整えられた地図
## 102話 整えられた地図
あの大きな会議から、気づけば4日たっていた。
うん。さすがに無理をしたのかもしれない。
この体は、まだ5歳だ。
熱なんて出して当然だろう。
それに、この世界には解熱剤も総合感冒薬もない。
無茶すれば、あっさり倒れる。
〈早く製薬事業もやりたい!〉
そんなことを考えて、居間に向かう。
母さんが振り向く。
「――あら、ライム。もう起きて平気なの?」
「うん!たくさん寝たからね。もう全快だよ!」
父さんも腕を組んだまま、少しだけ眉を下げて言った。
「お前も大変なのはわかった。もっとゆっくりしてもいいんだぞ」
「大丈夫だってば!」
カウンターではレノが帳面を閉じた。
「ライムさん。よかったです」
「ありがとう、レノ!でもほんとに大丈夫。これからランチボックス作戦と配達事業を整えなきゃね!」
レノは静かに微笑んだ。
「それであれば……皆さんが協力してくださって、提案書もできています」
「え?もう?」
あの会議からまだ4日だぞ?
母さんが自然に言う。
「じゃあ今日の昼営業のあと、みんな呼んでおくわね。会議しましょう」
レノが軽く会釈する。
「はい。私からも声をかけておきます」
「わかったよ。それまでは少しゆっくりしてるね」
椅子に座ると、体が思っているより軽くなっていた。
〈レノがいるし……クララもテトも、みんないる〉
〈少しくらい任せても大丈夫、か〉
そう思ったら、珍しく心がふっと緩んだ。
そして午後。
炎の鍋亭の店内には、父さん、母さん、レノ、クララ、エッタさん、テトがそろっていた。
クララが勢いよく手を挙げる。
「じゃあ、ランチボックスとロジスティクス報告会、始めるね!」
クララは元気だ。
この4日間でいちばん明るい声を聞いた。
レノがうなずき、一歩前に出る。
「はい。では私から説明します」
テーブルには、きれいに束ねられた紙。
地図、数字、表、時間帯ごとの仕事量。
視界に入るだけで情報量がすごい。
〈よし……俺は社長、ちゃんと見届けないとな〉
レノは、一番上の紙をこちら側に向けるように置いた。
「まず、全体像からお話しします」
紙には簡単な街の地図が描かれている。
真ん中に市場、その周りに炎の鍋亭から鉱山地帯まで、ざっくり書かれていた。
そこには赤い丸が3つ描き込まれていた。
「今回のプロジェクトの柱は、大きく3つです」
レノは指を3本立てる。
「1つ。ランチボックス製造所の新設」
「2つ。販売拠点の整備。市場側、住宅地側、鉱山側」
「3つ。配達部隊のルートと、収益が出る料金設定の確立」
〈……ちゃんと柱で整理してきたな〉
「まずは1つ目、製造所についてです」
レノは地図に描かれた四角を指さした。
「サラさんが不動産屋で見つけてくださった、2つの物件があります」
母さんが胸を張る。
「ええ、組合のそばと、ちょっと離れた広いところね!」
「はい。組合そばの元食堂跡が300平米。少し離れた方が400平米。賃料は、それぞれ月金貨3枚と2枚です」
「ここで、どちらをどう使うかが重要になります」
「どちらをどう?」
思わず口を挟むと、レノは400平米の方を丸で囲んだ。
「はい。400平米の物件を、生産と物流の拠点とします」
「生産と物流?」
テトが首をかしげる。
「はい。具体的には――」
レノは指を折っていく。
「ランチボックスをまとめて作る製造所」
「弁当箱と鍋を洗浄する、大釜の洗浄スペース」
「馬舎。馬3頭分と予備のスペース」
「馬車の出入りと、荷積み・荷降ろしの場所」
「資材置き場。弁当箱、薪、食材など」
クララがうんうんと頷いた。
「ぜんぶまとめるところだよね!」
「ええ、そうです。ここに生産と物流を集中させることで、動線が非常にシンプルになります」
レノは、炎の鍋亭と製造所を線で結んだ。
「ここで下ごしらえし、一気にランチボックスを仕上げて出荷する」
「回収してきた弁当箱もここに戻す」
「馬と馬車もここから出発する」
〈キッチン工場と物流センターってわけか〉
「生産能力の目安ですが――」
レノは別の紙をめくった。
そこには人数と作業時間が表になっている。
「現状、母友ネットワークとエッタさん、ミナさんを含めて、最大20人程度が関われる前提で計算しました」
母さんが目を丸くする。
「そんなに?」
「はい。今は8人に加えてエッタさんとミナさんですが、今後も手伝いたいという声は増えると思います。1人あたり朝から昼前までで100食分の作業をこなせる前提にすると、20人で2000食まで製造可能です」
〈2000……実現できたら、街の風景が変わるな〉
「もちろん、最初からフルで回す必要はありません。当面は1000食規模を目標にし、徐々に増やしていく前提です」
母さんがふっと笑った。
「最初から2000なんて言われたら、さすがに腰抜かすわよ」
レノは次に、300平米を指さした。
「では次に、組合そばの広場に面した300平米です」
クララが身を乗り出す。
「こっちは販売所と炎の鍋亭2号店と炎の夜明けのアジト!」
レノは少し笑って、うなずいた。
「クララさんの案をベースにまとめました」
「まず、炎の鍋亭2号店としてスペースを確保します」
父さんが目を細める。
「2号店、ね」
「はい。満席の炎の鍋亭本店の負担を少し軽くできると思います」
レノは同じ場所をさらに丸で囲んだ。
「同じ建物の一角を、炎の夜明け商会の本部とするのはどうでしょうか」
「本部、か」
〈確かに、今の炎の夜明けって、どこが本店なのかあやふやなんだよな〉
「帳簿、契約書、提案書、地図……現在は炎の鍋亭の一角に集まっています。商会として独立したスペースを持つことで、今後の交渉の場としても使えます」
エッタさんが感心したように頷く。
「紙の置き場は、分けておいた方がいいわね」
「さらに、組合そばの広場前という立地を活かして、昼はランチボックスの販売所として店先を使う想定です」
母さんが目を輝かせた。
「組合の行き帰りに、みんなばんばん買ってくれそうね」
「はい。市場の広場に面しているので、看板としても機能します。ランチボックスが欲しければ炎の夜明け商会へ、という記憶を街に植え付けられるはずです」
〈完全にフラッグシップ店だな〉
レノは紙をめくり、今度は販売所と書かれた欄を示した。
「2つ目の柱、販売拠点についてです」
「現在予定しているのは3つです」
「1つ、組合そばの2号店兼販売所」
「2つ、住宅地側。ベックさんの酒屋の店先」
「3つ、鉱山側。マルタさんによる新設の小屋」
テトが、へえと声を漏らす。
「ベックさんのところは、樽を少し避ければ十分なスペースが取れそうです。母友のみなさんを含めて住宅地エリアの方たちが買いに行きやすく、旦那さんたちも酒の買い物ついでに場所を覚えられます」
母さんがにやりと笑う。
「ついで買いね」
レノは鉱山側の赤い印を指さした。
「鉱山側は、マルタさんが木の小屋を建ててくださいます。馬車が横付けできる程度の広さで、販売所兼作業小屋、という形ですね」
テトが腕を組む。
「鉱山の人、絶対喜ぶよな。あそこ、まともな飯にありつける場所、ほとんどねえし」
「はい。ここは弁当と水と簡単な道具の受け渡しぐらいまで視野に入れています」
〈鉱山側を押さえられると、街の外側の流れも握れる〉
「将来的に、銅山とのつながりとも結びつけられるな」
父さんが小さくうなずいた。
レノは最後の紙に手を伸ばした。
「3つ目、配達部隊と料金です」
そこには、名前と馬の数、ルートの表が書かれている。
「配達部隊は、4人を標準とします」
テトが思わず声を上げる。
「4人……って、俺とヤトと、サントの2人?」
「はい。テトさんとヤトさん、サントエール側の配達担当2名です」
「馬は――」
レノは指を折る。
「既にいる1頭に加え、テトさんの実家から1頭、サントエール側から2頭。合計4頭」
「2頭は主に街中」
「1頭は市場から鉱山方面」
「もう1頭はサントエールとの連結や予備として運用します」
「なるほどなぁ……」
テトがそう言いながらも、ちょっと嬉しそうだ。
「ルートの基本は、製造所とサントエールから出発し――」
レノは線を指でなぞる。
「ランチボックスの配達、洗い屋、薪屋、酒屋への配達、そしてサントエールの出荷を組み込みます」
「ついで配達だな」
「はい。ついで配達を意識して、ルートを組んでいます」
「戻りの馬車が空で走らないように、回収も合わせて入れる予定です」
エッタさんが口を挟む。
「弁当箱の回収も、そこに乗せるわけね?」
「その通りです。行きはランチボックスと薪、酒樽。帰りは弁当箱と空樽、洗濯物、という形でバランスを取ります」
〈行きと帰りで、価値のあるものを乗せっぱなしにする、ってわけか〉
「料金については――」
レノは最後の紙を皆に見えるように出した。
「洗い屋は、これまで通り1日銀貨30枚」
「薪屋、マルタさんのところは、日々の配達を1日銀貨60枚」
「大きな品物の単発配達については、1件銀貨50枚」
母さんが少し目を見開く。
「そんなに取って大丈夫なの?」
「はい。これはマルタさんの側にも得があるラインです。人を増やさずに配達を外に出せるので、その分を工房の仕事や木こりに回せます」
クララが、ぽんと手を打った。
「だから、『うぃんうぃん』だよ!」
「ベックさんの酒屋は、洗い屋と同じく1日銀貨30枚での合意を見込んでいます。その代わり、昼間の店先を販売所として使わせていただく形です」
母さんが満足そうにうなずく。
「銀貨30枚で配達もしてくれて、お店の前で弁当も売ってくれるってなったら、そりゃあ断らないわね」
「はい。ベックさんも、すでに前向きでした」
レノは紙の端に小さく丸を描いた。
「母友ネットワークからの小口の相談については、日時指定不可という前提で、空き時間で対応できる範囲のみ受ける形を想定しています」
クララがにこっと笑う。
「『いつでもぜったい』じゃなくて、『できるときだけ』のお約束!」
「ええ。無理のない形で、空き時間を活用する形ですね」
テトがふと真面目な顔になった。
「……これ、全部回せたら、俺たち相当忙しくなるな」
「はい。ただし、忙しいだけにならないように、長期契約はせず単発での取引です」
レノはそう言って、紙の端をとんと叩いた。
「配達部隊の1日の限界を数字で定めて、それを超える仕事は、人が増えてからか、料金を見直してからに回す。そうすれば、過労になりません」
〈不足分が見込めたら、馬車や人が新規投入できるな……〉
レノの説明が一段落したところで、部屋に静けさが降りた。
紙の上では、製造所、販売所、馬舎、馬車、配達ルート、料金表。
バラバラだったはずのピースが、1枚の地図になっている。
〈え、なにこれ。本当に4日で作ったの?〉
「……すごいよ、レノ」
思わず口から出た。
「クララも。レノも、テトも、エッタさんも、父さん母さんも。なんか……全部、カチッとはまってる」
クララが胸を張る。
「ライムがいっぱいになってたからね!決めるだけになるように、がんばった!」
母さんが笑う。
「そうよ。あんた、倒れるまで走るんだから」
レノは少しだけ照れくさそうに微笑んだ。
「最終的な判断は、社長であるライムさんにお願いしたいですが――ここまで整えれば、どちらに進むかを決めるだけです」
〈そうだ。俺は、もう全部を1人で考えなくていい〉
社長の仕事は、一番前で全部を抱え込むことじゃない。
みんなが描いてくれた地図を見て、どの道を行くかを決めることだ。
胸の奥が、じんわり熱くなった。
「……うん。わかった」
俺は大きくうなずいた。
「この地図、一緒に歩こう」
みんなの顔が一斉にほころんだ。
整えられた地図の上で、炎の夜明け商会の次のステージが、動き出した気がした。




