ウイスキーの前の酒
## 106話 ウイスキーの前の酒
「――ふぅ」
土間の空気が少し落ち着いたころ、クララの声が響いた。
「私も飲みたーい!!」
サクラさんが、すぐさまたしなめる。
「だめよ。これは大人のやつなの。クララには麦茶」
「むー!だってみんな楽しそうなんだもん」
クララは頬をふくらませる。
俺は苦笑して、クララの頭の上に手を置いた。
「クララ。俺たちが大人になったら――10年後に、しっかり色と香りのついた10年物の最高級ウイスキーを飲もうよ」
クララは、ぱあっと笑顔になる。
「じゃあ約束!大人になったら、一番おいしいサントの酒、一緒に飲む!」
「うん!」
思わず笑ってしまった。
〈……ん?色の濃い?あれ、なんか思い出してきた〉
俺の頭の中で、前世で酒蔵の工場見学をしたときの景色が再生される。
茶色じゃない、深い琥珀色。
「最高級の10年物か!それは俺も飲みてぇな。後から色が濃くなるのか?」
カチさんが、ウイスキーのグラスを眺めながら言う。
色が濃くなる。
そう、きっと今飲んでるこれは、本物のウイスキーじゃない。
「ねえ、カチさん」
俺はカチさんの方にぐいっと歩み寄った。
「お、おう?」
「この酒ってさ、蒸留器から出た時点で、もう茶色いの?」
「ん?ああ。見てみりゃわかるが、蒸留器から垂れてくるときには、もうこの色だな」
「それって――ちょっと変じゃない?」
「変?」
カチさんが片眉を上げる。
「本当は、蒸留した酒って透明なんじゃないかな。蒸留って、エールを濃くするんじゃなくて、酒の部分だけを取り出す技なんだ」
俺はグラスを軽く揺らしてみせた。
「今のこれは、なんだかエールをそのまま濃縮しましたって感じがする」
カチさんの目が、すっと鋭くなった。
「……なんだと。透明な酒が取れるべきだってわけか」
「うん。だから、今の釜はまだ途中なんだと思う!」
〈むしろ、ここまでちゃんと飲める酒が出てきてる時点で、すごいんだけど〉
カチさんは、にやりと笑った。
「面白え」
低く短く、それだけ言うと、木箱の上に広げてあった紙をぐいっと引き寄せる。
「よし。蒸留器、根本から作り直す。透明な酒を引き出せる本物の蒸留器、俺が打ってやる」
「そんなに簡単に……」
「簡単なわけがねえだろ。だから面白えんだよ」
カチさんは太い指で、ざっざっと線を引いていく。
「1年だ」
「1年?」
「ああ。火の回り方、管の長さ、冷まし方、蒸留する前の元の酒、全部試す。1年くれ。透明なウイスキーの素を、安定して引ける釜を作る」
〈……この人、本気だ〉
ガレンさんも、必死な顔で頷く。
「エールのどの部分を取るといいか、私も協力させてください」
「坊主」
背中から声がした。
振り向くと、そこにはマルタのおっちゃんがいた。
さっきまでエールをあおってたはずなのに、目が完全に仕事モードだ。
「今の話、聞こえたぞ」
「え、どこから?」
「透明な酒が寝かせると濃くなるってあたりからだな」
〈わりとがっつり聞いてる〉
マルタのおっちゃんが腕を組む。
「透明な酒を樽に入れて、何年も寝かせる……ってことはだ。木の種類、厚さ、焼き加減、全部、味になるってことだろ」
「う、うん」
前世の記憶では、ウイスキーの樽にはいろいろ種類があった。
けどこの世界で手に入る木や樽のことは、わからない。
「何本ぐらい、試せる?」
「本数の話か?青いこと言うなよ、坊主」
マルタのおっちゃんが、ニヤッと笑う。
「材と焼き方を変えりゃ、同じ本数でもいくらでも試せる。弱焼き、中焼き、強焼き。板の厚さ、樽の大きさ。10本あれば、30通りは作れる」
「30通り……」
「本命の樽を決めるまでは、試し用としてがんがん使えばいい。どうせ透明な酒の段階で味見はするんだ。気に入った樽だけ、3年だか10年だか寝かせりゃいい」
「10年はちょっと長いかな……」
横からクララが顔を出した。
「10年はライムと飲むぶん!!」
「そういう意味ではないんだけど……」
〈まぁ、10年物も夢じゃないってことだな〉
マルタのおっちゃんが、きっぱりと言い切った。
「とにかく、樽は任せろ。本物のウイスキーとやらを飲むために、いくらでも持ってきてやる」
「持ってきすぎても困るけどね」
ベック爺さんが、グラスを揺らしながらぽつりと言った。
「こいつらは酒が好きでやるんだ。職人魂に火がついちまったな」
〈ベックさんの目から見ても、仕事モードってわけか〉
俺はグラスを軽く持ち上げた。
「じゃあ本物のウイスキーは造るとして――問題は、今飲んでる、この茶色い酒だね」
「これは、本物のウイスキーじゃない。でも、サントの未来を連れてくる酒でもある」
ガレンさんがうなずく。
「そうだな。この途中の酒がなかったら――うちはガラワ組に差し押さえられる」
「だったら、この酒にはこの酒の名前をつけよう!」
みんなの視線が、こちらに集まる。
「本物のウイスキーがサントウイスキーなら――その前の、途中の酒は」
俺は、ちょっとだけ息を吸ってから口にした。
「プレ・サントウイスキーってのは、どうかな」
父さんが首をかしげる。
「ぷれ……?」
「サントの前。サントになる前の酒って意味」
クララが、ぽんと手を打った。
「いい!ぷれさんと!」
「うん、呼びやすくするなら――」
俺はグラスをくるっと回してみせる。
「通称、プレサント」
ミナが目を輝かせる。
「かわいい!!プレサント!」
父さんが静かに笑った。
「今のサント酒造を支える途中の酒、って立場だな。本物のサントウイスキーが看板なら、プレサントは土台を固める柱か」
ベック爺さんも、ゆっくりとうなずく。
「名前がつきゃ、売り物になる。エールとは別に、あの茶色いプレサントって口にしてもらえる」
ヤブタさんが、短く言った。
「よし。今日飲んだこの酒は、プレサントでいい」
その一言で、茶色い酒の立場が決まった。
俺は新しい紙を広げる。
「じゃあ、ここから先は時間の話だ」
「まず、カチさんの蒸留器。透明な新しい酒が取れるまで、試行錯誤に1年」
カチさんがうなずく。
「そうだな。それぐらいは見ておいたほうがいい。下手に急いで中途半端なもんを出したくはねえ」
「その透明な酒を、マルタのおっちゃんの本命の樽に入れて――そこから、3年寝かせる」
マルタのおっちゃんが、ニヤリと笑った。
「よく寝かせたほうが深みが出る。3年なら、ようやく顔が見えてくる頃だな」
俺は紙の上に、一本の線を引く。
「つまり――今から1年後、透明な酒ができる。そこから3年、樽で寝かせる。合計4年後に、本物のサントウイスキーが世に出せる」
土間の空気が、少しだけ張り詰めた。
「4年……」
ガレンさんが小さくつぶやく。
俺は、今まさに手に持っている茶色い酒を見た。
「でも、その間の4年を支えるのが、プレサントだよ」
「プレサントを売って、サント酒造の利益を月金貨100まで押し上げる」
「人を増やさず、設備を壊さず、ちゃんと食っていけるようにする」
「エールも600樽は今まで通り出し続ける」
「つまり、昔のサントを守りながら、新しいサントを仕込む」
クララが、いちばん嬉しそうに手を挙げた。
「うん!おっきくなったらライムと乾杯するために、それまでプレサントでがんばってて!」
「プレサントでがんばるのはサント酒造だけどね」
周りから、ほっとした笑いが漏れた。




