そのものはギラリと光っている。
「おやまあ!」
ヤブタさんは、俺たちを見て目を丸くした。
「可愛いお客さんじゃのう。サント酒造へ、ようこそ!」
〈頑固そう、だけど……嫌な感じの人ではなさそうだ〉
そう直感しながら、俺は軽く頭を下げた。
こうして――サント酒造の工場見学が、いよいよ始まろうとしていた。




