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第三章:天啓の如く、雷鳴の一声

カストル宙域の深淵で、第17駆逐隊の命運が風前の灯火と化していた、まさにその頃。

そこから数パーセク、宇宙的尺度では目と鼻の先にありながら、全く異なる静寂に包まれた宙域では、リベルタス共和国連合軍が誇る最新鋭部隊、第8高速機動戦隊が、一見平和なテスト飛行任務に従事していた。

彼らの母艦であり旗艦を務めるのは、流麗なフォルムを持つ最新鋭駆逐艦『アルテミス』。そのブリッジは、整然と配置された計器類が放つ柔らかな光と、効率的に配置されたクルーたちの静かな動作によって、最新鋭艦ならではの機能美とプロフェッショナルな緊張感を保っていた。


艦長ジャン・ラサールは、メインスクリーンに映し出された、新型戦闘艇『ラピッド・フェザー』から送られてくる膨大な性能データを、冷静沈着な眼差しで分析していた。

時折、その傍らで指揮官席に座るソフィア・ベルナルド少佐が、先ほどの自らの破天荒なテスト飛行での操縦について、悪戯っぽい笑顔で軽口を叩いては、ラサールから「少佐、もう少し任務中は真面目に願います…」と、苦笑を隠しきれない声でたしなめられる。

それは、どこまでも続くかのように思われた、辺境任務における、束の間の、そして彼らにとってはありふれた日常の一コマであった。


だが、その穏やかな、しかしどこか張り詰めた均衡は、突如として、そして劇的に破られた。


「緊急信号! 未知のパターンを検出! これは…まさか!」

長距離センサー・アレイを担当していた若い女性オペレーター、エミリーの声が、普段の落ち着きを失い、甲高く、そして明らかに動揺した響きをもってブリッジに響き渡った。

彼女は耳に当てたヘッドセットを強く押さえ、その顔は見る見るうちに蒼白になっていく。訓練された冷静さを保とうと懸命に努めているが、その大きな瞳の奥には、信じられないものを捉えたかのような驚愕と、そして拭いがたい不吉な予感が色濃く浮かんでいた。

「信号強度、極めて微弱です! 断続的で、激しいノイズが…ですが、パターン解析…間違いありません! リベルタス軍の旧式遭難信号コードです! 発信源は…カストル宙域、座標XXX! あの、『悪魔の三角宙域』からです!」


艦橋の空気が、一瞬にして凍りついた。全ての動きが止まり、計器の微かな作動音だけが響く中、クルーたちの視線が、報告するエミリーと、そしてブリッジ中央で静かに、しかし鋭い視線で立ち上がった指揮官、ソフィ少佐へと、磁石に引かれるように一斉に注がれる。「悪魔の三角宙域」――その名は、たとえ最新鋭艦に乗る彼らにとっても、死と隣り合わせの危険な場所として、深く意識に刻まれていたのだ。


エミリーは、震える指でコンソールを操作しながら、必死にノイズの奥に隠された情報を拾い上げようとしていた。その脳裏には、数年前、同じような辺境の戦闘で、所属不明の敵によって無残にも命を奪われた最愛の兄の姿が、鮮明に蘇っていた。あの時の、何もできなかった自分への無力感と後悔が、今、彼女の心を締め付ける。

「断片的ですが…音声データも…! 『第17駆逐隊』…『所属不明の敵艦隊』…『包囲され』…『損害甚大』…『救援を…誰か…!』…ああ…!」

彼女は、そこで言葉を詰まらせ、抑えきれない嗚咽を漏らした。それは、遠き宙域からの、死にゆく者たちの悲痛な叫びが、彼女自身の過去の傷と重なり、魂を揺さぶったからに他ならなかった。

「…行かなければ…彼らを…助けなければなりません…! お兄ちゃんのように、してはいけない…!」彼女の口から、ほとんど無意識に、しかし切実な心の声が、絞り出すように漏れた。


その悲痛な呟きは、静まり返ったブリッジの中で、ソフィの耳にも、雷鳴のように、そして鋭く突き刺さるように届いていた。

彼女は、先ほどまでの、まるで太陽のように周囲を照らす明るさを湛えていた表情を完全に消し去り、厳しい、そして深い思慮を浮かべたかおで、メインスクリーンに表示されたカストル宙域の断片的な情報を凝視していた。

第17駆逐隊。その名は、彼女も聞き及んでいた。旧式艦ばかりで編成され、予算も人員も常に後回しにされ、十分な補給も受けられず、それでも文句一つ言わず、連合の広大な辺境を守るために、黙々と、そして誠実に任務をこなしている部隊。彼らが、あの危険極まりない宙域で、所属不明の敵に包囲され、壊滅寸前…? その意味するところは、あまりにも明白であった。彼女の脳裏に、故郷の星で見た、貧しくとも懸命に生きる人々の顔が浮かんだ。彼らのような、名もなき人々を守ることこそ、自分が軍人になった理由ではなかったか?

彼女の心は、即座に決まっていた。計算や損得ではない。命令や規律でもない。もっと根源的な、彼女の魂の衝動に従って。


「ラサール」

ソフィの声は、低く、静かであったが、その響きには、揺るぎない、有無を言わせぬ強い意志が込められていた。

「了解しました、少佐」ラサールは、ソフィの瞳を見ただけで、彼女が何を考え、何をしようとしているのかを即座に理解した。彼の心臓が、重く脈打つ。それは、これから起こるであろう事態への予感と、そして、彼女を止めなければならないという軍人としての理性との間の、激しい葛藤であった。彼の立場、艦長としての責任、クルーたちの命…様々な重圧が彼の肩にのしかかる。

だが、彼は冷静さを失わず、軍人としての、そして艦長としての責任から、静かに、しかし毅然として進言した。

「規定に基づき、直ちに司令部へ状況を報告し、指示を仰ぐべきです。当該宙域は極めて危険であり、敵の戦力も規模も全く不明です。我々の現在の任務はあくまで新型機のテスト飛行であり、戦闘準備も万全ではありません。独断での行動は、我々自身の艦隊とクルーの命を危険に晒すだけでなく、重大な軍規違反となります。どうか、少佐、今一度ご再考を…」


彼の理路整然とした、そして正論である言葉を遮るように、ソフィは鋭く、そして抑えていた感情を爆発させるかのように言い放った。

「司令部へ報告? 指示を待つ? その僅かな時間で、彼らは全員、宇宙の塵になるかもしれないんだよ、ジャン!」

彼女はラサールに向き直り、その燃えるような栗色の瞳で、真っ直ぐに、射抜くように彼を見据えた。その瞳には、怒りと、悲しみと、そして強い決意が渦巻いていた。

「軍規? 規定? それが、今、まさに死にかけている仲間たちの命より、本当に重いとあなたは言うの!? 冷たい理性の鎖で魂を縛りつけ、目の前の仲間が殺されていくのを、ただ黙って見ているのが、自由と平等を掲げるリベルタスの軍人の取るべき道だと、あなたは本気で思っているの!?」


ソフィの言葉は、まるで雷鳴のようにブリッジに響き渡り、その場にいた全てのクルーの心を、激しく揺さぶった。それは、単なる感情論ではない。連合という国家の、その存在意義そのものを問う、根源的な問いかけであった。

ラサールは、ソフィの激しい気迫と、その瞳の奥にある、仲間を見捨てられないという、どこまでも純粋で、そして揺るぎない強い意志に、一瞬、言葉を失った。彼は知っていた。目の前のこの若き指揮官は、時に無謀で、規律を軽んじる危うさを持っている。軍人としては、問題が多いのかもしれない。だが、彼女の行動原理は、常に「仲間を守る」という、一点の曇りもない正義感に基づいていた。そして、その曇りのない魂と、常人には理解不能なほどの戦場での閃き、そして不可能を可能にする力が、これまでも幾度となく、論理や計算だけでは到底到達しえない、奇跡的な結果を生み出してきたことを。今、この瞬間も、彼の理性は危険を告げていた。しかし、彼の魂の奥底では、彼女を信じたい、彼女と共にこの困難に立ち向かいたいという、強い衝動が生まれていた。軍人としての義務か、人間としての良心か、彼はその狭間で揺れていた。


ラサールは、深く、長い息を吸い込み、そして、自らの軍人としてのキャリア、いや、人生そのものを左右するかもしれない、重い決断を下した。彼は、静かに、しかし彼の人生における重要な決断となるであろう言葉を、確固たる決意を込めて口にした。

「…いいえ、少佐。あなたの仰る通りです。規律は軍の根幹ですが、守るべき命の前では、時にそれは形骸に過ぎないのかもしれません」

彼は、周囲の幕僚たちを見渡し、彼らが同様にソフィの言葉に心を動かされ、その決断を支持するであろうことを、その真剣な眼差しから確認すると、きっぱりと言い切った。

「司令部への報告は、後回しにします。我々は、これより直ちに、第17駆逐隊の救援に向かいます。これは、私の艦長としての判断です。全責任は、私が負います」


その予期せぬ、しかし心からの力強い言葉に、ソフィは一瞬、驚きで目を見開いた。そして、次の瞬間、彼女らしい、太陽のように明るい、心からの笑顔が、その表情に広がった。それは、深い信頼と、共に困難に立ち向かう仲間への感謝の色に満ちていた。

「ありがとう、ジャン。あなたなら、きっとそう言ってくれると、心のどこかで信じてた」


ソフィは、ブリッジの中央に進み出ると、全艦通信のスイッチを入れた。その声は、先ほどまでの激しさとは打って変わり、驚くほどに落ち着いていながらも、聞く者全ての心を奮い立たせ、勇気づけるような、不思議な力を持っていた。それは、天性のリーダーだけが持つことのできる、魂の響きであった。

「聞け、第8高速機動戦隊の勇者たちよ! 我らが同胞、第17駆逐隊が、カストル宙域で所属不明の敵に包囲され、今まさに、その命運尽きようとしている! 司令部の命令はまだない! 規定によれば、我々は動くべきではないのかもしれない!」

彼女は一度言葉を切り、ブリッジにいるクルーたち、そして通信機の向こうにいるであろう僚艦の仲間たちの顔を、一人一人慈しむように見渡すかのように、ゆっくりと言葉を続けた。その瞳には、これから待ち受けるであろう危険への覚悟と、仲間への深い愛情が宿っていた。彼女自身も、この決断がもたらすであろう結果の重さを理解していたが、それでも進む道は一つしかなかった。

「だが、私は行く! 目の前で仲間が死にかけているのを、黙って見ていることなど、私には到底できない! 規律は破る! 命令は無視する! 我々は、ただ、我らが信じる正義のために、仲間を救うために飛ぶのだ!」

彼女の声は、次第に熱を帯び、力強さを増していく。それは、彼女自身の魂からの、偽りのない叫びであった。

「これは、軍規に基づく命令ではない! 私、ソフィア・ベルナルド個人の、魂からの願いだ! もし、諸君の中に、この危険な賭けに、私と同じ思いで挑んでくれる者がいるならば、我が旗艦『アルテミス』に続け! この先にあるのは、恐らくは地獄だ! 死地かもしれぬ! 生きて帰れる保証など、どこにもない! だが、我々が行かなければ、彼らに未来はない! さあ、どうする!? 我と共に、地獄の淵から仲間を救い出す覚悟のある者は、今、その意志を示せ!」


一瞬の、息詰まるような静寂が、ブリッジを支配した。

そして、次の瞬間、ブリッジは、そして通信回線を通じて繋がる僚艦からは、まるで堰を切ったかのように、クルーたちの力強い「応!」という返事と、決意に満ちたときの声が、嵐のように巻き起こった。

彼らの心は、ソフィの、計算も損得もない、ただ純粋な魂の叫びによって完全に一つになっていた。恐怖は消え去り、未知の危険へと敢然と立ち向かう勇気が、艦隊全体に、熱い血潮のように満ち溢れていた。


ラサールは、その光景を、深い感動と共に、そしてこれから負うであろう責任の重さを改めて感じながら見つめていた。彼は、冷静な声で、しかしその声には確かな熱を込めて、力強く指示を出す。

「全艦、戦闘配置! 全システム、オンライン! エンジン出力最大! 進路、カストル宙域、救難信号座標へ! これより我ら第8高速機動戦隊は、人命救助作戦を開始する!」

彼の声にもまた、ソフィと共に死地に赴くという、揺るぎない覚悟が滲んでいた。

「紅蓮の旗の下、我らもまた、流星とならん!」


艦内に、けたたましく、しかしどこか勇壮な、新たな戦いの始まりを告げる響きを伴って、出撃サイレンが鳴り響いた。

最新鋭駆逐艦『アルテミス』を先頭に、第8高速機動戦隊の精鋭艦艇が、次々とワープドライブの莫大なエネルギーチャージを開始する。その艦体は、これから向かうであろう地獄の戦場を知ってか知らずか、強い決意の光を放ち、あたかも生命を宿したかのように力強く脈打っているようであった。


ソフィは、艦長席の隣にある指揮官席に深く腰を下ろし、メインスクリーンに表示されるワープカウントダウンの数字を、静かに、しかし強い意志を宿した瞳で見つめていた。

彼女の表情は、先ほどまでの激しさとは異なり、どこか穏やかでさえあった。それは、全ての迷いを振り切り、覚悟を決めた者の静けさであった。

だが、その瞳の奥には、これから始まるであろう過酷な戦いへの覚悟と、一人でも多くの仲間を必ず救い出すという、揺るぎない、紅蓮の炎のような決意が、かつてないほど強く、そして激しく燃え盛っていた。


ワープシークエンス開始。

眩いばかりの光が艦隊を包み込み、時空の歪みの中へと、彼らは一斉に消えていった。

彼らが向かう先は、絶望が支配する死の宙域、カストル。

だが、彼らの心には、未知なる敵への恐怖よりも、仲間を救うという崇高な使命感と、若きカリスマ指揮官への絶対的な信頼、そして、常識や不可能という壁に果敢に挑むことへの、密やかな、しかし熱い興奮があった。

運命の戦場へ、紅蓮の流星が今、翔び立つ。その一閃が、永き黄昏の時代に、どのような波紋を投げかけるのか、まだ誰も知る由はなかった。

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