## 58話 紋章とミナの夢
## 58話 紋章とミナの夢
マルタのおっちゃんは、最後まで「がっはっは」と豪快に笑いながら店を出ていった。
テンドーさんは、ホクホク顔というか――頭の中でずっと計算していそうな、妙に楽しそうな表情で帰っていった。
〈……ふう〉
リバーシの商流の話まで、一気に形になった。
〈クララのおかげだよな〉
昨日、クララに頭の中を全部しゃべらされて。
今日、みんなの前で「ライムの、これからの話」を言葉にして。
つっかえていたところが、スッと開けた感じがする。
〈ちゃんと、お礼言わないとな〉
そう思いながら、俺は次の宿題を思い出す。
〈よし。次は――紋章だ〉
炎の夜明け商会のロゴ。
革袋や帳簿、契約書の表紙に入る、俺たちの『印』。
開店前の、少し落ち着いた時間。
厨房から鍋の音が聞こえ始めたところで、俺はカウンターから顔を出した。
「ミナ!ちょっといい?」
「はい!」
ミナが、包丁を置いてぱっと顔を上げる。
「お母さん、ちょっと行ってくるね」
「はいはい、大丈夫よ。しっかりね!……うふふ」
エッタさんは、なぜか意味ありげに笑っている。
〈その『うふふ』、やめてほしいんだけど……〉
ミナは、きれいなエリーナさんを、そのまま幼くしたような顔立ちだ。
真面目そうで、でも笑うと一気に花が咲くみたいに明るい。
問題は――母親だ。
娘を見守る視線と、『なんか面白いこと起きろ』と言わんばかりの笑みが、完全にセットになっている。
俺は苦笑しながら、客席側にミナを案内した。
――
「ライム、さっきはすごかったね!」
椅子に腰を下ろすなり、ミナが目を輝かせる。
「みんなの前で、あんなに堂々と。
『炎の夜明け』って名前、かっこよかったよ」
「う、うん。ありがとう」
素直に褒められると、ちょっと照れくさい。
「えっと、さっきの話なんだけどさ」
俺は、テーブルに肘をつきながら切り出した。
「ミナって、絵とか得意なの?」
「うん」
ミナは、少し恥ずかしそうにしながらも、はっきり頷いた。
「いつも練習してるんだ。
将来は、絵描きになりたいの」
「絵描きに」
「でもね」
ミナは、ほんの少しだけ目を伏せた。
「お母さんは、あんまりよく思ってないみたい。
『厳しい世界よ』って。
だから、あんまり人には言ってなかったんだ」
〈まあ……どの世界でも、『絵で食べていく』ってやつは難しいんだろうな〉
前世でも似たような話は山ほど聞いた。
この世界なら、なおさらだろう。
「そうなんだ」
俺は、ゆっくり頷く。
「よかったら、一回見せてくれない?」
「……笑わないでね?」
ミナはそう言ってから、軽く立ち上がり、裏口のほうに小走りで消えた。
少しして、布のかばんを抱えて戻ってくる。
「これ」
かばんから取り出したのは、紙を紐でくくっただけの、簡素なスケッチブックだった。
ミナはおそるおそる、それを俺の前に差し出す。
「本当に、笑わないでよ?」
「笑わないって」
俺は表紙をめくった。
――正直、びびった。
市場の一角。木箱の積まれ方や、布のしわ。
街角で荷車を引く男の背中。
炎の鍋亭の厨房らしき場所で、鍋の湯気が立っている様子。
線はまだ荒いけれど、10歳とは思えない写実のスケッチが何枚も並んでいる。
「……これ、全部ミナが描いたの?」
「う、うん」
ミナが胸の前で指をもじもじさせる。
「す、すごいや!」
思わず声が大きくなった。
「本当に。
この鍋とか、父さんのやつ、そのままじゃん。湯気まで分かる」
「ありがとう!」
ぱあっと表情が明るくなる。
「嬉しい……!」
そのまま、ミナは勢い余って俺の手を取った。
「わ、わ!」
やわらかい手の感触に、こっちが動揺する。
〈ミナさんや。絵だけじゃなく、スキンシップと距離感も完璧だな……〉
エッタさんの『うふふ』が、背後から聞こえてくる気がしたので、全力で聞こえないふりをする。
「ええと、じゃあ本題なんだけど」
俺は、なんとか気持ちを立て直して口を開いた。
「炎の夜明け商会のロゴ――紋章なんだけどさ。
お願いしてもいいかな?」
ミナの目が、きらっと光る。
「ロゴ……!」
そこへ、厨房からエッタさんの声が飛んできた。
「うふふ。ミナ、初めてのお仕事ね!」
「お仕事……!」
その言葉に、ミナはさらに目を丸くし、次の瞬間にはぎゅっと拳を握っていた。
「が、頑張る!どんなのを描けばいいかな?」
「それなんだよな……」
俺は天井を見上げる。
〈正直、デザインセンスなんて皆無なんだよな〉
「んー……『炎』がモチーフなのは決まってるんだけど」
俺は、自分の頭の中のイメージを、できるだけ噛み砕いていく。
「夜って、真っ暗だけどさ。
夜明けって、山の向こう側から、だんだん明るくなってくるだろ?
暗いところに、小さな火が灯って――そこから、空の色が少しずつ変わっていく、みたいな」
「ふむふむ」
ミナは真剣な顔で聞きながら、手元の紙に簡単な線を引き始める。
「炎の形は、あんまり怖くしたくないんだ。
『戦い』の炎じゃなくて、『暖炉』とか『朝ごはんを作る時の火』みたいな。
そこから、空が明るくなる感じがいいなって」
「『こむ』でも言ってたよね」
「え?」
「『暗い夜の中で、小さな火をつけて、少しずつ夜が明けていく』って」
「ああ……」
あの時の言葉を、ちゃんと覚えてくれていたらしい。
「うーん……分かった。ちょっと考えてみるね!」
ミナは勢いよく顔を上げた。
「いくつか描いてみるよ。炎の形を変えたり、山を入れてみたり、『夜明けっぽい空』のパターンとか!」
「ごめん、なんかふわっとした説明で」
「ううん!」
ミナはぶんぶんと首を振る。
「ライムの話、すごく絵が浮かびやすいよ。
あとは、クララちゃんにも見せてみようかな。どっちが『夜明けっぽい』かって」
〈クララも審査員か……それはそれで心強い気がする〉
「じゃあ、まずはミナの好きなように描いてみて」
「分かった!」
ミナは、ぎゅっとスケッチブックを抱きしめた。
「ライムの『炎の夜明け』、かっこよくするね!」
その言葉に、俺は自然と笑みがこぼれた。
後ろから『うふふ』と声が聞こえた気がするが、気のせいだろう。
――
次の日の朝。
いつものように、テーブルには山盛りの卵炒めとパン、スープが並んでいる。
昨夜の会議の余韻が、まだ少し残っていた。
「昨日はお疲れ」
父さんが、パンをちぎりながらぽつりと言った。
「『炎の夜明け』、いい名前じゃないか」
「私も感動しちゃったわよ」
母さんが、スープをすくいながら笑う。
「あんたが、そんな名前を出してくるとは思わなかったわ」
「うん」
俺は、少し照れながらも素直に言った。
「父さんと母さんと話した時から、ずっと考えてたんだ。
炎の鍋亭から始まって、でも、そこで終わらない名前がいいなって」
「そうか」
父さんは、短く頷く。
「これからが大変だぞ」
でも、と続ける声は、どこか楽しそうだった。
「だからこそ、ちゃんとやれ。
『炎の夜明けの社長』なんだろ?」
「うん。頑張るよ」
母さんは、ふと目を細めた。
「ちょっと寂しくもあるけど、嬉しいわ」
「寂しい?」
「もう『ただの息子』じゃなくて、『炎の夜明けのライムさん』なんだなぁって」
「……いや、家では『ただの息子』でお願いします」
母さんは、くすっと笑った。
――
朝食を終え、いつものように歯を磨きながら、洗面台の前で考える。
〈2人に喜んでもらえて、本当によかった〉
炎の鍋亭は、俺の原点だ。
ここが揺らいでいたら、その先の『炎の夜明け』なんて、きっと立たない。
〈少しずつでいいから、形にしていこう〉
ロゴ。
リバーシの商流。
ランチボックスの試験運転。
領都への旅。
「よし」
歯をゆすいで顔を上げる。
〈今日は――まず、カチさんのところに行こう〉
試作1号だという『蒸留器』も気になる。
あれがちゃんと動けば、酒も、調味料も、きっと今よりずっと安定して作れるようになる。
〈それから、クララにもお礼を言わなきゃな〉
クララが、ちゃんと『みんなを集めて』と言ってくれたおかげだ。
俺は、いつもより少しだけ軽くなった頭で、今日の予定を組み立てていく。
――炎の夜明けの社長として。
そして、炎の鍋亭の息子として。
俺はスッキリした気持ちで、一歩を踏み出すのであった。




