ナナシノハナシSideA「大きくて小さなもの」
ある日、ナナシが大きな門の前に居ました。大きな外壁はずっと遠くまで続き終わりが見えません。目の前にある門ですら、見上げると『めまい』を起こすのほどの大きさです。
ナナシは自分が小人にでもなったように思えてきました。
「ここには何があるんだろう」
ぐるりと外壁を見て回りましたが、中の様子はわかりません。困り果てたナナシは、門の前に座り込みました。誰か人が出てこないものかと思ったのですが、三十分待っても一時間待っても門を開ける人は現れませんでした。
「誰かいませんかー?」
ナナシは門に向かって叫びました。その声は不思議と山彦になり、遠くまで響いていきました。
しばらくまた、世界はナナシを独りにさせました。
ほんのその後。ズーン、ズーンと大きな地響きが聞こえてきました。どんどん大きくなっていきます。土が鳴り、天をも揺さぶるほどの地震に、ナナシは立ち続けることも座っている事もできません。とんがり帽子をしっかりと押さえて地べたに伏せました。それでも小さなナナシの体は、ズーン、ズーンという地響きと一緒にふわっ、ふわっと浮くのです。地面に落ちるたびにナナシは「痛い!」と声を上げました。
突然地震が止みました。辺りは何事も無かったかのようにしんっと静まりかえります。
すると今度は、石の門がゴゴゴッ……と音を立てました。重すぎてナナシの力では太刀打ちできなかった扉が、目の前でゆっくりと開いていきます。ナナシが通れるほどの隙間が開くと、何事もなかったかのように止まりました。扉の向こう側は真っ暗で何も見えません。
ナナシはまた、扉を下から上へと見上げました。
真っ黒な隙間に、よくよく見てみれば小さな光がぽかりと、まるで星のように浮いているのです。そしてチカチカと瞬いたかと思えば、地を這うような低い声が頭上から降ってきました。
「小サイ、生キ物」
その声にナナシは飛び上がるほど驚いて周りを見回しました。しかしナナシ以外には誰もいません、でも確かに声は聞こえました。
「誰ですか、どこにいるんですか?」
ナナシの声に、また星が瞬きました。
「オ前、目ノ前、オレ、居ル」
声が聞こえるたびに、ナナシはきょろきょろと辺りを見回すのですが、暗闇の中に星がひとつあるだけ。はっきりとした姿は見えません。
「どこにいるのかわかりません、ちゃんと姿を見せてください」
ナナシがそう言いますと、石の扉がまたゴゴゴッ……と音を立てて開いてきます。
ナナシの目の前に現れたのは、大きな大きな、石の巨人でした。星だと思っていたものは、巨人の片目だったのです。その巨人の大きさと言ったらもう、ナナシが顔を見上げても頭のてっぺんが見えないのですから。しかしその立ち姿は、なるほど、扉の大きさはちょうどいい大きさになります。
「ここは、巨人さんの家なのかな」
ナナシは少し考えました。迷った末に大きな声で巨人に向かって言いました。
「ボクはボクの名前と、家族と過去を探して旅をしています! 巨人さんは、ボクのこと知りませんか?」
小さなナナシの大きな声が、巨人に届くかはわかりません。ナナシは少し不安になり、しばらく巨人の様子を見守りました。
巨人は数回二星の目を瞬かせて、ゆっくりと首を左右に振りました。
「オ前、オレ、知ラナイ。小サイ、生キ物、見ル、久シブリ」
巨人はまた二星の目を瞬かせると、片手をそっとナナシの前に差し出しました。
「昔、オ前、似テル、タクサン、居タ。オレ、ココ、主。オレ、案内。オ前、乗ル。オレ、オ前、潰サナイ」
巨人の言葉にナナシは喜びました。もしかしたら、中に探しているものがあるかもしれない、そう考えていたからです。本当でしたら巨人に指で摘まんでもらい乗ったほうが早いのでしょうが、何せ小さなナナシですから。誤って潰されては元も子もありません。しかたなく巨人の手―――というよりは指によじ登りました。何度か落ちそうになりましたが、やっとのことで腰を落ち着けると、巨人が一度頷いて門を潜りました。
巨人はナナシを乗せて街中を歩きます。
空からの眺めは、とても言葉で表現するには難しい世界でした。階段も家も何もかも、木ですら石のようなのです。しかしそのどれもが植物に覆われて、その姿を半ば隠しています。そしてさらに不思議なことに、いたるところに巨人と同じ石像やナナシよりも大きな動物たちの石像が、やっぱり植物に覆われて点在していました。街中にはナナシと巨人以外に息づくものが居ないのです。
でも街は、確かに生きているように感じました。
「オ前、何知リタイ?」
巨人の質問に、ナナシは先ほど言ったことをもう一度言いました。
「ボクは自分の名前と過去と家族を探しています。それが探せる場所か、もしくは人に会いたいです」
ナナシの答えに巨人は「ワカッタ」と言うと、方向を変えました。
その間も、ナナシは巨人の手の平から街を眺めました。数々の石像は多少ばらばらな大きさですが、どれもこれも皆、眠るようなポーズをとっています。中には風化してしまったのか、一部が崩れてしまった石像もありました。
「ここにはあなた一人だけなのですか?」
ずしんずしんと前を見て歩く巨人は、ナナシの言葉に目の色を青い、冷たい色に変えました。さっきまで軽快だった足音は引きずるように変わり、時折ため息のようにぶふぅっと強い一瞬の風が起こります。
「オレ。動ク。他、仲間、動ク、ナイ。寝テル、ズット」
巨人はだんだんと元気を失くしたように、肩をおろして歩き始めます。
ナナシはなんだか悪いことをしたような、バツの悪い気持ちになり巨人に謝りました。
「オレ、信ジル。仲間、起キル、イツカ。待ツ、オレ」
そう言った巨人の目は、もう冷たくありませんでした。慣れたように、石像を避けて歩き続けました。
* * *
「ココ、オ前、役立ツ」
巨人がそう言ってナナシを下ろしたのは、小さな図書館でした。不思議なことに巨人たちの家とは違い、ずいぶんなミニチュアサイズです。どちらかと言えば、ナナシが利用するのにちょうどいい大きさです。
「オレ、ココ、入レナイ。オ前、一人、行ク。オレ、ココ、居ル」
巨人にそう促され、ナナシは一人で図書館に足を踏み入れました。
古くなった木のドアが、ギギィーッと音を立ててナナシを招き入れます。窓とドアから差し込む太陽光が部屋の中を照らしていました。長い間使われていなかったのか、床に積もった埃が舞い、キラキラと光輝きました。天井高くまである石造りの本棚は、本でびっしりと埋め尽くされ、誰かが開け放ってくれるのを、息を潜めて待っているかのようです。どれほど使われていなかったのか、どの本にもたくさんの埃が積もっていました。
ナナシは一冊手に取ってふぅっと息を吹きかけました。埃が少し飛び散って、表紙に書かれた文字が浮かび上がります。
本は消えかけの文字で『住民の記録』と書かれていました。写真入りの住民票のようでしたが、写っている住人たちの顔はのっぺりとしていてどれも似たような顔をしていました。大人も子供も老人も、まるで泥人形が服を着たみたいに滑稽です。まるで石の巨人になりそこねたような姿でした。
ナナシはそれを全て見たのですが、自分と似ているものは誰一人としていません。
載っている住民は皆、同じ顔でした。
他の本も手に取って見たのですが、どれも到底、ナナシが知りたいこととはまるで縁の無い中身でした。
「ここに、ボクは居ないみたいだ」
ナナシは本を元に戻すと巨人の待つ外へ向かいました。
本はまた、何事も無かったかのように静寂の眠りにつきました。
* * *
巨人は再びナナシを乗せ、今度は来た道を戻ります。
ナナシは何も見つからなかったことにがっかりしながらも、気を取り直して巨人に聞きました。
「あの図書館は何のために建てられたのですか? 巨人さんが使うには小さすぎるように思えます」
「アレ、オ前、似タ、生キ物、作ッタ。始メ生キ物、オ前、一緒。小サカッタ」
「巨人さん以外にも、人がいたということですか?」
意外な言葉に、ナナシはとても驚きました。
「居タ、イッパイ。オ前、同ジ、小サイ、居タ」
デモ、と巨人は一度言葉を区切りました。
「生キ物、賢イ、ナッタ。小サイ、生キ物、大キクナッタ。オレ、一緒、ナッタ」
「人間が、巨人さんみたいに大きくなったんですか?」
「ナッタ」
巨人は頷きました。
「始メ、ウマクイッタ。生キ物、家、作リ変エタ。オレ、仲間、増エタ。ウレシイ」
そこまで言って巨人の二星の目は、突然色を変えました。さっきのように冷たい色になったのです。
「大キクナッタ小サナ生キ物、スグ死ヌ。悪イコト、シタ。オレ、迷惑。デモ、スグ死ンダ。全然、生キナイ。皆、泥、ナッタ。溶ケタ、消エタ」
その言葉に、ナナシはさっき図書館で見た住民の記録を思い出しました。本に載っていた人たちは、全員同じ顔をしていました。その顔をナナシは、泥人形と思ったのです。
「まさか」
ナナシは呟きます。
「人間は、大きくなったけど巨人さんみたいじゃなくて、泥の巨人さんになったんですか? 誰も、石の巨人さんにはなれなかったんですか?」
「誰モ」
巨人は答えます。
「人間、大キクナッタ。デモソレ、嘘。人間、弱イ。大キナッタ、デモ、溶ケタ。弱イ」
巨人はひとつの石像の前に来ると、そっとナナシを下ろしました。巨人はナナシを潰さないように座り込み、静かにナナシに聞きました。
「オレ、大キイ。強イ、長生キ。小サイ、スグ死ヌ。オ前、小サイ。オ前、スグ死ヌ。死ヌ、カナシイ。オレ、不幸、思ウ。オ前、ドウ?」
巨人の目は、冷たいとも熱いとも言いがたい、不思議な色をしていました。小さなナナシを見つめる二星の目は、瞬きながら色を変えていきます。
ナナシは少し考えて、巨人に向かって言いました。
「ボクは、そう思いません」
巨人はナナシの言葉に不思議そうに、首を傾げました。
「ナゼ?」
ナナシは巨人に詩を語るように、優しい声で言いました。
「ボクは確かに小さいけれど、巨人さんと一緒で今、この時に生きています。小さいから大変なこともあるけれど、小さいから良かったこともいっぱいあるんです。それは巨人さんとボクが違うように、小さいからこそわかることです」
ナナシは一度言葉を切り、大事なものを感じるように、言葉を噛み締めました。
「小さければ確かに、簡単に死んでしまうでしょう。ボクは巨人さんほど大きくないから、弱いし簡単に病気になったりします。簡単に死んじゃいます。ボクより弱い生き物も、たくさんいます。小さな虫は、ボクが踏んでも死んじゃいます。巨人さんがボクを踏んだら、ボクは死んじゃいます。弱い小さな生き物は、ボクも虫も人間も、強い生き物に簡単に、時には理由も無く殺されてしまいます。
死ぬことは悲しいことです、死ぬことは辛い事です。でも悲しいのも辛いのも、弱いからではないでしょう?」
ナナシの問いに、巨人は頷き答えました。
「父、スゴク強カッタ。デモ死ンダ。悲シカッタ」
ナナシは巨人の答えに満足したのかにこりと笑いました。
「もしここで、巨人さんが死んでしまったら、ボクはとても悲しいです」
巨人は二星の目を丸々とさせナナシを見ました。
「オレ、死ヌ? イツカオレ、死ヌノカ?」
「わかりません。でも、巨人さんは今生きています。ボクより長く生きたとしても、いつか巨人さんも死ぬでしょう」
前髪に隠れたナナシの目が、一度ぱちりと閉じました。心の声を聞きだすよう、すっと息をして、また目を開きました。
「ボクはとても小さいです、でもここに」
ナナシは右手を左胸に置きます。
「巨人さんよりも大きな大きな、大事なモノを持っています。そして巨人さんも同じように」
ナナシは巨人の左胸を指差しました。
「もっともっと大きな、大事なモノを持っています。それはボクのモノも、巨人さんのモノも、寝ている巨人さんの友達も、死んでしまった人間たちも、ボクより小さな虫たちも、みんな同じ大きさの、大きな大きな大事なモノを持っています。だから生きているんです。だから生きていたんです」
そして。と、ナナシは言います。
「死ぬことは誰もが悲しいんです、誰もが辛いんです。それは人間でもボクでも巨人さんでも同じです。誰かが死んでしまう事が、悲しくて大切な事なんです。誰かに悲しんでもらえるのは、とても幸せなことなのです。そして悲しませずにいることは、生きていることは嬉しいことです。
だからボクは、小さいけど不幸じゃありません」
巨人はナナシの言っている事が理解できないのか、数回星を瞬かせました。そして小さく「ワカラナイ」と呟きました。
「小サイ、弱イ。オレ強イ、嬉シイ。ダカラ、ワカラナイ」
巨人の言葉に、ナナシは困って眉を八の字に寄せました。
「強いのは確かに良いことだし、弱いのは確かに良くないことかもしれません。でも、弱い人も強い人もいるから、大事なモノを強く感じることができるんじゃないでしょうか。
ただボクも、よくはわかりません」
巨人はうなだれ身動きひとつとらず、じっとナナシを見つめました。考え込んでいるのか無言になり、しばらくして目の前にある石像を指差し「仲間」と言いました。
「コイツ、オレ、仲間。仲、良カッタ。強カッタ。デモ、アル日、寝タ。オレ、起コス。仲間、起キナカッタ。ソノウチ、皆、寝タ。ダカラ、今、オレ、一人」
巨人はさっきまでの元気をすっかり無くし、「ナァ」と巨人は言います。
「オ前、賢イ。ダカラ聞ク。仲間、自分カラ寝タ。オレモ仲間モ、寝ルイラナイ。寝ルコト、死ヌト同ジ。
ナァ、仲間、何デ自分カラ寝タ? 何デ自分カラ、死ンダ?」
冷たい色をした二星の目からは、何も流れません。でも声は、今にも消え入ってしまうのではないかというほど、弱弱しくなっていきます。
巨人の問いにナナシは何も答えません。いえ、何も答えられませんでした。
「同ジ、大事ナモノ、オレ、アルノニ」
巨人はそう悲しそうに呟くと、二星の目を瞬かせ、ナナシを見ました。
「オレ、ズット寂シイ。一人生キル、トテモ辛イ。オレ石、何モ感ジナイ。デモ一人ツマラナイ。
ナァ、オ前、一緒居テクレ。オレ、一人嫌ダ。仲間、欲シイ」
巨人の願いにナナシは首を横に振りました。
「それはできません」
「ナンデ!」
巨人はナナシの答えに、声を噴火させ叫びます。
「ナンデナンデ! オレ親切シタ! オ前一人、オレ一人。一緒居ル、二人ナル。ナノニナンデ!」
ナナシは巨人の目を仰ぎ見て、きっぱりとした声で言いました。
「ボクには名前と家族と、過去が必要なんです。ボクはボクを探さなければいけないんです。何も無い今のボクは、死んでいるのと同じです、眠っているのと同じです。
だから、ここにはずっと居られない」
巨人は地響きのような唸り声をあげました。地滑りのごとく倒れ込み、もうナナシのことなど目もくれません。唸り声はやがて雨のようになり、だんだんと弱まって、巨人はポツリと言いました。
「仲間、コンナ気持チ、ダッタノカ? 気持チアル、トテモ嬉シイ。デモ……」
最後まで言い終わらないうちに、巨人は眠りにつきました。もう二つ穴に、二星の光はありません。大きな体を地面に横たえ、それっきり、ぴくりとも動きませんでした。
ナナシは眠った巨人を見上げました。そして胸いっぱいに広がった、永久みたいな灰色の雲に誘われて、涙をぽとりと零しました。
「大事なもの、消えちゃった」
ナナシは巨人を見上げました。いつまでもいつまでも、動くのを期待して見上げていました。
でも、動くことはありませんでした。
END