ヴェノム毒湖
ヴェノム毒湖。
どこか水っぽい、湿った空気が漂い、足元もどこか濡れた土で歩きにくい。
そして、周囲にはうっすらと霧が漂い、大小さまざまな水たまりがいくつもあった。
そんな泥道を、トウマたちは進んでいた。
「ドロドロで歩きにくいなー」
「うう、靴が汚れますわ」
「同じく、いやだわ……」
「私は気にならんな」
「…………」
会話をしながら歩く四人……不思議なことに、魔獣の気配がない。
リヒトは、どこかボーッと歩き、泥に足を取られ転びそうになった。
「うわっ!?」
「あら、リヒトさん。大丈夫ですの?」
「ぼんやりしてるからよ。まったく」
「あ、いや……」
マール、カトライアに手を差し出されるが、リヒトは二人を見ると、昨日見た裸がぼんやり浮かんでしまい、顔を赤くして目を逸らした。
マール、カトライアは首を傾げるが、リヒトは「言えるわけがない」と立ち上がる。
「だ、大丈夫。ごめん、ありがとうね!!」
「え、ええ」
「……変な人ね」
そんなリヒトを見ずに、トウマとビャクレンは大きなため池を見ていた。
「魔獣、いないな」
「はい。ですが、いる気配は感じますね……うっすらと、ですが」
「ふむ……なあマール、ここって魔獣が全然いないところなのか?」
「ええ。ヴェノム毒湖は、毒の水が流れる水場ですわ。あ、水に触れないようにしてくださいな。死ぬような毒ではありませんけど、手が荒れたり、体内に入るとお腹が痛くなったりしますわよ」
水に触れようとしていたカトライアが手を引いた。
リヒトは言う。
「毒なら、ボクの魔法で解毒できるよ。でも、気を付けてね」
「わ、わかってるわよ」
カトライアが歩き出す。
トウマたちは、周囲を警戒しながら進むが、やはり魔獣はいない。
毒の水だが、木々はしっかり生えている。毒の水に適応した木々であることは確実だ。
特に苦労することなく奥に進むが……トウマの顔色が変わった。
「──……そういうことか」
「「「?」」」
「……師匠。これは」
遅れて、ビャクレンも気付いた。
五人が到着したのは、霧に包まれた大きな湖……『ヴェノム毒湖』だ。
到着するなり、カトライアが鼻を押さえた。
「こ、この匂い……」
「毒ですわ。ヴェノム毒湖は、その名の通り毒の湖……でも」
「あ!! あそこ、見て!!」
リヒトが指差したのは、湖の中央にある巨木。
大きな湖の中央に、不自然なほど大きく、真っすぐな樹木が伸びていた。
そして……その樹木に、巨大な何かが絡みついている。
トウマは腰を落とし、『瀞月』を抜刀。
霧が払われ、樹木までよく見えるようになった……そして、見えた。
「な、何、あれ……」
カトライアが青くなる。
マールも驚き、リヒトは唖然とする。
ビャクレンは「ほう」と頷いた。
「でっかい蛇だなあ……斬りがいがありそうだ」
大樹に絡みついていたのは、斑模様で、薄紫色の大蛇だった。
全長四十メートル以上、丸太以上の太さがあり、絡みついた樹木がメキメキと音を立てている。
そして、トウマたちをギョロリと見ると、樹木からスルスル音もなく降り、水の中にチャプンと消えた。
まるで、獲物を見つけたから、狩りの体制に入ったような不気味さ。
トウマは言う。
「俺がやる。ビャクレン、みんなを頼むぞ」
「承知」
トウマは、近くの丸太を両断し、人が担げる大きさへ加工。
それを手に取り、湖に向かって放り投げた。
丸太が湖に浮かび、トウマは跳躍……丸太の上へ。
カトライアが叫んだ。
「ば、馬鹿!? なんで、相手の狩場のど真ん中に行くなんて、馬鹿!! むぐっ」
「と、トウマさん!! さすがに無茶ですわ!! もがっ」
すると、ビャクレンが二人の口を塞ぐ。
「師匠の邪魔をするな。お前たちが想定することなぞ、師匠は想定ずみだ」
「「もがが……」」
「……トウマくん」
リヒトだけは、『ティターニア』を強く握ってトウマを見ていた。
◇◇◇◇◇◇
トウマは、丸太の上でバランスを取りながら『瀞月』の柄に手を添えていた。
すると、うっすらと見える……湖面に、長く太い物体が、くねくねと身体を揺らしながら泳いでいるのを。
トウマはニヤリと笑う。
「戦神気功」
そして、湖面が一気にせり上がる。
大口を開けた大蛇が、トウマを飲み込もうと丸太ごと飲み込もうとした。
だがトウマは丸太を蹴り跳躍、なんと水の上に立つ。
「『水面が如く』」
トウマは、水面を走っていた。
唖然とするマール、カトライア、リヒト。
「あ、あの……トウマさん、水の上を」
「走って、る……?」
「ぼ、ボク、目がおかしくなったのかな」
リヒトがゴシゴシと目を擦る。
するとビャクレンが言う。
「足元をよく見ろ」
「「「……???」」」
ビャクレンはすぐ気づいた。
トウマの移動した場所では、小さな葉っぱが舞う。
リヒトも気付いた。
「まさか……トウマくん、葉っぱの上を!?」
「その通り」
トウマは、水の上に落ちている葉っぱを踏み、移動していた。
わずかな浮力……葉っぱが沈む前に、別の葉っぱへ、そして別の葉っぱへ……と、葉っぱを踏んで水の上を移動している。
あまりの神業に、マールたちは言葉が出なかった。
一方、トウマは。
「っはは!! 気持ちいい~!!」
水の上を走るのは久しぶりだった。
大蛇も、トウマを追って水面を滑るように追って来る。
時折振り返りながら、トウマは大蛇との追いかけっこを楽しんでいた。
だが……楽しい時間も終わりが来る。
「お前の肉は食えないな……悪いけど、ここで終わりだ」
トウマは、刀を鞘に納めて跳躍。
そして、くるりと身体を丸めて回転し、正面が水面に向くようにする。
大蛇は潜水し、トウマめがけて大口を開け、飛び掛かって来た。
向かい合う、トウマと大蛇。
だが、この形になった時点で、トウマの勝ちは決まっていた。
「刀神絶技、『篠突雨』!!」
斬撃ではなく、突き。
空中で放つ突き技。大口を開けた蛇の口に刃が刺さり、頭部を貫通して刀が抜けた。
大蛇は即死。トウマは空中で刀を抜き、大蛇の身体を踏み台にして、岸まで戻って来た。
「よっと。おしまい……毒蛇っぽいし、肉はやめておくわ」
「「「…………」」」
「師匠、お疲れ様です。まさか水面を走るとは」
「いやー、久しぶりに走って楽しかった!! さーて、湖抜けたらいよいよ、光の国だ!!」
トウマは歩き出し、ビャクレンも続く。
残された三人は、湖に浮かぶ大蛇を見て言う。
「……相変わらず規格外ですわね」
「直接的な強さは七曜月下より下でしょうけど……この状況で戦おうとは思わないわね」
「あ、あはは……さ、さすが、だね」
三人は顔を見合わせ、トウマたちを追って走るのだった。
湖を抜ければいよいよ、光の国チーフテン。そして、この先は『ナドの森』……チーフテンの危険地帯である。