大事な試合
「4番、レフト。バッター、佐々木」
無機質な受付嬢の声がして、佐々木宏太は、ふらふらとマウンドに上がった。本名は功太なのだが、役所に提出する書類で、あろうことかコウの字を間違えたのだった。
これは両親の行き違いに気づかなかったためだった。
佐々木がバットをかまえると、背後にそびえたつ応援席から怒涛の叫び声があがった。
「コウター!」
「いけるぞー!」
その期待に応えるように、宏太はバットを構える。
カキーン――
宏太からは強烈なボールが放たれた。走者が風をきってゆく!
犠飛。宏太の「ブレイブブレイズ鍵島」は3点。
7回ウラ。宏太はふたたびマウンドにあがった。相手チームの赤のユニフォームが夏の日光を受けてらんらんと輝く。ブレイブブレイズ鍵島が2点を追う展開だった。
ドクン――
倒れそうになった。
(おれが決めないと……どうしよう……どうしよう……)
次の瞬間、あたりを包んでいた応援ムードが一変した。ちらほらと「大丈夫か」という叫びが聞こえはじめるまで、三秒もなかった。
佐々木宏太は倒れていた。ボールは、キャッチャーのグローブに吸い込まれていく。
三振……。
そのワードだけが宏太の頭のなかを支配しているのだった。
試合は、7対8で相手チームが勝利した。ブレイブブレイズはこれで、リーグ5位に転落した。依然とトップを走るのは天良レッドファイターズだ。宏太たちに勝って、さらに2位を引き離したのだった。
試合終わり、休憩しているときだった。監督に「話がある」といわれ、宏太は休憩室を出た。
「大丈夫か」
「はい。もうすっかりよくなりました」
初老をすぎた監督は、まだ黒の多い髪の毛に宏太の目を集中させているあいだに、けろっとしているかを観察している。
「……大事な時に落とすところがあるのか、佐々木は」
「たしかにそういうところもあるかもしれません。しかし、そこも含めて僕ではありませんか」
「それは三十後半のベテランが一流の報道に囲まれていうときにとっとけ」
「そうですね」
監督と話していると、いつの間にか表情が和むのだった。特に、酒を交えた席のときは。
「君は障害があるという話だが」
「エーディーエスディーというものを患っているらしく……」
「そうか。しかしまあ、ADSDはクリエイティブなタイプが多い。それは野球にも向いている」
黒川監督は眼鏡をとり、さわやかな笑顔を見せた。
「うまい作戦を期待しているぞ」
「はい」