最前線
砦の医療室は、地獄のような光景だった。
大勢の怪我人……全員がマギナイツだ。
大部屋には大量のベッドが並び、四肢を失った人たち、包帯だらけの人、ベッドが足りず床で寝ている人もいれば、治療待ちで血を流したままの人もいる。
男も女も関係ない。
女騎士が鎧をひっぺがされ、鎧下を脱がされ、上半身裸で怪我の治療を受けているが、男も女もそれを気にしている様子もない。
皆、命を失うか失わないのかの瀬戸際なのだ。
アシェは、口元を押さえ、青い顔で言う。
「……ひどい」
「そういえば、アシェは初めてなのですね……最前線で戦う騎士を見るのは」
マールの顔色は変わっていない。
トウマも、特に気にしていない。
マールの視線の先には、水色の髪を適当に束ね、マスクをし、血で濡れた白衣を着た女性がいた。
アシェが「シェールさん……」と呟く。
「重傷者、治療系マギアを優先して使うわ。それ以外は薬で治療を!!」
「包帯の予備、足りないなら本国に発注!!」
「薬を!! 治療系マギアはそっちに!!」
様々な声が聞こえてくる。
シェール……マールの姉は、周りの医師や看護師に指示を出している。
「シェールお姉様は、医師ですの。固有マギアも治療系で……いなくてはならない存在ですわ」
「……なんか、嬉しそうね」
「ええ。負傷者を前に笑うのは最低ですけど……私、姉が誇らしいですわ」
「なあ、怪我人だよな。ちょっと試していいか?」
相変わらず、トウマは空気を読まない。
ずかずかと、大部屋の真ん中へ。医師や負傷者、看護師が不審な目で見たり「おい邪魔だ!!」と怒鳴るがトウマは無視。
アシェが頭を抱え、マールが唖然とする……すると、シェールが気付いた。
「マール? マールじゃない!!」
「お姉様、お久しぶりですわ。その……こんな状況でなければ、お話したいことがたくさんあるんですけど」
「そうね。ところで、あの子は? 今、最前線から運ばれて来た負傷者の治療で忙しいの。悪いけど、手が空いてるなら……」
と、ここでトウマはなんと、刀の柄に手を乗せた。
アシェが仰天する。
「ちょ、トウマ!? アンタ、何するつもり!?」
「試したいことがあるんだ」
「待ちなさい!! あなた、治療不可能な騎士を楽にするとか、そういうつもり!?」
シェールが叫ぶ。
周りには、呻く騎士もいれば、トウマを見て「やってくれ」と頷く騎士もいる。
アシェが止めようとするが、すでにトウマは腰を落とし、抜刀の構えを取る。
「|嘘神邪剣……『傷殺』」
眼にも止まらぬ抜刀、そして納刀。
トウマは「ふう」と一呼吸……何が起きたのか、誰も理解できなかった。
だが、すぐにわかった。
「……あ、あれ?」「え……なんで」
「え?」「うそ」「は……?」
周囲から、驚きの声。
呻き声が消えた。騎士たちがベッドから起き上がる。
アシェ、マール、シェールが唖然とした。
「……ウッソ。なに、これ」
「……まあ」
「え……何が、起きたの?」
驚く三人の元に、トウマが普通に戻って来た。
「とりあえず、形にはなったけど……やっぱ若い身体だと感覚違うな。もうちょい鍛錬詰まないと、晩年の時みたいな斬撃は無理だ」
物足りなそうに言うトウマ。
何が起きたのか? 簡単だ……負傷者の怪我が、きれいさっぱり消えていた。
傷は消えた。だが、失った四肢はそのままだし、血を多く失った者の顔色は悪い。
だが、死に瀕する傷を負った者の怪我も消えていた。
アシェは言う。
「トウマ、アンタ……何をしたの?」
「『負傷』を斬った。俺の『嘘神邪剣』は概念を斬る技だ。つまり、『怪我した事実』を斬ったから、怪我が消えただけ」
「「「…………」」」
神業どころではない。完全に世界の理を無視した技だった。
シェールが言う。
「あ、ありがとう……その、ごめんなさい。まだよく現実が受け入れられなくて」
「まあ気にしなくていいよ。怪我人みんな治ったし、あんたもマールとお茶する時間くらいとれるだろ?」
「えと……そうね。マール、この子……何者なの?」
「……とんでもない人、ですわ」
◇◇◇◇◇◇
お茶は後回し。
まずは、シェールも一緒にガルフォス、ギールがいる司令官室へ。
そこに行くと、ガルフォスとギール、数名の上級マギナイツが会議を行っていた。
「……シェールか」
「お久しぶりです、お父様」
「負傷者はいいのか?」
「え、ええ。その……彼のおかげで」
「どーも。はっはっは」
トウマは軽く手を振る。
ガルフォスはそれ以上追求せず、テーブルの上に視線を戻す。
トウマたちもテーブルを覗き込んだ。
そして、ギールの部下である上級マギナイツが説明する。
「現在、国境壁北部、南部が押されています。ここ中央部はギール司令官のおかげで『司祭』率いる魔獣部隊を退けることができましたが……」
「北部、南部か……よし、ギールは南部へ、私は北部へ向かう。騎士たちに喝を入れ、魔獣を殲滅するぞ」
「わかりました。では、中央部は……」
「マール。補佐に指揮経験のある上級マギナイツを配置する。お前がここを守れ」
「わかりました、お父様」
「はいはーい!! あの、俺も戦いたい。北でも南でもいいから行かせてくれよ」
「この馬鹿!! アンタ、そんな状況じゃないのわかるでしょうが」
「え~」
アシェに耳を引っ張られ、トウマは下がる。
ガルフォスが言う。
「トウマ君。キミは、中央部でマールの補佐を頼む」
「ん~……まあ、いいか。じゃあ、中央部で戦うよ」
「そうしてくれ。よし……準備が済んだら出発する。ギール、ここを守っているマギナイツを激励しに行くぞ。マール、お前も来い」
「はい」
「わかりましたわ。お父様」
ガルフォス、ギール、マールは部屋を出て行った。上級マギナイツも後に続く。
残ったのは、トウマにアシェ、シェールの三人だけ。
トウマは言う。
「なんか、大変そうだな」
「アンタねえ……ここ、最前線、いい? 危険なの」
「んな子供に言い聞かせるような声で言うなよ。ガキじゃねえぞ、俺」
「子供でしょうが。まったく」
「とりあえず、俺とお前はマールと一緒に中央部の守りか……なあシェール、質問していいか?」
「ん、何かな?」
アシェが「敬語……もういいわ」と諦めた。トウマはテーブルにあった地図を見て言う。
「この地図、支配領地の地図だよな」
「そうよ。けっこうな広さでしょ? 綺麗な湖とか川も流れてるんだけど、今じゃどんな姿になってるのか……」
「あのさ、『宵闇』のルブランって、この地図のどこにいるんだ?」
「あ、アンタまさか。むぎゅ」
トウマはアシェの口を押える。
シェールは、地図を指差して言う。
「正確な位置はわからないけど、支配領地の最奥にある、かつて砦として使われた建物にいるんじゃないか……って話だね。当然、そこまでは行けないわ。『大司教』が守りを固めているし、見たことはないけど『枢機卿』もいる。それに……七陽月下『宵闇』のルブランもいる。数百年、戦いが続いてるけど、終わりがない戦いなのよ」
「そっかそっか」
地図をジーっと見て、トウマはニヤリと笑う。
シェールは、「じゃあ、私は戻るわね」と出て行った。指令室に残ったのはトウマ、アシェ。
するとアシェ、トウマに言う。
「……アンタ、まさか」
「行くに決まってんだろ。支配領地の最奥、『宵闇』のルブランを討伐するぜ」
「……ダメ!! って言っても……アタシじゃ止められないか」
「ああ。で、どうする? 一緒に行くか?」
「……行くしかないでしょ。ねえ、マールはどうすんの?」
「一応聞いてみるか。嫌って言うなら俺らだけで行こうぜ」
トウマはニヤリと笑い、アシェは諦めたように頭を抱えるのだった。
こうして、トウマとアシェによる『宵闇』のルブラン討伐が始まるのだった。