それぞれの1ヶ月と次の一手
## 107話 それぞれの1ヶ月と次の一手
サント酒造での試飲会から、もう1ヶ月が経つ。
炎の夜明け商会の本部――といっても、机と棚を置いただけのまだ味気のない部屋で、俺は帳簿を開きながら、この1ヶ月を順番に思い返していく。
まずは、ランチボックス作戦だ。
あの後、立ち上げた専用の製造所は、今や1日800食体制になっている。
この前様子を見に行ったときの光景が、頭に浮かぶ。
大きな釜がずらりと並ぶ製造所の真ん中で、エッタさんが腰に手を当てて声を飛ばしていた。
「そっちのお肉、もう少し焼き色つけて! こっちは味見終わったから詰めていいわよ!」
母友たちが「はーい!」と返事をしながら、テキパキと弁当箱を並べていく。
具材を詰める人、フタを閉める人、包み紐を結ぶ人――役割分担がきれいに回っていて、見ていて気持ちがいい。
〈……エッタさん、本当に有能だな〉
母友ネットワークも完璧に機能している。
ちょっとした欠員や急な追加注文も、母さんが一声かければ誰かが誰かを連れてきて、いつの間にか穴が埋まってしまう。
販売のほうも順調だ。
今、直営の販売所は2箇所。どちらも、毎日800食をきっちり完売している。
「熱々のお弁当いかがですかー!」
市場側の販売所では、母友の一人が大きな声で呼び込みをしていた。
通りすがりの職人や荷車の御者たちが、足を止めては列に加わっていく。
「こっちは卵炒め弁当を3つくれ!」
「私には豚肉のやつを2つください」
そんなやりとりを聞きながら、母友たちは器用に代金を受け取り、お釣りを計算し、次の客へと声をかける。
もう1つの販売所は、鉱山地区への玄関口に近い小屋だ。
そこも今は職人たちがコツコツと板を張り、壁を塗り、ちゃんとした「鉱山の販売所」へと姿を変えつつある。
「屋根さえ張り終われば、あとは看板とカウンターだな」
この前見に行ったとき、マルタの薪屋の兄ちゃんがそう言っていた。
順調にいけば、ここもすぐに本格稼働だ。
〈そして、明日は鉱山職員との打ち合わせだ〉
販売員の斡旋や弁当の販売方法を決めていく必要がある。
次は、配達事業。
ここは、テトを中心にしたチームが、思った以上にうまく回してくれている。
ランチボックスの配達に加えて、薪、洗い屋の荷物、酒屋の樽や酒瓶、サントのエールやプレサント……母友たちの小さな頼まれものまで、ぜんぶまとめて「街の足」として動いている。
この前、薪の配達の現場を見に行った。
「よーし、もうひと山いくぞー!」
御者台の上で、ヤトが手綱を軽く鳴らす。
荷台には、きれいに積まれた薪の束が揺れている。
「ヤトさん、この分はパン屋と染物屋です。こっちは住宅街の4件分!」
マルタの薪屋の若い従業員がメモを見ながら声をかけると、ヤトは「おう」と短く頷いて走り出す。
無駄な往復を減らすためのルートは、テトとレノが一緒に夜遅くまで地図とにらめっこして考えたものだ。
〈テトもヤトも、すっかり「俺たちの物流部門」って顔になってきたな〉
一定のリズムで街をめぐっていく光景は、ちょっとした「血管」のように見える。
そして、酒造事業。
プレサントは、ベック爺さんのお墨付きも受けて、じわじわと飲食店への導入が進んでいる。
あの独特の香りと、軽い飲み口が、疲れた客たちの心をほぐしてくれているようだ。
「おう、もう一杯、その『プレサント』ってやつをくれ」
「気に入ってくれたんですね。じゃあ、今度は少し温めたやつも試してみます?」
とある酒場のカウンターでは、そんな会話が飛び交っていた。
グラスの中で揺れる茶色い液体を見ながら、客たちは「なんだか不思議な酒だな」と笑っている。
〈ウイスキーの前の酒……か〉
あの夜、俺たちが名付けたプレサントは、ちゃんと「道」を開き始めている。
サント酒造――いや、今はサント工場という名で動いている工場は、毎日エールとプレサントの仕込みで大忙しだ。
カチさんとマルタのおっちゃんは時間を見つけては工場に顔を出してくれている。
「ここの火力をもう少しだけ安定させたいな」
「じゃあ、こっちのバルブを少し絞ってみましょうか」
「樽のほうも、乾き具合をもう一段階だけ見極めたいところだな」
蒸留器の前で、カチさんとマルタのおっちゃんとガレンさんが真剣な顔で相談をしていた。
湯気とアルコールの匂いが混ざる中、まだ見ぬ「本物のウイスキー」を目指して、試行錯誤が続いている。
俺はその様子を眺めながら、〈この人たちの時間を、絶対に無駄にしないようにしないとな〉と心の中で小さく拳を握った。
リバーシ事業も、順調だ。
1日100セットは、相変わらず完売。
ラークさんの頑張りで、3号機が完成し、ようやく在庫に少し余裕が出始めたらしい。
それに合わせて、つい先日から――いよいよ領都エステルへの販売を「始めたばかり」だ。
今はまだゆっくりだが、これから少しずつ広がっていく見込みだ。
ロンドールで生まれたこの遊びが、領都でどんな顔をされるのか――楽しみでもあり、ちょっと怖くもある。
「リバーシいかがですかー! 頭の体操にぴったりですよー!」
市場の一角では、テンドーさんがいつものように声を張り上げている。
盤を広げてデモプレイを見せると、周りに人垣ができ、そのまま数セットが売れていく。
〈ちゃんと「商品」になったなぁ〉
あの手作りのいびつなコマで作った日から考えると、今の景色は少し不思議だ。
そして、炎の鍋亭2号店。
ここは、まだ開店していない。
建物の改装と、人材育成に、父さんたちは忙しく動き回っている。
「ここの壁は抜けねえな。柱が死ぬ」
「じゃあ、こっち側にカウンターを伸ばして、通路を広くしようか」
大工と話し合いながら、父さんは何度も図面をひっくり返していた。
厨房の設備や、客の動線、スタッフの立ち位置……炎の鍋亭で培ってきた経験を、できるだけ最初から反映させようとしている。
店で働く予定の人たちは、本店のほうで見習いとして動きながら、母さんや既存の店員たちから接客や仕込みを学んでいた。
〈2号店が動き出したとき、俺たちの「顔」が増える〉
ただの増築じゃなくて、「炎の鍋亭」という看板がもう1つ増える。
それはきっと、街にとっても、炎の夜明けにとっても、大きな意味を持つはずだ。
……こうして見ていくと、どのプロジェクトも、大体順調だ。
ランチボックス、配達、酒造、リバーシ、鍋亭2号店。
そして、それら全部は、ガラワ組への支払いのための金策とも繋がっている。
〈そして、ゆくゆくは銅山も!〉
俺は帳簿を閉じて、深く息を吸い込んだ。
「よし、明日は鉱山職員との打ち合わせだ」
思わず声に出すと、向かいで書類を整理していたレノが顔を上げる。
「そうですね。販売員と鉱山の情報収集をできたらいいですね」
レノは、すでに何枚かのメモを用意しているようだった。
鉱山のシフト、休憩時間、人数、通路の広さ――聞いておくべき項目が、きれいな字で箇条書きにされている。
「鉱山の中での導線をきちんと押さえられれば、ランチボックスだけじゃなくて、配達や他の商品も一緒に提案できます」
「うん。鉱山側の人たちが何を欲しがってるか、しっかり聞いてこよう」
俺は頷き、机の端に置いたマフラーに視線を落とした。
〈明日は、また次の一手を打つ日だ〉
すっかり寒くなってきたロンドールの炎の夜明け商会本部で、俺はもう一度、心の中で静かに決意を新たにする。




