## 47話 登録商会という箱
## 47話 登録商会という箱
次の日の午前、朝の仕込みをひと通り終えたところで、父さんが布巾を置いた。
「よし。じゃあ市場組合に行くか」
「うん」
〈今日、組合長と話すのは――法人届の件と、リバーシの販売所のこと、だな〉
軽く身支度を整えて店を出る。
朝の市場通りは、いつものように掛け声と荷車の軋む音で賑やかだった。
ロンドール市場組合の石造りの建物に入ると、紙とインクの匂いがふわりと鼻をくすぐる。
受付のカウンターには、見慣れた栗色の髪が見えた。
「あら、ライム君にゴードンさん。こんにちは」
エリーナさんだ。
「こんにちは、エリーナさん」
俺が会釈すると、父さんも軽く頭を下げる。
「うちの母と妹は、ちゃんとやってますか?」
エリーナさんが、少し心配そうに尋ねる。
「ええ、2人ともよくやってくれて、本当に助かってます」
父さんが即答する。
「仕込みも手際がいいし、店の雰囲気も明るくなった。感謝してるよ」
「よかった。2人も『楽しい』って言って張り切っています」
エリーナさんがほっと笑う。
「それで今日は、どうしましたか?」
「アイザットさんに、この前の法人届の件で相談に来ました」
父さんが答える。
「わかりました。ではご案内しますね」
俺たちはエリーナさんの後ろについて、組合長室へ向かった。
ノックして扉を開けると――やっぱり今日も、あれだった。
組合長は机の上のリバーシ盤と、真剣な顔でにらめっこしている。
〈この人、仕事してんのか?〉
「組合長。ゴードンさんと、ライム君です」
「おお、入って入って」
組合長が顔を上げる。
「こんにちは。今日は、この前言ってた届け出の件かな?」
「はい」
父さんが椅子に腰を下ろす。
「書類が複雑で……説明をしてもらえると助かります」
「だろうな。あれは役人が自分のために書いてるからな」
組合長が苦笑する。
「説明しよう。その前に、ちょっとだけ――ライム君、リバーシの件なんだが」
「はい?」
「買いたいって人が、あれから結構いるんだ」
組合長が盤を指でつつく。
「炎の鍋亭に行くように伝えてるけど、案内がだんだん面倒になってきててね……」
〈マジか。それほどか〉
「そうなんですね」
思わず姿勢を正す。
「販売所のこと、早く考えないとですね」
「ライム、言うのを忘れていたがな」
父さんが口を挟む。
「うちにも、日に何人か聞かれるぞ。『どこで買えるか』ってな。
ちょっと待ってもらうように言っているが、一応エッタさんが、欲しい人の名前と住所を書き留めてくれている」
「え! そんなに?」
〈やばい。完全に供給が追いついてないパターンだ〉
「マルタさんのところに受け取りに行かなきゃ……」
俺は息を整えて、組合長を見る。
「そ、そうだ。組合長。この前、ハンナさんと偶然会ったんです。
乗合馬車の中で、『旦那さんがロンドールで小さな商会をやっている』って聞きました」
「ハンナ……?」
組合長が顎をさする。
「そうだ、テンドーの妻の名は確かハンナだったな。
『テンドー商会』が、この前話した商会だ。ハンナさんは小さいと謙遜したのかもしれんが、この国でいくつか支店も構えてて、マルタの薪屋やカチ鍛冶屋から仕入れているから道具に強い、なかなかの商会だぞ」
「もしかしたらと思ったけど、やっぱり組合長の知り合いだったんですね」
〈しかし、なかなか大きな商会なんだな〉
「今度、テンドーさんを紹介してもらうことはできますか? 販売所のこと、相談したいです」
「もちろんだ」
組合長がにやりと笑う。
「あいつもリバーシにのめり込んでる1人だぞ。きっと喜ぶ。
今、手紙を書いておこう。会いに行ったときに渡すといい」
組合長はペンを取り、さらさらと羊皮紙に文字を走らせる。
インクが乾くのを待っている間に、父さんが遠慮がちに口を開いた。
「あ、あの……それでですね」
「おっと、すまんすまん」
組合長がペンを置く。
「法人届の件だったな」
「はい」
父さんが書類の束を取り出す。
「読んではみたのですが、難しくて……。
私は代表になれないというようなことも書かれているように読み取ったのですが」
「ふむ」
組合長は書類にざっと目を走らせると、俺たちを見た。
「そうだな。じゃあ、全体から説明しようか」
俺と父さんは姿勢を正した。
「まず、この国で言う『法人』ってのはな」
組合長が指を1本立てる。
「正式には『登録商会』って呼ぶ。領都エステルの役所に行って、『うちはこういう商いをする商会です』って名を上げるんだ」
「今の炎の鍋亭とは、違うんですか?」
俺が聞く。
「今の炎の鍋亭は、『ゴードン個人の店』だ」
組合長が父さんを顎で指す。
「屋号の主――店の名義人はゴードン。税も、許可も、全部ゴードン1人の背中に乗っかってる状態だな」
「登録商会にすると、どうなるんです?」
「簡単に言うとだ」
組合長は、机の上の空のカップを1つ手に取った。
「今の炎の鍋亭とは別の『箱』をもう1つ作るイメージだ。その箱が商会、いわば会社ってやつだ」
カップをとんとん叩きながら続ける。
「その箱には、『代表人』が必要になる。街の連中は社長なんて呼ぶがな。
契約も税も、その代表人の名前で動くことになる」
「代表人……」
父さんが小さく反芻する。
「登録商会にするメリットはいくつかある」
組合長は指を折っていく。
「まず、大きな相手と直接取引しやすくなる。領都の商会、鉱山、軍……そういう連中は、原則『登録商会』としか大口契約を結ばねぇ」
〈鉱山、軍……。前世でも大企業や公共の団体は個人事業主と取引するイメージはないな〉
「それから税金だ」
組合長は声を少し低くした。
「個人の店は、売上のだいたい10%持っていかれる。売上が増えると、さらに税率は高くなる。家にかかる人頭税もあるしな。売上が増えるほど、だんだん息が苦しくなる仕組みだ」
「……だな」
父さんが渋い顔で頷く。
「一方で、商会は売上にかかる税がない」
組合長が続ける。
「というより、儲け――経費を引いた後の利益に、税が30%乗る。帳簿をきっちり付けないといけねぇが、その分『無駄に取りすぎられない』作りになってる」
「30%……」
父さんは動揺して、思わず聞き返した。
「それって、税負担は大きくなるってことですか」
「逆だ」
組合長は続ける。
「売上と利益に対してかかるので違うから、数字だけ見ても比べられないぞ。個人は売上が上がると率も上がっていくしな」
組合長はさらに続けた。
「まぁ、ざっくり言うと、売上が大きくなると登録商会のほうが税負担は軽くなる仕組みだな」
〈結構しっかりと考えられてるんだな。
所得にかかる累進課税と、利益にかかる一律課税であれば、どこかで課税額が逆転する〉
「他にもある」
組合長は、指をもう1本立てた。
「借金したときの話だ。個人の店だと、返せなくなったとき、家財一式まで持っていかれることがある。商会だと、まずは商会名義の道具や在庫からになる。家族の寝床まで、そうそう引っぺがされはしねぇ」
父さんの表情が、そこで少しだけ強張った。
「それと、商会印のついた荷馬車は、関所の通行税がちょっと軽くなる。
設備を増やした年は、税が少し優遇されたりもする。大きく事業をするなら、商会の名義でやった方が得だな」
〈設備投資をすれば利益が小さくなる。流石に減価償却のような仕組みはないか〉
「いいことづくめに聞こえますけど……」
俺が口を挟む。
「悪い方は?」
「もちろん、義務も増えるさ」
組合長がニヤリと笑う。
「年に1度、帳簿をまとめて領都に出さにゃならんし、出鱈目なことをすりゃ、個人の時よりもきつく怒られる。
『箱』が大きくなるぶん、鎖も重くなるってわけだな」
父さんが、もじもじと書類を持ち替えた。
「で、だ」
組合長がここで姿勢を変える。
「問題はゴードン、お前の立場よ。あんた、今は『炎の鍋亭 ゴードン』って屋号の名義人だろう?」
「ええ」
父さんがうなずく。
「この国の決まりでな」
組合長はため息をついた。
「『屋号の主』と『商会の代表人』を、同じ人間が両方やるのは、原則ダメってことになってる」
「やっぱり、そうなんですね」
父さんが額に手を当てる。
「書類に、それらしいことが書いてあったが……そういう意味でしたか」
「昔な、その抜け道を使って、借金と税をごまかした奴らが山ほど出たせいだ」
組合長が肩をすくめる。
「帳簿の『黒いところ』だけを商会名義に押し付けて、家は別だの何だのと。役所がキレて、締め付けが一気に厳しくなった」
〈あるあるだな……。どの世界も、やることは似てる〉
「ゴードンを代表人にすることもできるが……炎の鍋亭そのものを商会に組み替える必要がある」
組合長は指でテーブルをとんと叩いた。
「そうなると、飲食店の許可も酒の許可も、一から取り直しだ。時間も金も、笑えねぇくらい飛ぶぞ」
「それは……現実的じゃないな」
父さんが苦い顔をする。
「だから、一番筋がいいのはこうだ」
組合長は、俺たちを順に見渡した。
「炎の鍋亭は今まで通り、ゴードン個人の店として残す。その上で、配達や弁当、リバーシなんかの新しい商いをまとめる“商会”をひとつ作る」
〈やっぱり、その方向か〉
「その商会の代表人――つまり『社長』の席には、別の誰かを座らせる必要がある」
組合長の視線が、ゆっくりと俺の方に止まる。
「名義だけじゃなくてな。書類にも契約にも、その者の名が載る」
「代表人って、ふつうは成人ですよね?」
俺が聞く。
「15歳以上って」
「その通り」
組合長が頷く。
「だが、例外もある。未成年を代表人にする場合は、保護者と、組合みたいな公の組織が保証につくなら、話は聞いてもらえる」
父さんが目を見開いた。
胸の奥が、どくんと鳴る。
「書類上は、こういう形になるだろうな」
組合長は、机の端の紙切れに簡単な図を書いた。
「代表人に……ライム。連署人に親父さんのゴードン。そして保証人に、この俺――ロンドール市場組合長」
「そんなことが!?」
思わず声が裏返る。
「領都もな、『とても賢いガキ』くらいには慣れてるさ」
組合長が笑う。
「たまにいるんだよ、神童だのなんだのって呼ばれる連中がな。
お前の場合は……まあ、神童通り越して化け物かもしれんが」
「ひどい言い方ですね」
「褒めてるんだがなぁ?」
組合長は肩を揺らして笑い、ふっと真面目な顔に戻った。
「いいか、ライム」
まっすぐ俺を見る。
「個人商店が大きくなって法人を立ち上げる。その時にとても賢いガキを代表に据える。なんてのもなくはない。まぁ申請は通るだろう。
ただよく考えろ、そこらの大人より権限もあれば責任もある。俺とゴードンの分の責任も乗るからな」
室内の空気が、少しだけ重くなる。
「それでもやるかどうかは……お前と、家族で決めなきゃならん」
父さんが、ゆっくりと息を吐いた。
「ライム」
俺の名前を呼ぶ声が、やけに近くに聞こえる。
答えを口にする前に、俺は一度目を閉じた。
〈前の世界じゃ、こういう話は『どうせ俺には回ってこない』って、どこかで思ってた。 でも今は――〉
〈行けるところまで行きたい〉
胸の中で、静かにそう思う。意を決して息を吸い込むと。
父さんが立ち上がった。
「アイザットさん、ありがとうございます。よく分かりました。家族で話してみます」
父さんは、黙っている俺を見て何かを思ったのか、俺の回答を待たずに俺を連れて席を立つのであった。




