## 35話 交渉ツアーと商人の「鼻」
## 35話 交渉ツアーと商人の「鼻」
洗い屋との契約を終え、俺たちは市場へ向かった。時刻は、ちょうど昼の鐘が鳴る少し前だ。
〈父さん、さっきから黙ってるな……〉
隣を歩く父さんは、契約書の羊皮紙と、その前を嬉しそうにスキップするクララを交互に見て、何やら難しい顔をしている。
「……ライム」
「なに?」
「あの『ぷろじぇくと』とかいう言葉」
「うん」
「……あれも、お前がクララに教えたのか?」
「うん、昨日、一回言っただけだよ」
「……そうか。一回言っただけ、か」
父さんは、まだショックを受けているようだった。
市場に着き、まずはマルタの薪屋へ向かう。店の前では、マルタのおっちゃんが威勢よく薪割りをしていた。俺が声をかける。
「おっちゃん!来たよ!」
「おう坊主!こっちはゴードンさん!待ってたぜ!手紙、読んだぜ!」
斧を置いたおっちゃんの視線が、父さんの隣にいるクララで止まる。
「で、こっちの可愛いお嬢ちゃんは?」
「私はクララと言います。洗い屋をやっています!」
クララは一張羅のワンピースで、きちんと挨拶を決めた。
「おお、クララちゃん!アインズんとこの嬢ちゃんか!いやいや、こりゃどうも!どうせカチの旦那とも話すんだろ?さっき話してきた。一緒に話した方が早いだろうから、鍛冶屋に移動するぜ」
「ありがとう!助かるよ!」
相変わらず段取りが早い。マルタのおっちゃんを先頭に、俺と父さんとクララの3人は、隣のカチ鍛冶屋へ移動する。
中に入ると、工房の熱気と共に、カチさんが弟子に怒声を飛ばしている、いつもの光景が広がっていた。
「旦那!例のやつら連れてきたぜ!」
「おう!あっちの客室に入っといてくれ!」
声に促され、俺たちは工房の隅にある来客用の防音室に入る。
「わあ!すごい!」
壁に飾られた武具に、クララの目が輝く。
「かっこいい槍とか斧?がいっぱい!」
「おお、嬢ちゃん。こりゃハルバードっていうんだ」
「ハルバード!かっこいい!クララ使ってみたい!」
〈クララさん、バトルもいけちゃうの……?〉
少しすると、カチさんと弟子のラークさんが入ってきた。父さん、マルタのおっちゃん、カチさん、ラークさん、俺、クララ。全員が席に着き、簡単な自己紹介を済ませる。
「さて、ゴードンさん。こっから始めてくれ」
「はい」
父さんは居住まいを正し、マルタのおっちゃんとカチさんに向き直った。
「本日はお時間をいただきありがとうございます。いつも息子がご迷惑をおかけしております」
深々と頭を下げる父さんに、2人は慌てて手を振る。
「いやいや、とんでもない!こちとら、この坊主のおかげで何十年ぶりに燃えてるんでな。むしろ感謝してるくらいだ」
「そうだぜ、ゴードン!」
マルタのおっちゃんが笑う。
「そんなのはいいんだよ!俺も楽しませてもらってるぜ!」
「……ありがとうございます」
父さんが顔を上げた、その時だった。
「はい!」
クララが、またしてもぴん!と元気よく手を挙げた。
「え?」
父さんだけでなく、マルタのおっちゃんもカチさんも、いきなり手を挙げた5歳児に面食らう。
「ライムが考えた『ぷろじぇくと』はですね……」
クララは、午前中にアインズさんたちへ説明したのと同じ要領で、俺の事業計画の概要を淀みなく語り出した。
馬車を買うこと。テトとヤトが配達をすること。洗い屋が配達から解放され、洗浄を請け負うこと。そして、市場のみんなにお弁当を売ること――。
「…………」
カチさんとマルタのおっちゃんが、完全に固まる。
「コホン」
父さんが2人の硬直を解くように咳払いした。
「……そういう訳でして。マルタさんには、素材――松の端材とヒノキ材――の提供と、リバーシと酒札の塗装の仕事を。カチさんには、正式に弁当箱の金型の発注と、プレス作業の委託をお願いしたいと考えています」
「おう」
マルタのおっちゃんが、先に我に返る。
「うちの取り分は、マツの端材とヒノキの板の供給、それにリバーシと酒札の塗装だな。金額はこの前坊主と話した通りで構わねえぜ」
「うん」
「金型は引き受けた」
カチさんが重々しく頷く。
「金貨2枚だ。金型の製作と、当面のプレス作業はラークが責任を持ってやる」
「はい!任せてください!」
ラークさんが力強く応じる。
「あ、でも師匠。俺も早く鍛冶の仕事に専念したいので、もし発注の量が増えてきたら、作業は他の方を斡旋してほしいです」
「がっはっは!その時はうちに言ってくれたらと思うぜ」
マルタのおっちゃんが、プレス機の設置場所――製材工場――の件も引き受ける形で笑った。
「わかりました。何から何まで本当にありがとうございます」
父さんが金貨2枚をカチさんに渡し、再び深く頭を下げる。
「よかったね!おじさん!」
クララがパッと顔を輝かせ、俺が用意していた羊皮紙の契約書をテーブル中央へ押し出した。
「じゃあみんな、約束の紙にお名前書いてね!」
あまりにも堂々とした仕切りに、その場の大人全員が一瞬引いた。父さんも、マルタのおっちゃんも、カチさんも、「5歳児とは一体何なのか」と思考の彼方へ飛んでいく。
「ん?どうしたの?早く名前書いてね!」
クララが不思議そうに全員の顔を覗き込む。
こうして、俺の事業の根幹となるマルタのおっちゃんとカチさんとの商談は――ほぼクララのおかげで――無事に終わった。
〈……俺、今回、本当に『うん』しか言ってないな……〉




