暗い過去
夜、リヒトは屋敷の中庭にあるベンチに座っていた。
寝間着の上にコートを着て、俯いていたが顔を上げ空を見上げる。
大きな月、数多の星が輝いている。が……リヒトの心情は真っ暗だった。
「…………」
「あら、こんなところで何をしてるのかな?」
「ッ!!」
ビクッと震え、立ち上がると……背後にいたのはセリアンだった。
寝間着にコートを羽織っただけ、化粧も落とし、寝起きから散歩をしているようだった。
リヒトは、セリアンと目を合わせることができない。
「せ、セリアン……その」
「なあに、リヒト。ううん、テンコウ伯爵……ふふ、爵位を得るなんて、大した出世ね」
「……っ」
リヒトは、どうしてもセリアンに向き合えなかった。
その理由。それは、リヒトにある。
セリアンは、優しく微笑んでいた。
「リヒト。まだ私と目を合わせられないんだ」
「……ぅ」
「罪悪感。その傷跡は、リヒトでも治せないんだね」
「……」
青い顔で、リヒトは小さく口を開ける。
「ごめん、本当に」
「森」
「ッ!!」
「私が、支配地域の奥に通じる森の話をした時、どう思った?」
「…………」
「忘れてないよね。小さいころ、私を連れだして森に踏み込んで、魔獣に襲われた。私は消えない傷が付いて、あなたは逃げ出した」
「……そ、それは」
「子供だったからね。仕方ないよ」
まだ、六歳のころだった。
リヒトは、今ほど引っ込み思案でもなく、むしろ努力家だった。
ピュリファイ公爵家の跡取りを目指し、六歳ながら魔法の訓練を開始……そして、セリアンと出会ったのも、このころだった。
可愛い女の子だと思った。子供ながら、カッコイイところを見せたかった。
だから、セリアンを連れ、支配地域の境界まで行こうと思った。
今思えば、ただのバカだった。
森のことは、今はもういない老齢のマギナイツが話しているのを聞いた。
そして、セリアンを連れ、二人だけで森へ入った。
森には、魔獣がいた。そして……魔獣の爪に、セリアンが引き裂かれたのだ。
「リヒト、逃げたよね」
セリアンは、リヒトの心の傷を抉る。
そう……リヒトは、逃げたのだ。
傷を負い、血に濡れたセリアンを置いて、逃げ出した。
助けを呼びに行ったと言えば聞こえはいい。だが……リヒトは、逃げたのだ。
「…………」
逃げた先で、たまたまマギナイツがいた。
その先のことは、よく覚えていない。
だが、それをきっかけに、攻撃魔法が全く使える気がしなくなった。癒しだけしか使えなくなった。
セリアンは、寝間着のボタンを外し、リヒトに身体を見せる。
「ね、見て。今のマギア技術でも、この傷は消えないの」
酷い傷跡だった。
引き裂かれ、グズグズになった皮膚。治ってはいるが、痕は永遠に残る。
「今のリヒトなら、治せるかな?」
「……そ、それは」
治したい、その気持ちはある。
だが……セリアンを前にすると、罪悪感が込み上げ、うまく魔力が沸き上がらない。
力が、使えない。
「無理かぁ。残念」
「……ま、待って。その」
「ううん、気にしなくていいよ。今は、七曜月下を倒すことを優先しなきゃ」
セリアンは、ずっと冷たい笑顔だった。
そして、リヒトに「じゃあ、おやすみ」と言って屋敷に戻ろうとした……が。
「……こんばんは」
「よう」
アシェ、トウマが待っていた。
アシェが「こっちで」と、リヒトのいるベンチから離れた、屋敷の隅にあるベンチへセリアンを連れて行く。
そして、ベンチに座るなりアシェは言う。
「アンタ、何を考えてるの? その……話、聞いちゃって申し訳ないけど、リヒトを追い詰めてどうするつもり?」
「追い詰める? 私はただ、リヒトが私のことを忘れて、楽しそうにしてるのが羨ましかっただけ。だから、私のこと、思い出してほしかっただけ」
「……アンタには同情する。でも、今は余計なこと言わないで。アタシの見立てだと、リヒトが本領を発揮するのにはメンタルが何より大事なの。今のメンタルじゃ、アタシの作った『トゥアハ・デ・ダナン』の力をフル活用できない。悪いけど……」
「私を、作戦から外す?」
「ええ。アンタは後方待機ね」
「待った」
と、トウマは話に割り込み、セリアンをジッと見た。
セリアンは、やはり変わらない笑顔をトウマに向ける。そしてトウマは言った。
「お前、死ぬつもりだな?」
「は?」
「……」
驚くアシェ。セリアンの笑顔が、少しだけ崩れた。
そして、小さく笑う。
「ふふ。そうね……あなたの言う通り。私……死にたいの」
「はあ? ちょ、なんで」
「女ならわかるでしょ?」
セリアンは、寝間着をはだけ、傷だらけの肌を見せた。
アシェは「うっ」と息を飲み、トウマは身体をジッと見る。
「子供のころ受けた傷で、内臓も傷付いてね。もう子供も産めないし、女としては終わったの。ずっと考えてたの……もう、生きてても、意味がないの。だからせめて、リヒトが私を忘れないよう、リヒトの前で死ぬって決めたのよ」
「おっもいなぁ」
「……し、死ぬって。と、トウマ、アンタ、治せないの?」
「んー、もう完全に傷が定着してるし、『傷』なら殺せるけど、『皮膚』を殺したらこいつも死んじまう。厳しいなあ」
トウマは肩をすくめた。
セリアンは言う。
「悪いけど、私は戦うわ。命はいらないけど……故郷のために戦う覚悟はあるの」
「……でも」
「まあいいだろ。アシェ」
「え……?」
「リヒトが何とかするさ。こいつの傷も、自分の傷もな」
そう言い、トウマは欠伸をして屋敷に戻ろうする。
すると、セリアンは言う。
「リヒトに、できると思うの? 私に怯えて、傷に怯えて、逃げ出した憐れな子供なのに。私は、この傷の恨みを命の刃に変えて、リヒトの胸に突き刺そうとしてるのよ」
「ああ。お前も大した覚悟だよ。確かにリヒトは逃げたんだろうよ。でも……あいつは強くなった。きっと、いろんなモンを乗り越えて、前に進む」
「……そんなこと」
「できるさ。なあ、もしリヒトが乗り越えたら……許してやれ。きっとあいつは、お前に許してもらいたいって思ってるぞ」
「…………ふざけないで」
セリアンは立ち上がり、トウマに近づき、胸倉を掴んだ。
トウマは避けなかった。
「許せ? こんな傷をつけられて、許せるわけないじゃない!! 女としても終わってる。貴族としても役立たず。だったら……命を賭けるしか、ないじゃない」
「おお、いい声出すじゃん。お前の原動力は『恨み』か。まあ、ありがちだな」
「……あなた、私を馬鹿にしてるの?」
「いや? お前はすげぇよ。でも一つだけ……リヒトはやる。綺麗さっぱり傷を治す」
「……」
「許さなくていいし、恨んでもいい、死にたいならそれでもいい。でも……リヒトを信じろ。それだけだ」
トウマはセリアンの手を外し、アシェに言う。
「アシェ。こいつは作戦に絶対参加させろ。特に命令とかもしなくていい。やりたいようにやらせろ」
「と、トウマ……さすがにそれは」
「大丈夫だ。信じろって」
「…………はぁぁ、わかったわよ。ったく」
アシェも立ち上がり、セリアンに言う。
「じゃあ一つ。セリアン……アンタはリヒトを信じること。命令はそれだけよ」
「ふぁぁ~あ……ねっむ。じゃあおやすみ」
トウマ、アシェは屋敷に戻って行った。
残されたセリアンはベンチに座り、大きくため息を吐く。
「信じろ? ……信じたいわよ。でも……どう信じろっていうのよ」
セリアンは、空を見上げ、大きな月を静かに眺めるのだった。