プロローグ
少年は、生まれつき『変』だった。
どこにでもある一般的な家庭に生まれ、家は農家、兄弟は四人、みんな畑仕事をしていた。
家には、広い畑があった。
六歳になるころには、鍬を持って畑仕事に参加した。
初めて持つクワは軽く、少年の手に馴染んだ。
「わぁ……」
少年は、クワを振った。
地面に向けてではない。剣を振るように、ふわり、ふわりと振る。
そして、地面に落ちていた石にめがけ、クワを振り下ろす……すると。
「きれた」
石は、スパッと綺麗に切れていた。
クワが欠けることもなかった。まるで、粘土をナイフで斬ったような、綺麗な切断跡が残っていた。
「きる……」
馬付き、少年は……『物を斬る』才能に、あふれていた。
◇◇◇◇◇◇
少年が十二歳になるころ、すでにクワではなく、木剣を振っていた。
両親には何も言われなかった。
むしろ、畑仕事ではなく、村を守る守衛を目指すのかと期待もされた。
でも……少年は、違っていた。
「こう、かな……いや、こうか」
ヒュン、ヒュン、ヒュン……と、剣を振る。
剣術の真似事かと最初は両親も兄妹も思っていた。
だが、違う。
少年は、感覚にゆだねて振っているのだ。
どう振れば、『斬る』ことができるのかと。
「ああ──……こうだ」
ピュイン、と……円を描くような、綺麗な一閃。
少年の前にあった、身長をも超える大岩が、綺麗に『くりぬかれ』て斬れた。
「斬るって気持ちいいな……もっと、もっと、俺が斬れるものを、探してみたいな」
十二歳……少年は、化けようとしていた。
◇◇◇◇◇◇
十六歳になった。
少年は、町で買った鉄の剣を腰に差し、故郷を出て放浪していた。
やることは一つ……『斬る』ための、武者修行である。
お金を稼ぎながら、村から街、国から国へと冒険をする。
この世界には『魔獣』が存在していた。狩れば素材を売れるし、肉は喰える。
少年は、魔獣を斬りつつ、自分の剣を……正確には、『刃』を磨いた。
「うん、見える」
十八歳。
二年ほど世界を放浪し、少年から青年へと変わった青年の剣術は達人レベルに上達した。
青年は、ただ剣を振っていただけ。
どう振れば効率的なのか。硬い敵にはこう斬ればいい、柔らかい敵にはこうすればいい、数が多ければこうすればいい。
あれ、そういえば……見るだけで、なんとなくどう斬れるかわかる。
青年は、いつの間にか自己流の剣術を作り、それを振るうための術も生み出していた。
◇◇◇◇◇◇
二十二歳。
青年は剣を使わなくなっていた。
ただ『斬る』だけなら、薄い物さえあればいい。
落ちていた葉っぱを指で挟み、襲い掛かる魔獣を斬ってみたら、愛用した剣と同じくらい斬れた。そして、斬ることに刃が必要ないことに気付いた。
「……そういえば、世間が騒がしいな」
最近はずっと、山籠もりしていた。
世界屈指の危険地帯である『死滅山脈』に小屋を建てて住んでいた。
そこそこ強い魔獣が現れ、自分に喧嘩を売ってくる。それを相手にして生活するのは、そこそこ楽しい日常だった。
だが、世間はそのとき、『月の神』という神が襲来し、眷属である『月の民』が地上を征服するために天から降りて来ていた。
青年は、そのことに気付いていなかった。
◇◇◇◇◇◇
三十二歳となった。
死滅山脈では敵なしとなった男は、日課のトレーニングを終え、精神統一していた。
大滝の傍にある花畑で、男は座禅を組み、静かに精神統一する。
動物が寄り、小鳥が肩に止まり、キツネやタヌキが休みに来る。
男は、この時間が好きだった。
同時に……この精神統一を始めてから、世界がよく見えるようになった。
(…………渦、が見える)
世界には、様々な『渦』があった。
男は知らない。それが『魔力』という、月の民が地上に降りて来たことで世界中に溢れ出したエネルギーだと。
男は、花弁を指で挟み、静かに渦を斬る……渦は消えた。
男の刃はいつしか、目に見えない魔力を斬ることができるようになっていた。
◇◇◇◇◇◇
六十五歳。
男は、世界の全てが見えていた。
死滅山脈はもはや男の庭。凶悪な魔獣すら男には近づかない。
心技体、全てが完成した。
かつて生み出した剣技、世界を見る目、そして全てを断つ刃。
「ふぅぅ……」
男は、木から落ちて来た葉を指で挟み、一瞬以下の速度で振る。
すると、空間が裂けた。
空間に、綺麗な一筋の『線』が入った。
その『線』に蝶が触れた瞬間、真っ二つになり、消滅した。
空間に断裂を作り、ぶつけると、斬れないものは存在しない。
だが男は、空間の断裂すら切裂いた。
◇◇◇◇◇◇
七十歳。
老人となった男は、飽きていた。
もう、自分が斬れるものは、存在しない。
剣に人生を捧げた……ではない。
男は『斬る』ことに人生を捧げた。
斬るのだったら、剣じゃなくてもいい。葉っぱでもクワでも包丁でも斬ることはできる。
七十になり、男の人生も残りわずか……そんな時だった。
「おやおや……こんなところに人間がいるぞ」
声だった。
久しぶりに聞く、人間の言葉。
男はゆっくり振り返ると、そこにいたのは。
「……あー、どちらさんかな」
白い服を着た男たちだった。
数は三十以上。花畑の花を踏みつけ、動物たちを傷付け、ここまで来たようだ。
接近には気付いていたが、無視した。
男は言う。
「『月の民』である我らを知らない? ははは、馬鹿かお前は」
「……月のたみ? あ~、すまないな。もう五十年以上、ここで暮らしているから、世には疎い」
「……そうか。なら教えてやる。この死滅山脈は、我ら月の民の地となった。これで半分……この大地は、我ら月の民の物。地の民、いや下等種族共が滅ぶのも時間の問題よ」
「ははあ、そうか」
男は、ピンとこない。
月の民、地の民……記憶をたどり思い出す。数十年前、空から何かが襲来してきたときのことを。
「つまり、あんたらは侵略者……と、いうことかな?」
「そうとも言える。まあ、地の民は広大な領地、資源を持つにも関わらず全く活かしきれていない。なら、我々で管理し、使った方が効率的だろう?」
「ふーむ、難しいことはよくわからん。それで……俺をどうするつもりだ?」
「年寄りは労働力にもならん。この危険度SSSの『死滅山脈』に人がいるから話してみただけだが……どうやら、危険度判定が間違っていたようだ。さて、話は終わりだ……死ね」
男の背後にいた白い男、女たちが、男に人差し指を向けた。
そして、人差し指から何かが発射される。
「ほほっ」
男はニヤリと笑い、落ちていた葉っぱを掴むと、全ての光線を斬り落とした。
「お~、これはこれは、面白いな」
「……なっ」
「だが、遅い」
「貴様、何を」
男が身をかがめた瞬間、白い男の部下たちの両腕が細切れになり落ちた。
絶叫する部下たち。
白い男は言う。
「な、何を……何をした!?」
「斬った。腕を、これで」
葉っぱだった。
右手の人差し指、中指で挟んだ葉っぱで、二十人以上の男女の両腕を細切れにした。
「ま、魔光線は」
「まこうせん? ああ、人差し指から出た白いのか。斬った」
「き、斬った!? 馬鹿な、魔力を斬る!? そんなこと、できるわけ」
「お前、気付いてないのか?」
「え……」
男は、自分の右腕をちょいちょいと指差す。
そして、白い男は自分の右手を見た……というか、右手がない。
「最初に斬ったんだが、気付かなかったか?」
「うぎゃああああああああああああ!!」
絶叫。
男は「あっはっは」と笑った。
そして、少し長めの葉っぱを拾い、静かに言う。
「七十歳。まだまだいける」
「お、お助けください!! 月の神よ!! 三大聖女よ!! 偉大なる月の加護をオオオオオオオオオ!!」
男の一閃で、この場にいた『月の民』は、消滅した。
男は葉っぱを捨て、大きく伸びをする。
「外では面白いことになっているようだ。ふふふ……旅にでも出るかね」
◇◇◇◇◇◇
九十二歳。
全身に腫瘍ができた。歩くだけで息切れする。食事が喉を通らない。日々衰えていく身体。意識がたまーに切れる。
男の状態は最悪中の最悪。
だが同時に、今こそ全盛期と言わんばかりに『斬れ』ていた。
「あ~……疲れたぜぇ」
月の民の侵略から、七十年が経過していた。
旅に出てわかった。
世界の半分以上が、月の民によって支配されていた。
同時に、地の民も月の民に抵抗し、世界中に反逆組織が存在した。
男は、いろんな組織を渡り歩き、月の民と戦った。
久しぶりに剣を取った。
友人ができた。
自分のために剣を作ってくれた。
家族はもういなかったが、たぶん孫と思われる男が実家に住んでいた。
月の民の幹部を全員殺した。
月の民で最も位の高い『聖女』という女を斬り殺した。
そして。
『ば、かな』
月の神イシュテルテと戦い、相打ちとなった。
というか、全身を蝕む病により、命が尽きかけていた。
イシュテルテ。まさか人間ではない異形だったが、男は斬った。
人生最強の相手。間違いなく、強かった。
『我は、消えん……我は、月に帰り、傷を癒す……そして、地の侵略を……大地の神を』
何かが聞こえ、神は消滅した。
男は仰向けに倒れ、空に浮かぶ月を見た。
真っ白で大きな月。美しさしか感じない。あそこから来た人種が、この大地を征服しに来たとは思えないほど美しい。
と、男は思った……思ってしまった。
「……月、斬れるかな」
空に浮かぶ、巨大な月。
あれを斬ることは、できるのか?
男の背中がゾクゾクした。月を斬るなど、考えたこともない……たった今、考えてしまった。
ゾワリと、身体の内側から何かが湧いてきた。
「……へへへ」
それが『活力』だった。
生きるための僅かな力が湧いてきた。
男は、ボロボロになった剣を手に、精神集中する。
そして……自分の首を斬った。
「───よし」
身体を斬ったのではない。
男は『病』を切裂いた。
今の男は、病気と言う『概念』ですら斬ることができた。
全身を蝕んでいた腫瘍が全て消えた。
そして、男は歩き出す。
◇◇◇◇◇◇
九十四歳。
男は、死滅山脈に戻って来た。
人が踏み込んだ形跡は相変わらずない。
かつての住処がボロボロになっていた。だが……精神集中するために掘った洞穴は残っていた。
男は、そこで座禅を組み、自分の胸に脇差を突きつける。
「『老い』を斬る……若い時分に戻り、月を斬る」
男は、脇差を胸に突き刺した。
肉を貫通し、心臓を貫通する。
だが、命を斬ってはいない。
男は目を閉じ、そのまま静かに眠りについた。
◇◇◇◇◇◇
二千年後。
「…………ぅ」
男は、目を覚ました。
身体を起こし、自分の姿を確認する。
「……よーし、できたな」
若返った。
十六歳ほどの、若い少年の身体に戻っていた。
「初めてやったけど、何とかなるもんだ」
老いを切り、寿命を斬った。
それにより身体が若返った。
概念すら斬る少年の刃。刺さっていた脇差はボロボロだった。
着ている服もボロボロ。少年は全裸で洞窟から出ると……そこは、見慣れた花畑だった。
「さて、どれくらいの時間が経過したのか。月は……うん、相変わらずでっかいな」
青い空の上には、月があった。
少年は、葉っぱを拾い振る。
空間が裂け、世界がずれる……だが、世界が空間のずれを修正した。
「斬るぞ、月……さあ、始めようか」
こうして、少年は『月を斬る』ために、若返った。
全てが始まる。
斬ることに人生を捧げた『斬神』……トウマの戦いが。