## 48話 社長の座は誰のもの
## 48話 社長の座は誰のもの
組合を出て、俺と父さんは並んで歩いていた。
市場通りはいつものように、荷車の軋む音と呼び込みの声でざわざわしているのに、隣の大男は妙に静かだ。
〈……さっきまであんなに質問してたのに〉
〈でも、途中から顔が固まってたな〉
俺が横目でチラチラ見ていると、父さんも同じように、ちらりとこっちを見てはすぐ前を向く。
なんとも言えない気まずさが2人を包んでいた。
――
【ゴードンの視点】
正直なところ、税だの決算だのの話は、ほとんど理解できなかった。
(なんとなくは分かったが……なんとなく、だな)
法人届の説明に添えられた紙。
びっしり並んだ小さな字を見た瞬間、ゴードンは内心で白旗を上げていた。
(あんな紙切れ、俺1人じゃ読み解けねぇ。……鍋ならいくらでも振れるが、数字はさっぱりだ)
ちらりと隣を見ると、ライムは真面目な顔でウンウンと頷きながら、組合長の話を聞いていた。
(5歳のガキが「代表人」とか「保証人」とかいう単語を、分かってるとしか思えねぇような顔して聞いてやがったな)
(……商会の社長、か)
酒の届けだの、今の炎の鍋亭の仕込みだのを言い訳にしてきたが――。
(違う。言い訳だ。
俺には、その器がねぇってだけだ)
(本当は、あいつが社長になるのが一番いい)
そこまで分かっていても、即答できなかった。
(だが、あいつはまだ5歳だ。
珍しく黙りこくってたのは、不安だからじゃねぇのか……?)
店のこと、商会のこと。
全部まとめて背負わせるには、まだ小さすぎる。
(自信って意味なら……サラだな)
あいつは芯が強い。
客の相手も、仕入れ先とのやり取りも、なんだかんだでこなしてきた。
(サラが社長ってのは、悪くねぇ。
俺とライムで支えりゃ、なんとかなるだろ)
そう考えがまとまった瞬間、ゴードンの胸の中に、少しだけ霧が晴れたような感覚が生まれた。
(よし。サラに相談してみるか)
そう決めたら、足取りが少しだけ軽くなる。
――
【ライムの視点】
〈組合長って、ちゃんと仕事できるんだな。最近はただのオセロおじさんだけど〉
〈説明も分かりやすかったしな〉
それにしても――。
〈代表人!〉
あの言葉を聞いた瞬間、胸が熱くなった。
これまでは「5歳だから」とか「子供だから」とか、色々な理由をつけて、自重してきた……つもりだった。
(できてなかったけど)
でも、「代表人」として名前を出せるなら話は別だ。
〈堂々と動ける理由ができるってことだ〉
法人登録が済めば、「炎の鍋亭の息子」じゃなくて、「商会の代表」として交渉できる。
それは――俺からすると、かなり大きな一歩だ。
〈何より、保証人を組合長が自ら申し出てくれたのがでかい〉
普通あり得ない。
商売の世界で、自分から「保証人になる」と言ってくれるなんて。
〈チャンスだ。
絶対に逃しちゃダメなやつだ〉
でも――。
さっき、父さんが勢いよく席を立って、俺を連れ出した。
あれは、きっと父さんなりに「待った」をかけたかったんだろう。
〈やっぱり、反対なのかな〉
5歳だし。
社長なんていう肩書きに、父さんは良い顔をしないだろう。
〈そういう意味で言うと……母さんか〉
母さんなら、俺の無茶な提案でも、まず笑って受け止めてくれる。
「面白いね!」って言ってくれる未来が想像できる。
〈母さんが社長で、俺がその右腕ってのも悪くない。
名目上大人が前に立ってくれてた方が動きやすい案件もあるしな〉
そう考えると、少し肩の力が抜けた。
〈よし。母さんに相談しよう〉
俺と父さんは、正反対のことを考え、同じ結論にいたりながらも、ほとんど会話もないまま家に向かって歩いていった。
――
炎の鍋亭に着くと、店の扉には「仕込み中」の札が下がっていた。
裏口から入ると、帳簿と計算盤が広げられたテーブルの前で、母さんとエッタさんが眉間に皺を寄せている。
「うーん……また鉛銭が2枚合わない!」
「サラさん、こっちのページ、書き間違えてません?」
「え? 本当? わたしがそんなポカするわけ……するか。するね」
相変わらず、賑やかな経理風景だ。
「ただいま、母さん、エッタさん」
俺が声をかけるのと、
「今戻ったぞ、サラ」
父さんが声をかけるのが、ほとんど同時だった。
母さんとエッタさんが同時に顔を上げる。
その瞬間――。
「「サラ! 社長になってくれ!(母さん! 社長になって!)」」
俺と父さんの声が、見事にハモった。
「……はぁあー?」
母さんの口が、ぽかんと開く。
横でエッタさんまで「ええっ?」と声を裏返らせている。
〈父さんも同じこと考えてたのか〉
なんとなく納得すると同時に、ほんの少しだけ胸がチクリとした。
〈まぁ……自分ができないのは悔しいけど。
成人してからでも、取り返せるだろ〉
そんな風に、自分を誤魔化す。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ、あんたら」
母さんが両手をパタンと帳簿の上に置き、深くため息をついた。
「揃いも揃って何言い出すのよ。ちゃんと説明しなさい!」
「す、すまん」
父さんが、珍しく姿勢を正す。
「例の法人登録の件だ。炎の鍋亭と兼任はできないってのは、よく分かった。
どうやら、後見人と保証人がいればライムでも社長になれるらしいんだが……ライムもまだ5歳で、不安だろう。
サラになってもらうのが一番だと思ったんだ」
「そうだよ」
俺も慌てて続く。
「父さんも不安だろうし、俺も色々やりたいけど、まだ5歳だしさ。
だから母さんが社長になるのが、一番だと思うんだ」
サラは、ゴードンと俺の顔を交互にじっと見比べた。
「……あんたらはホントに」
呆れたような、でもどこかおかしそうな声だった。
「ゴードン」
「な、なんだ」
「本気で、ライムがこんなことで不安になってると思ってんのかい」
「え?」
父さんが、ぽかんとした顔になる。
ゴードンは俺の顔をのぞき込んだ。
俺もつられて、父さんの顔を見上げる。
「ライム」
母さんの視線が、今度は俺に向く。
「あんた、本当はどうしたいんだい。
社長――やりたいんだろう? 顔に書いてあるよ」
「……う」
図星すぎて、言葉に詰まる。
〈やっぱりバレてるよな〉
「で、でも」
俺は、ちらりと父さんを見る。
「本当にいいのかなって。
父さんが不安なのかと思って……」
「……あ?」
父さんが目を瞬かせる。
「俺は、父さんが大変そうだから。
炎の鍋亭もあるし、新しい商会まで全部抱えたら、倒れちゃうんじゃないかって。
だったら、母さんが表に立ってくれたほうが……って」
正直に吐き出すと、胸の奥の引っかかりが少しだけ軽くなった。
父さんも、少しの間黙っていたが、やがてぼりぼりと頭をかいた。
「……すまん、ライム」
低く、けれどはっきりとした声だった。
「俺は、お前が不安なんだと思ってた。
5歳のガキに『社長』なんて肩書き、荷が重すぎるってな。
だから、サラを前に立てて、その陰でお前を育てた方がいいかと……」
「父さん……」
「お互い、見事なすれ違いだねぇ」
母さんが、耐えきれないといった様子で噴き出した。
「ライムはゴードンが心配で、ゴードンはライムが心配で、2人して同じところに逃げ込んでさ」
「……逃げ込んだ?」
「そう」
母さんは、ニヤリと笑う。
「『サラがやれば丸く収まる』ってね」
ぐさり、と胸に刺さる。
「図星かい?」
「「……はい」」
俺と父さんの返事が、また揃ってしまう。
「ほらね」
母さんはケラケラ笑い出した。
「本当にあんたら、面白いね!」
気がつけば、父さんも俺も、つられて笑っていた。
なんだかバカみたいで、でもそれが妙に可笑しくて。
家族3人でしばらく笑い合う。
その様子を見ていたエッタさんも、口元に手を当てながら肩を震わせていた。
「ふふ……」
やがて、笑いが一段落したところで、母さんがパン、と手を叩いた。
「じゃ、改めてね」
真面目な顔に戻る。
「ライム」
「うん」
「聞くよ。
あんたは――どうしたいんだい。
社長、やりたいのかい。やりたくないのかい」
もう誤魔化す必要はなかった。
俺は一度深呼吸してから、真正面から母さんを見る。
「……やりたい」
声に出した瞬間、胸の奥にあったもやもやが、すっと晴れていくのが分かった。
「怖くないわけじゃない。
でも、組合長が保証人まで申し出てくれて、父さんも話をちゃんと聞いてくれて。
それで俺が『やっぱりやりません』って言うのは……一番ダサいと思う」
それが、俺の本音だ。
母さんは、じっと俺の目を見て――やがて、ふっと優しく笑った。
「うん。
いい顔になったじゃないか、決まりだね」
母さんは両手を腰に当てて宣言した。
「社長はライム。
後見人はあたしとゴードン。
保証人は組合長。
炎の鍋亭のことはこれまで通り、ゴードンが亭主で、あたしが女将。
商会の帳簿やら、細かい話は、あたしとエッタでサポートしてやる」
「ちょ、ちょっとサラ、俺は――」
父さんが口を挟みかけるが、母さんがビシッと指を突き付けた。
「何さ。あんたも本当はそう思ってたんだろ?
さっき『ライムが社長になるのが一番いい』って顔に書いてあったよ」
「!……」
父さんが、観念したように肩をすくめる。
「そりゃ、あたしはあんたの女房だからね」
母さんはニヤリと笑うと、今度は俺の頭をわしゃわしゃとかき混ぜた。
「というわけだよ、ライム社長。
しっかり頼んだよ」
「……うん!」
胸の奥から、じわっと何か温かいものが湧き上がってくる。
その時、ずっと遠慮がちにこちらを見ていたエッタさんが、おずおずと口を開いた。
「あの……」
「ん? どうした、エッタ」
父さんが振り向くと、エッタさんは少し頬を赤くしながら、俺の方を見つめて言った。
「それじゃあ……ライムさん。
あなた、本当に社長になるんですね」
「うん」
自分で口にしてみても、まだ少しむず痒い。
「すごいです……。
最初にここに来たときも思いましたけど、やっぱりライムさんって、ただの息子さんじゃなかったんですね」
〈俺も父さんも、勘違いで話が進まなくて、本当に良かった〉
母さんは、やっぱりよく人を見ている。
俺のことも、父さんのことも、ちゃんと。
そして――。
〈こんな2人の子供でいられることが、改めてちょっと誇らしい〉
「エッタさん」
俺は、正面からエッタさんを見る。
「うん! 俺、社長になるよ!」
言い切った瞬間、エッタさんの顔がぱっと明るくなった。
「はいっ! じゃあ私も、社長さんに置いて行かれないように、もっと頑張らないとですね!」
そんなやり取りに、母さんと父さんの笑い声が重なる。
俺はようやく、「社長になる」という言葉を、自分のものとして胸に抱きしめた。
――5歳の社長としての、最初の一歩だ。




