月詠教・天照十二月『水無月』フラジャイル①
一方そのころ、火の国ムスタングで一学年を鍛えていたビャクレンは。
「全く、人間と言うのは根性がなさすぎる……もぐもぐ」
「あはは。あたしはよくわかんないけど、あんたが厳しすぎるとかじゃない?」
アシェの研究棟にて、メイドのルーシェが淹れたお茶を飲みながら、ムスタングの高級菓子店で買ったクッキーを何枚も食べていた。
すでに二十枚以上のクッキーを食べているが、その手は止まらない。
「はあ。師匠に会いたい……」
「トウマだよね。ビャクレン、トウマのこと好きなん?」
「ええ。あの剣技……美しく、強く、気高く……私が千年かけて鍛えた技が、ただのお遊びへと成り下がってしまった。千年程度じゃ越えられない境地。師匠について行けば、私は超えられる……あの三人を、超えることができる」
ビャクレンは、咀嚼していたクッキーをゴクリと飲み込む。
ルーシェは言う。
「あの三人? 友達でもいるの?」
「いえ。天照十二月、『睦月』、『如月』、『弥生』の三人です。私たち、天照十二月は『和風月名』という称号を与えられるんですが、私は十二人の中で四番目……『卯月』です」
「えーと……よくわかんないけど。あと、あたしには敬語しなくてもいいよ?」
「いえ。師匠の教えなので。『敬語で話せ』と」
「そうなんだ……で、ビャクレンってば、上位の三人を倒したいの?」
「ええ。順位の入れ替え戦を挑んで勝てば、称号の入れ替えになるんですけど……十二人の上位三人は、月光の三聖女に匹敵する実力者で、まだ私じゃ届かない領域にいる。恐らく、師匠と同じ領域に……だから、師匠に師事し、私もあの領域へ」
ビャクレンは、クッキーをモグモグ咀嚼する。
ルーシェは、いまいち理解できない。ビャクレンが『月から来た』とは聞いているが、正直かなり半信半疑である。
だが、ビャクレンはルーシェにとって、アシェの客人である。
一か月ほど留守にすると言ったので、それまでビャクレンの世話を任された。
話してみると、意外にもとっつきやすくて喋りやすい。
「ね、学園はどう?」
「さっきも言いましたけど、生徒の根性が足りませんね」
「あ、あー……そうじゃなくて、何か面白いことあった?」
「いえ別に──」
と、次の瞬間、ビャクレンがいきなり立ち上がった。
驚くルーシェ。ビャクレンはルーシェを押しのけ、腰に差した小太刀に手を添えている。
すると、敷地内に現れたのは……妙な『傘』を差した男だった。
しかも、男の上空にだけ雨が降っている。
「……フラジャイル」
「その名前、あんま好きじゃないんだよ。アタシのことは『雨男』と呼んでくれよ……ビャクレンちゃん」
現れたのは、天照十二月『水無月』フラジャイル……こと、雨男だ。
ルーシェは困惑する。
「あ、雨? え、なんでその人の上から……?」
フラジャイルの頭上にだけ、雨が降っていた。
傘を差しているので濡れてはいない。フラジャイルはケラケラ笑って言う。
「いい質問だねぇ。まあ、見ての通り……アタシはね、雨が好きなんだよ。いつでも傘を差して、雨を浴びていたい。だから、魔法で雨を降らせているのさ」
「相変わらず、意味不明ね……で、フラジャイル、何の用?」
ビャクレンは、敬語が消えていた。
フラジャイルは傘から顔を覗かせて言う。
「あのね、アタシが来た理由なんて考えなくてもわかるでしょ……ビャクレンちゃん、月に戻っておいでよ。あんまりにも一方的な連絡しかしないで、『睦月』も心配してるよ?」
「あいつが心配なんてするわけないでしょ。で……フラジャイル、ここに来た理由ってそれだけ?」
「いやいや。ここにきた理由はこれだけさ。本当の目的は……わかるだろ?」
「……雨でしょ」
「正解!!」
「え、雨……って」
ルーシェは首を傾げる。すると、フラジャイルは言いたくて仕方ないのか、手をパンパン叩いて言う。
「いやあ、アタシの目的の一つに、雨を浴びるってのがあるんだよ。こんな魔力の雨じゃない……月では味わえない、本当の雨を傘で受けとめること。じゃなきゃ、身勝手なビャクレンちゃんのことなんて呼びに来るわけないし」
フラジャイルはケラケラと笑った。
ビャクレンは舌打ちする。
「だったら帰れば。私は、師匠の教えを完璧に体得するまで、月には帰らない」
「あっそ。まあ、伝えたからいいかぁ……でも、あんまり身勝手だと『十二月』をやめさせられちゃうよ?」
「その時は、今より強くなって月に帰り、『睦月』を倒してトップになるわ」
「あっはっは。ああそれともう一つ……『斬神』のことだけど、本当なのかい?」
『斬神』……かつて『月神』を斬った現人神、と月では言われている。
二千年以上前、月詠教が地上侵攻を開始した際、『月神』自らが脅威認定し、神と同列と言わしめた四人の現人神。今はその子孫しかいないはずなのだが。
「本当よ。あんたも見て、戦えばわかる。あれは神の如き力」
「……ふぅん」
フラジャイルは踵を返し歩き出した。
「ああ、最後にひとつ。水の国、火の国と七曜月下が敗北して、人間たちが調子に乗ってるの見てたらすこーしだけイラッとしちゃってねえ……地の国ヴァリアントの七曜月下もイライラしてたし、ここらでひとつ、国堕としをすることに決めたよ」
「……」
「え……」
ビャクレンは無言だったが、ルーシェは口に手を当てて驚愕していた。
「アタシも手ぇ貸すことにした。どうするビャクレンちゃん、一緒に行くかい?」
フラジャイルは傘をクルクル回し、ビャクレンに手を伸ばす。
だがビャクレンは鼻で笑った。
「はん。好きにしたら? それと、いいタイミングというか、悪いと言うか……」
「んん?」
「私は関わらない。お手並み拝見、といこうかしらね」
「……よーくわからんけど、まあいい。じゃあ、そういうことで」
フラジャイルは、そのまま歩き出し……ぴたりと止まる。
ビャクレンはルーシェを突き飛ばし、小太刀を抜いて一閃。小さな、何かが斬れた。
そして、ビャクレンの額にツノが伸び、青筋を浮かべ、牙を剥き出しにして言う。
「……あんた、喧嘩売ってんの?」
ルーシェはようやく気付いた。
狙われたのだ。死の一撃を、ビャクレンが庇ってくれたのだ。
フラジャイルは振り返り、肩をすくめる。
「いんや。人間と仲良くしてるから、どれだけ大事なのか確認しようとしただけさ。でも……逆鱗に触れちゃったかなぁ? あっはっは」
滝のような雨が降り、数秒で止んだ……そこにはもう、フラジャイルはいなかった。
ビャクレンは舌打ちし、ルーシェに言う。
「大丈夫ですか?」
「う、うん……ありがとう」
「いえ。それにしても、地の国ヴァリアントですか」
「どど、どうしよう。旦那様に伝えて……いやいや、ただのメイドのあたしの言葉で信じるわけないし。あわわ」
「大丈夫ですよ」
ビャクレンは落ちつき、座り直し、残ったクッキーに手を伸ばした。
「地の国ヴァリアントには、師匠がいます。フラジャイル……師匠の強さがどれほどなのか、その身体で味わうといい」
クッキーをガリッと噛み、ビャクレンは不敵な笑みを浮かべるのだった。