ハスター・シャルティーエ
早朝。
トウマは、アシェの研究棟の庭先で座禅を組んでいた。
眼を閉じ、イメージを思い浮かべる。
同時に、気を練り全身に漲らせ、さらに深いイメージの奥へ潜り込む。
脳内には、今、自分が座っている庭先の光景が広がり、座禅を組むトウマの前に、イメージをした『トウマ』が刀を抜いて構えを取っている。
そこに立つのはトウマ。座禅をしているトウマが立ち上がり、刀を抜く。
全く倒すイメージの湧かない相手。それは、トウマ自身。
(──勝負)
戦いが始まる。
眼にもとまらぬ剣戟。互角なので終わりがない。
刀を捨て、拳、足がぶつかり合う……こちらも互角。
刀、拳法を混ぜた攻撃を繰り広げる……全くの互角。自分同士なので、互いに何をするのか、どんな技があるのか、どんな攻撃なのか、確実に理解できる。
イメージのトウマ、リアルのトウマの戦いに終わりが見えない。
「……くそ、今日もダメか」
トウマは目を開け、呼吸を整える。
自分を倒すためのイメージ修行。トウマは、一度も自分に勝てない。
そもそも、昨日のトウマを倒すために強くなっても、今日のトウマも同じく強くなっているのだ。互いに強くなる自分同士の戦いに、終わりはない。
トウマは、アシェからもらった鉄の棒を地面に突き刺し、少し離れ構えを取る。
「刀神絶技、刹の章──『審判』」
キィン、と静かな音が響き、鉄の棒が砕け散った。
正確には砕けたのではなく、五千ほどの斬撃で斬られただけ。
トウマは刀を鞘に納め、大きく伸びをした……その時だった。
「あれ、誰?」
いきなり、上空から誰かが落ちてきた。
もちろん、トウマは気付いていたが『最近は空飛んで散歩するんだなー』くらいにしか思っていない。
トウマの傍に着地した少年は、トウマをジーッと見て言う。
「キミ、誰? なんでアシェの研究棟に?」
「そりゃ、宿を借りてるからな。アシェは友達」
「友達!? しかも、男かよ……オレっていう婚約者がいながら、他の男を連れ込むなんてなあ」
不思議な少年だった。
緑色の肩にかかるほどの長髪。濃い緑色のローブを着て腕まくりし、シャツのボタンが三つも開いているので胸元が見えている。そして、一番トウマが面白く感じたのは、少年は両手をポケットに入れているにも関わらず、装飾のされたゴツい槍が少年の周りを旋回しているところだった。
「槍が浮いてる……」
「そりゃ、オレの『魔導器』だもん。知ってるだろ? 風を司るシャルティーエ公爵家の象徴武器である『槍』のこと。これ、オレの専用マギア『グリフォン』ね。カッコいいだろ?」
「確かに、カッコイイ……!!」
「ははっ!! なんだ、話せるじゃん。キミ、名前は?」
「俺はトウマ。よろしくな!!」
「ああ。オレはハスター・シャルティーエ。ああ、平民だからって差別しないから安心してよ」
ハスターは、槍の柄を軽く蹴ってクルクル回転させ、自分の手でパシッと掴み、肩で担ぐ。
トウマは思う。
「へえ、お前けっこう強いな」
「おいおいおいおい、けっこうじゃないくて、メチャクチャ強いの。わかる?」
「はっはっは。そうだな……マールと同じくらいかな」
「おいおいおい。マールって……アマデトワール公爵家のブラコンお嬢様のことじゃん。愛称で呼ぶってどういう仲?」
「友達。アシェと同じだぞ」
「あ、待った。友達でも、アシェって呼ぶのは女以外はダメ。オレの婚約者だからな!! 他の男に『アシェ』なんて呼んでほしくない!!」
「そうなのか? でも、アシュタロッテって長いし言いにくいし忘れそうな名前だぞ」
「ダメだっての。ってかトウマ、お前のノリなんかいいな。話しやすくて面白いぜ」
「俺も、お前のこと嫌いじゃないなー」
と、話が盛り上がっている時だった。
ドアが開き、アシェが物凄く不機嫌そうな顔をして出てきたのだ。
「お、アシェ!! ひっさしぶり、我が愛しの婚約者様~っと」
「ふざけんな!! 何度も言ってるでしょ、アンタを婚約者なんて思ったことないし、その話は全然噓っぱちで決まってもないから!! トウマ、アンタ、コイツに何か言われたみたいだけど、全無視ね!!」
「お、おう……お前、なんか怖いぞ」
「うっさい!! で……ハスター、アンタ何しに来たの」
「そりゃ、三日後の魔獣討伐に参加するからさ。知ってんだろ? ウチの親父とお前の親父、ダチ同士だから付き合いあるって」
「…………」
アシェの機嫌が悪い……嘘ではないようだ。
トウマは面白そうなので黙ることにした。
「オレさ、お前のことマジで好きだぜ? 努力家だし、マギア開発の才能スゲーし、いつか化けるんじゃないかって考えてる。婚約者の話出た時には、大喜びだぜ」
「アタシは嫌。結婚して、家庭に入れとか言われて、戦うことも、マギア開発も取り上げられるなんざまっぴらごめんよ。アタシはマギナイツになって、自分の意思で戦うのよ」
「はいはい。ってか、そんなの無理に決まってんだろ……お前、同級生の七国出身者の中で、成績最悪じゃん」
「それはもう過去の話。アタシは、アタシの道を見つけたの。三日後の魔獣討伐……アタシも参加する。その時、アタシの腕前を見せつけて、お父様にマギナイツへの道を歩むことを証明するのよ」
「へぇ……」
ハスターはニヤッと笑い、アシェに顔を近づけた。
「自身たっぷりだな。赤い瞳が炎で燃えてるみたいだぜ」
「実際、燃えてんのよ。アタシの新マギアの力、見せてやる」
「なんかお前ら、気が強い同士お似合いだなあ」
アシェが本気で睨んできたので、トウマは数歩下がり黙り込むのだった。
◇◇◇◇◇◇
トウマの腹が鳴ったので会話が終わり、一階のリビングへ。
「なんでアンタまで来るのよ」
「オレ、さっき王都に到着したばかりでさ、イグニアス公爵閣下には明日挨拶する予定なんだよ。で、今日は愛しの婚約者様に挨拶しに来たってわけ」
「その愛しの婚約者ってのマジやめて。クッソキモイ」
アシェは本気で嫌がっていた。
すると、昇降機が動きマールが来た。
「おはようございま……あら、まあ。ハスターさん?」
「よ、マール。相変わらずすっげえ美人さん。しばらく合わないうちに、美しさに磨きをかけてるね」
「まあ、お上手……」
マールは目が笑っていなかった。
トウマは欠伸をして言う。
「アシェ、風呂入れるか? 汗かいたし、メシの前に汗流したい」
「お湯もう張ってあるわよ」
「ああ。風呂~」
トウマは、着替えを持って地下へ。
ハスターは、トウマがいなくなったのを見計らって言う。
「なあ、あいつ何なんだ? 友達とか言ってたけど。未婚の男女が、同じ空間で寝泊まりとかするもんじゃないぜ」
「少なくとも、アンタよりは信用できるわ」
「トウマさん、紳士……ではありませんが、不思議と気が許せるんですよね」
「ふーん……じゃ、メシの前に真面目な話するか」
ハスターの空気が変わり、アシェ、マールも真面目な顔になる。
「今回の魔獣討伐、けっこうヤバいのがいる。月詠教の司祭か、大司教が絡んでる」
「……それ、ホント?」
「オヤジが言ってた。どの国の支配領域も、魔獣が活発化しているらしい。うちは『風』だからな、こういう情報を得るのが早い」
「シャルティーエ公爵家の情報網は信じられますわね」
「そりゃどうも。で、マールならわかるだろ、魔獣の活発化の原因」
「……水の国マティルダの七陽月下が、討伐されたからですわね」
「ああ。これまで、前線に出ることが少なかった司教、司祭が、けっこうな頻度で前線に出てる。七陽月下の一つが堕ちたことで、人間を本腰入れて潰しに来たのかもな」
「「…………」」
「とにかくだ。マールはともかく、アシェ……お前、今回の魔獣討伐はやめとけ」
「……はあ? アンタ、マジで言ってんの?」
「ああ。婚約者とか抜きにしても、お前には荷が重い」
「アンタ、風のくせに聞いてないの? アタシとマール、すでに『大司教』と戦ってんのよ?」
「負傷し、死にかけた相手の……だろ?」
アシェは舌打ちする。
ハスターは続ける。
「月詠教……世界に存在する魔獣、それらを使役する『司教』に、司教を束ねる『司祭』……そして、司祭に命令する上位存在である『大司教』に、七陽月下の側近である『枢機卿』……そして、七国を攻める月詠教でトップの七人である『七陽月下』……正直、オヤジたちじゃないと勝ち目のない相手がほとんどだ。でも、水の国マティルダの七陽月下が堕ちたことで状況が変わった。ここから先は、マジな戦いになる……アシェ、オレは、お前に怪我して欲しくないんだよ」
「それよ」
アシェは、ハスターを殺さんばかりに睨む。
「勝手に人を格下扱いして、お気に入りのお人形に接するようなその甘い態度。マジでクソ吐き気がする。宣言するわ。アンタとの婚約が決まった瞬間、アタシはお父様の前で首斬って死んでやるわ。それくらい、舐めたアンタがクソ嫌い」
「あ~いい湯だったぜ~!! 朝飯食って今日も頑張るぜ!!」
最悪なタイミングで、トウマが戻って来た。
ホカホカと湯気を立てながら、大きく伸びをして言う。
「あれ、朝飯は?」
「「「…………」」」
こうして、何とも言えない空気のまま、朝ご飯となるのだった。