## 75話 母友ネットワークとベック爺さん
## 75話 母友ネットワークとベック爺さん
炎の鍋亭に帰ってくると、入口の外まで届くくらいの大きな笑い声が聞こえてきた。
〈なんだ、このボリューム〉
〈どこの世界でも、『母の世間話の響き』って同じなんだな〉
そう思いながら、戸を開ける。
「ただいまー」
「ライム!」
カウンターの向こうから、母さんがぱっと顔を出した。
「ちょうどいいところに帰ってきたわ。ほらみんな、これがうちの社長よ!」
テーブル席には、見慣れない大人の女性が3人。みんなエプロン姿で、お茶を片手に盛り上がっている。
「あら、可愛い社長さん」
「すごいのねぇ。こんなに小さいのに」
「うちの子と、どうかしら?」
いきなり矢継ぎ早に飛んでくる声。
「だめよ。うちの子は、もう決まってるんだから」
母さんが、さらっと爆弾を投げてくる。
〈決まってないからな〉
心の中でツッコミながら、店の中に入る。
「母さん、この人たちは?」
「ええ、お弁当の人よ」
母さんが、にっこり笑う。
「さっき、弁当のお仕事の話をしたの。午前だけで銀貨3枚って言ったら、すぐ『やりたい』って。とりあえず、ここにいる3人と、あと5人くらいは声がかかってるわ」
「そんなに?」
思わず声が上ずる。
「でも、今は2人だけって話だったよね?」
「いいのよ。お小遣い稼ぎに、順番で入ってもらえばいいじゃない」
母さんが軽く言うと、さっき「こんなに小さいのに」と言っていた人が、笑いながら続けた。
「ええ、ちょうどいいのよ。最近、子どもも大きくなってきて、時間ができてきたところだし」
「私も、声かけたらもっと集められるわよ?」
「可愛い社長さん」と言った人が、楽しそうに言う。
〈母友ネットワーク、恐るべしだな〉
〈でも、働きたい人がたくさんいるってこと自体は、悪い話じゃない〉
端の席で、父さんがちょこんと座っていた。どうやら、女の人たちのテンションに圧されて肩身が狭かったらしい。
俺と目が合うと、ちょっとほっとした顔をする。
「ライム、数人で回すのもいいかもしれないぞ」
父さんが、真面目な顔で言う。
「1人が休んでも、誰かが代わりに入れる。休みやすいってのは、大事だ」
「そうだね」
俺はうなずいて、テーブルのほうに向き直る。
「母さん、みなさん。ありがとうございます」
あらためて姿勢を正す。
「炎の夜明け商会のライムです。午前中、お弁当の仕込みと片付けをお願いしたいです。給金は、1人あたり銀貨3枚。うちのお弁当を食べたいって人がいっぱいいて、力を貸してほしいです。ぜひ協力してもらえると助かります」
「本当に賢いのねえ」
さっき「うちの子とどうかしら」と言っていた人が、感心したように手を合わせる。
「うちの娘、本当にどうかしら?」
〈この人は……聞こえなかったことにしよう〉
「父さん、母さん」
いったん、2人に向き直る。
「詳しい進め方は任せていい? 弁当箱は、3日後くらいには200個そろうはずだよ」
父さんは、少し目を細めてから、ふっと笑った。
「お前は本当に、大したやつだな。では皆さん」
父さんは、テーブルの女性たちに向き直る。
「明日から、少しずつ仕事の説明をしていきたいので、よろしくお願いします」
「当番表は、私が作るわ」
母さんが、頼もしく宣言する。
「みんな家の用事との兼ね合いもあるから、うまく回るように調整しておくわね」
〈頼もしすぎる。炎の夜明け商会、人事部長サラ。強い〉
「分かったわ。みんなで手分けして頑張りましょうね」
お母さんたちは、新しい取り組みが楽しいのか、ますます盛り上がってくれている。
「あと、父さん。ちょっといい?」
俺は、声のトーンを少し落として呼びかける。
「なんだ?」
「母さんたち、今すごい盛り上がってるし。ちょっと厨房の裏で話そう」
俺と父さんは、談笑が飛び交うホールを抜けて、厨房の裏側に移動した。
油とスープの匂いが混じった、いつもの落ち着く空気だ。
「サント酒造って、知ってる?」
単刀直入に切り出す。
「サント酒造か」
父さんは腕を組んで少し考え、それからあっさり答えた。
「うちのエールは、そこのだぞ」
「え?」
「ベック爺さんがな。多少高くても、こっちにしろってうるさくてよ。味は、確かにいい」
〈ベック爺さん、繋がりか何かあるのか〉
あのおじいちゃんの顔が浮かぶ。
「そうなんだ。実はさ――」
俺は、蒸留器のこと。ウイスキーの構想。そして、M&Aで小さな酒造を買収して、一緒にやりたいと思っていることを、一通り話した。
「それで、サント酒造さんと一度、ちゃんと話をしてみたいんだ」
父さんは、最後まで黙って聞いてから、大きく息を吐いた。
「……ああ。サラから、その辺の話はだいたい聞いてる。もうお前のやることにツッコむのはやめた」
そう言いつつ、口元は少しだけ緩んでいる。
「で、俺に何をしてほしいんだ?」
「えっとね」
俺は、言葉を選びながら続ける。
「いきなり『買わせてください』って行くんじゃなくてさ。ちゃんと、相手のことを知りたいんだ。だからまずは、『工場見学』というか……どうやってエールを作ってるか、見に行きたい。そのきっかけを、なんとか作れないかなって」
「信用が大事ってことは、分かっているようだな。そうだな……」
父さんは、少しだけ顎に手を当てた。
「うちは、サント酒造と直接の付き合いはないからな。樽もエールも、ベック爺さん経由だ」
「そっか」
「だから――」
父さんは、納得したようにうなずく。
「ベック爺さんに聞いてみるといい。あの人なら、サント酒造とも昔から縁があるはずだ」
「ありがとう!」
〈やっぱり、鍵はベック爺さんか〉
俺は、次に会いに行く相手を決め、厨房を出た。




