第一章:闇よりの囁き、罠の深淵
リベルタス共和国連合、第17駆逐隊が進む航路は、もはや生者のための道ではなかった。
彼らが足を踏み入れたのは、カストル星系外縁部に広がる、アステロイドベルトの最深部。星々の墓場、あるいは宇宙の迷宮。
かつてこの宙域に存在したであろう惑星や衛星が、激しい天変地異か、あるいは古の戦乱の果てにか、無残に砕け散り、その残骸が、まるで神々の怒りに触れたまま永遠に呪縛されているかのように、静止した時の中で漂い続けている場所であった。
光をほとんど反射しない、煤けたような巨大な岩塊が、行く手にも、左右にも、そして頭上にも、無秩序に、そして威圧的に浮かんでいる。
それらは、太古の巨獣が遺した骨のように、あるいは、打ち捨てられた神殿の廃墟のように、絶対的な静寂の中で、ただそこにあった。
艦隊の放つサーチライトのか細い光条が、時折、岩塊の裂け目を走る鉱脈を照らし出し、一瞬だけ、凍てついた宝石のような妖しい煌めきを見せる。だが、それも束の間、すぐにまた深淵の闇へと吸い込まれていく。まるで、この死せる海に迷い込んだ者たちを誘う、虚ろな誘惑のように。
艦隊旗艦『プロメテウス』のブリッジは、金属の無機質な冷ややかさと、計器類が放つ緑や橙の頼りない微光、そして、誰もが口には出さぬものの、皮膚を粟立たせるほどの張り詰めた空気で満たされていた。
航海長が、額に滲む汗を手の甲で拭いながら、細心の注意を払って艦隊の進路を誘導する。
「右舷前方、識別不能の大型デブリ群を確認! 回避運動、舵角5度、微速前進維持!」
その声は、静まり返ったブリッジに低く、しかし明瞭に響き渡る。
若い士官たちは、固唾を飲んで眼前のコンソールを見つめ、その指先は微かに震えている。
一方、百戦錬磨の古参兵曹長たちは、経験に裏打ちされた揺るぎない落ち着きを保ちながらも、その鋭い眼光は、計器の数値だけでは測れない、周囲の微細な気配の変化を捉えようと、油断なく注がれていた。
レーダーは、この高密度の岩塊と金属片が漂う宙域の中では、その探知能力を著しく減じられていた。
まるで視界の効かぬ濃霧の中を、羅針盤だけを頼りに手探りで進む古の船乗りのように、第17駆逐隊は、不安と隣り合わせの危険な航行を続けていた。
彼らの旧式な艦艇は、この過酷な環境にはあまりにも不釣り合いであり、兵士たちの心には、いつ接触事故や未知の脅威に遭遇するとも知れぬ恐怖が、重くのしかかっていた。
その時であった。
それは、まるで深淵の底で眠っていた何かが、突如として目覚めたかのように訪れた。
何の前触れもなく、音もなく、しかし確実に、彼らの世界を一変させた。
ブリッジを満たしていた、規則的で単調な計器の電子音が、突如として甲高い、耳を劈くような不協和音へと変わった。けたたましいアラート音ではない。それはもっと不気味な、まるで宇宙そのものが断末魔の悲鳴を上げているかのような、狂った音の奔流であった。
同時に、全てのスクリーンが、激しい吹雪のごときノイズの嵐に見舞われたのだ。緑の航路表示も、橙の警告灯も、ただ意味もなく明滅し、渦を巻く白い粒子の中に掻き消えていく。
それは、まるで無数の悪霊が耳元で嘲笑い、囁きかけるかのような、不快で不規則な音と光の洪水であった。
「ジャミングだ! これは…尋常ではない規模の電子妨害(ECM)を受けている!」
若い通信士官の声が、恐怖と驚愕に裏返ってブリッジに響き渡った。彼の顔からは血の気が引き、その瞳には、訓練では経験したことのない、現実の脅威に対する純粋な恐怖が宿っていた。
「馬鹿な! この『悪魔の三角宙域』でこれほどの強力なECMが観測された記録はないぞ! 自然現象か!? いや、こんな指向性のある妨害が自然に起こるはずが…!?」
航海長が、信じられないといった表情で叫ぶが、その声は途中で途切れた。
経験豊富なグレイブス中佐も、他のベテラン兵士たちも、即座に理解していた。これは、宇宙がもたらす予測不能な気まぐれな嵐などではない。明確な敵意を持った、見えざる何者かが仕掛けた、巧妙にして悪意に満ちた罠の一部であると。
彼らは、狩人の仕掛けた網にかかったのだ。
レーダーは完全に沈黙し、スクリーンはただ意味のない砂嵐のような光点を明滅させるだけとなった。
かつて星々の輝きを頼りに航行した古の船乗りたちが、大嵐の中で羅針盤を砕かれ、灯台の光を見失ったように。あるいは、白昼に突如として光を奪われた巨人のように。
第17駆逐隊は、漆黒の宇宙空間で完全に方向感覚を失い、その連携を断ち切られたのだ。僚艦との通信も、深い海の底に投げ込まれた石のように、何の応答も返さない。
確かなことは、彼らがアステロイドの迷宮の中で、完全に孤立無援となったということだけだった。見えざる狩人に追われる、哀れな羊の群れと成り果てて。
「くそっ…何とかならないのか! このままでは完全に袋のネズミだぞ!」
レーダー担当の若い士官、カイル伍長が、額に脂汗を浮かべ、まるで壊れた機械に祈るかのように必死にコンソールを叩いていた。彼の目は充血し、その指先は自身の意思とは無関係に震えている。
それでも彼は、視覚と聴覚を奪うノイズの奔流の中に、僅かな、しかし無視できないパターンを見出そうとしていた。それは、あたかも混沌の中に隠された、人工的な意図の断片…何者かの意思が介在しているかのような、微弱な規則性であった。
「違う…これは、ただのノイズじゃない…! デブリの反響パターンとも明らかに違う…! 何かの…何かの信号パターンが、この嵐の奥に隠されているんだ! 敵の発信源を探れば…!」
しかし、彼の懸命な探索は、まるで彼の最後の希望を嘲笑うかのように、さらに激しさを増した電子妨害の波によって、無慈悲に打ち砕かれた。スクリーンは完全に白濁し、カイルは力なく、そして深い絶望と共に椅子に崩れ落ちた。
「…ダメだ…何も見えない…何も聞こえない…! まるで…生きたまま棺桶に入れられたようだ…!」
ブリッジは、死が訪れたかのような重い静寂に包まれた。
ただ、悪霊の囁きのような不気味なノイズ音だけが、兵士たちの胸に巣食う不安と恐怖を、じわじわと、しかし確実に煽るように響き続けている。
グレイブス中佐は、固く拳を握りしめ、その指の関節が白くなるほどに唇を噛んでいた。長年の戦場の経験が、これが単なる奇襲ではないこと、周到に準備され、計算され尽くした罠であることを告げていた。
敵は、自分たちの旧式な装備と、この宙域の特性を知り尽くしている。だが、盲い、聾いた状態で、見えざる敵に対し、今、彼らにできることはあまりにも少なかった。
運命の女神は、彼らに冷たく、そして残酷に背を向けたように思われた。彼らの航路は、もはや破滅へと続く一本道しかないのか。深淵の闇が、静かに口を開けて彼らを待ち受けている。
***
その頃、同じカストル宙域の、アステロイドベルトのさらに深奥。
巨大な、まるで太古の怪物の髑髏のようにも見える歪な形状を持つ岩塊の影に、その異様な艦体を狡猾に隠すように停泊する一隻の戦艦のブリッジでは、全く異なる、しかし同様に異様な、歪んだ支配者の空気が流れていた。
艦体は、リベルタス共和国軍の比較的新しい巡洋艦を鹵獲し、悪趣味なまでに魔改造を施したものであろうか。その本来の流麗なフォルムは、無骨で威嚇的な追加装甲や、明らかに略奪品と思われるけばけばしい黄金の装飾によって損なわれ、さながら成り上がりの悪徳貴族の歪んだ自己顕示欲を体現しているかのようであった。
クロノス帝政の双頭の鷲でも、リベルタス連合の自由の星でもない、漆黒の地に白く染め抜かれた髑髏と、それを貫く二本の交差した稲妻を描いた禍々しい旗印が、ブリッジの片隅に、この宙域の支配者を僭称するかのように、挑戦的に掲げられていた。
ブリッジの中央、豪奢な、しかし悪趣味極まりない装飾が施された司令官席に、一人の男が、まるで玉座にふんぞり返る暴君のように、深く腰掛けていた。歳は四十代半ばであろうか。
かつてはクロノス帝政軍の将校が纏っていたのであろう、仕立ての良い豪奢な上着を、まるで汚れた外套のように無造作に羽織り、その下には、高級そうな光沢を放つ絹のシャツを覗かせている。
鋭く、冷たい光を宿す双眸は、油断なく周囲を睥睨し、綺麗に剃り上げられた、しかし意志の強さを示す角張った顎は、尊大に持ち上げられている。
そして、薄く歪められた唇には、残忍さと、底知れぬ野心が、まるで獲物を狙う毒蛇のようにとぐろを巻いていた。
彼は、眼前の巨大な立体星図に映し出される、混乱し、右往左往する哀れな共和国軍第17駆逐隊を示す無数の光点を、まるで盤上の駒を眺める冷徹な棋士のように、あるいは、これから始まる饗宴のメインディッシュを吟味する食卓の主のように、歪んだ愉悦に満ちた表情で見つめていた。
彼の名は、ヴォルフガング・シュタイナー。
かつて帝政軍でその非凡な戦術的才覚――特に奇襲や非正規戦においては右に出る者がいないとさえ言われた――を嘱望されながらも、その過剰な野心と、結果のためには味方の犠牲すら計算に入れる残虐性、そして何よりも彼の才能を妬む旧守派貴族との致命的な確執ゆえに軍を追われ、今やこの法の光届かぬ無法なるカストル宙域で最強の私掠艦隊、自称「鉄の髑髏旅団」を率いる、恐るべき男であった。彼の名は、星間航路を行き交う商人や、辺境の住民たちの間では、悪夢そのものとして恐怖と共に囁かれていた。
「見事な手際、まことに神業と言うほかございませんな、シュタイナー提督」
傍らに控える、痩身で、その目の動きがどこか冷血な爬虫類を思わせる副官ハインツが、主人の機嫌を巧みに窺うように、媚びへつらうような粘ついた声で言った。
「リベルタスの哀れな羊どもは、提督の張り巡らされた蜘蛛の巣の中で、もはや完全に方向感覚を失い、ただ狼狽えるのみ。まさに、提督の神算鬼謀の賜物。この獲物、赤子の手をひねるよりも容易くございますな」
シュタイナーは、副官の露骨な追従の言葉に、侮蔑の色を隠さぬ冷笑を唇の端に浮かべ、鼻を鳴らした。
手に持った、繊細なカットが施されたクリスタルのグラス(これもまた、過去の襲撃で拿捕した豪華客船の船長室から奪い取ったものであろう)に入った、年代物の琥珀色の蒸留酒を、その芳醇な香りを確かめるように鼻に近づけ、そして舌の上で転がすようにゆっくりと口に含んだ。
「神算鬼謀、か。まあ、そうかもしれんな。だが、ハインツよ、これは始まりに過ぎん。壮大なる我らが叙事詩の、ほんの序曲に過ぎんのだ」
彼は、空になったグラスを、まるで価値のないガラクタのように乱暴にテーブルに置くと、ゆっくりと立ち上がり、ブリッジ前方の巨大な強化ガラスの窓へと歩み寄った。髑髏の岩塊の向こうに広がる、星なき漆黒の宇宙。それは、彼の野心を映し出す鏡のようでもあった。
「あの老朽駆逐艦どもに積まれた希少鉱石など、ただの小遣い稼ぎよ。我が真の目的は、そんなケチなものではない」
彼の声は、熱を帯びて低くなり、その瞳には、狂気に近い野望の炎が、より一層強く、妖しく揺らめいた。
「このカストル宙域を完全に掌握し、誰も手出しできぬ難攻不落の一大拠点を築き上げること。そして、いずれは…」
彼は、まるで銀河全体をその腕に抱きしめるかのように、両腕をゆっくりと広げた。
「…クロノス帝政にも、リベルタス連合にも属さぬ、第三の極として、この銀河に我ら『鉄の髑髏旅団』の名を、恐怖と共に永遠に刻みつけるのだ! そのためには、力が必要だ。絶対的な武力、逆らう者全てを跪かせる、圧倒的な力がな! かつて私を才能への嫉妬から、冤罪を着せて追放した、あの愚かな帝政の世襲貴族どもに! そして自由などという甘っちょろい理想で衆愚を弄ぶ連合の俗物どもに! 思い知らせてやるのだ! この宇宙の真の支配者が誰であるかを!」
彼は、爬虫類の目をした副官ハインツに向き直り、その声は氷のように冷たく、そして刃のように鋭かった。
「包囲網を狭めよ。もはや、もてなす時間は終わりだ。夜明けと共に、羊狩りを開始する。羊どもを狩り、その牙と爪を、皮を、骨を、魂までも、全て我らの力とするのだ! 一隻たりとも、一兵たりとも逃がすな! 僅かでも抵抗の意思を見せる者は、原子の塵と化すがよい!」
彼の言葉には、一切の慈悲も、躊躇も、人間的な感情のかけらさえも感じられなかった。
副官ハインツは、主人の剥き出しの狂気と野望に一瞬怯んだような表情を見せたが、すぐに卑屈な笑みをその爬虫類のような顔に貼り付け、「はっ! 提督の仰せのままに! 栄光ある鉄の髑髏旅団のために!」と深く、深く頭を垂れた。
ブリッジには、シュタイナーの歪んだ、しかし絶対的なカリスマと、部下たちの、恐怖によって完全に支配された服従の空気が、重く、そして不気味に満ちていた。兵士たちは、命令を待つ間も、司令官の不興を買わぬよう、息を潜めていた。
彼らにとっては、これから始まるのは、容易く、そして大きな利益をもたらすはずの、ただの「狩り」に過ぎなかった。
まさか、その先に、自らの計算と傲慢さを打ち砕き、運命をも狂わせる、予想だにしなかった「紅き流星」との忌まわしき遭遇が待ち受けているとは、この時の彼らは、その悪夢の欠片すら想像してはいなかったのである。
闇はさらに深まり、アステロイドの影は、獲物を飲み込まんとする怪物の顎のように、ますます濃く、長く伸びていく。
見えざる狩人の仕掛けた罠は完成し、その鋭利な牙は、夜明けの最初の光と共に振り下ろされるのを、ただ静かに、そして冷酷に待っていた。
絶望という名の深淵に突き落とされた第17駆逐隊の上に、死の翼が音もなく広げられようとしている。果たして、彼らに夜明けは訪れるのだろうか。
リベルタス共和国連合、第17駆逐隊が進む航路は、もはや生者のための道ではなかった。
彼らが足を踏み入れたのは、カストル星系外縁部に広がる、アステロイドベルトの最深部。星々の墓場、あるいは宇宙の迷宮。
かつてこの宙域に存在したであろう惑星や衛星が、激しい天変地異か、あるいは古の戦乱の果てにか、無残に砕け散り、その残骸が、まるで神々の怒りに触れたまま永遠に呪縛されているかのように、静止した時の中で漂い続けている場所であった。
光をほとんど反射しない、煤けたような巨大な岩塊が、行く手にも、左右にも、そして頭上にも、無秩序に、そして威圧的に浮かんでいる。
それらは、太古の巨獣が遺した骨のように、あるいは、打ち捨てられた神殿の廃墟のように、絶対的な静寂の中で、ただそこにあった。
艦隊の放つサーチライトのか細い光条が、時折、岩塊の裂け目を走る鉱脈を照らし出し、一瞬だけ、凍てついた宝石のような妖しい煌めきを見せる。だが、それも束の間、すぐにまた深淵の闇へと吸い込まれていく。まるで、この死せる海に迷い込んだ者たちを誘う、虚ろな誘惑のように。
艦隊旗艦『プロメテウス』のブリッジは、金属の無機質な冷ややかさと、計器類が放つ緑や橙の頼りない微光、そして、誰もが口には出さぬものの、皮膚を粟立たせるほどの張り詰めた空気で満たされていた。
航海長が、額に滲む汗を手の甲で拭いながら、細心の注意を払って艦隊の進路を誘導する。
「右舷前方、識別不能の大型デブリ群を確認! 回避運動、舵角5度、微速前進維持!」
その声は、静まり返ったブリッジに低く、しかし明瞭に響き渡る。
若い士官たちは、固唾を飲んで眼前のコンソールを見つめ、その指先は微かに震えている。
一方、百戦錬磨の古参兵曹長たちは、経験に裏打ちされた揺るぎない落ち着きを保ちながらも、その鋭い眼光は、計器の数値だけでは測れない、周囲の微細な気配の変化を捉えようと、油断なく注がれていた。
レーダーは、この高密度の岩塊と金属片が漂う宙域の中では、その探知能力を著しく減じられていた。
まるで視界の効かぬ濃霧の中を、羅針盤だけを頼りに手探りで進む古の船乗りのように、第17駆逐隊は、不安と隣り合わせの危険な航行を続けていた。
彼らの旧式な艦艇は、この過酷な環境にはあまりにも不釣り合いであり、兵士たちの心には、いつ接触事故や未知の脅威に遭遇するとも知れぬ恐怖が、重くのしかかっていた。
その時であった。
それは、まるで深淵の底で眠っていた何かが、突如として目覚めたかのように訪れた。
何の前触れもなく、音もなく、しかし確実に、彼らの世界を一変させた。
ブリッジを満たしていた、規則的で単調な計器の電子音が、突如として甲高い、耳を劈くような不協和音へと変わった。けたたましいアラート音ではない。それはもっと不気味な、まるで宇宙そのものが断末魔の悲鳴を上げているかのような、狂った音の奔流であった。
同時に、全てのスクリーンが、激しい吹雪のごときノイズの嵐に見舞われたのだ。緑の航路表示も、橙の警告灯も、ただ意味もなく明滅し、渦を巻く白い粒子の中に掻き消えていく。
それは、まるで無数の悪霊が耳元で嘲笑い、囁きかけるかのような、不快で不規則な音と光の洪水であった。
「ジャミングだ! これは…尋常ではない規模の電子妨害(ECM)を受けている!」
若い通信士官の声が、恐怖と驚愕に裏返ってブリッジに響き渡った。彼の顔からは血の気が引き、その瞳には、訓練では経験したことのない、現実の脅威に対する純粋な恐怖が宿っていた。
「馬鹿な! この『悪魔の三角宙域』でこれほどの強力なECMが観測された記録はないぞ! 自然現象か!? いや、こんな指向性のある妨害が自然に起こるはずが…!?」
航海長が、信じられないといった表情で叫ぶが、その声は途中で途切れた。
経験豊富なグレイブス中佐も、他のベテラン兵士たちも、即座に理解していた。これは、宇宙がもたらす予測不能な気まぐれな嵐などではない。明確な敵意を持った、見えざる何者かが仕掛けた、巧妙にして悪意に満ちた罠の一部であると。
彼らは、狩人の仕掛けた網にかかったのだ。
レーダーは完全に沈黙し、スクリーンはただ意味のない砂嵐のような光点を明滅させるだけとなった。
かつて星々の輝きを頼りに航行した古の船乗りたちが、大嵐の中で羅針盤を砕かれ、灯台の光を見失ったように。あるいは、白昼に突如として光を奪われた巨人のように。
第17駆逐隊は、漆黒の宇宙空間で完全に方向感覚を失い、その連携を断ち切られたのだ。僚艦との通信も、深い海の底に投げ込まれた石のように、何の応答も返さない。
確かなことは、彼らがアステロイドの迷宮の中で、完全に孤立無援となったということだけだった。見えざる狩人に追われる、哀れな羊の群れと成り果てて。
「くそっ…何とかならないのか! このままでは完全に袋のネズミだぞ!」
レーダー担当の若い士官、カイル伍長が、額に脂汗を浮かべ、まるで壊れた機械に祈るかのように必死にコンソールを叩いていた。彼の目は充血し、その指先は自身の意思とは無関係に震えている。
それでも彼は、視覚と聴覚を奪うノイズの奔流の中に、僅かな、しかし無視できないパターンを見出そうとしていた。それは、あたかも混沌の中に隠された、人工的な意図の断片…何者かの意思が介在しているかのような、微弱な規則性であった。
「違う…これは、ただのノイズじゃない…! デブリの反響パターンとも明らかに違う…! 何かの…何かの信号パターンが、この嵐の奥に隠されているんだ! 敵の発信源を探れば…!」
しかし、彼の懸命な探索は、まるで彼の最後の希望を嘲笑うかのように、さらに激しさを増した電子妨害の波によって、無慈悲に打ち砕かれた。スクリーンは完全に白濁し、カイルは力なく、そして深い絶望と共に椅子に崩れ落ちた。
「…ダメだ…何も見えない…何も聞こえない…! まるで…生きたまま棺桶に入れられたようだ…!」
ブリッジは、死が訪れたかのような重い静寂に包まれた。
ただ、悪霊の囁きのような不気味なノイズ音だけが、兵士たちの胸に巣食う不安と恐怖を、じわじわと、しかし確実に煽るように響き続けている。
グレイブス中佐は、固く拳を握りしめ、その指の関節が白くなるほどに唇を噛んでいた。長年の戦場の経験が、これが単なる奇襲ではないこと、周到に準備され、計算され尽くした罠であることを告げていた。
敵は、自分たちの旧式な装備と、この宙域の特性を知り尽くしている。だが、盲い、聾いた状態で、見えざる敵に対し、今、彼らにできることはあまりにも少なかった。
運命の女神は、彼らに冷たく、そして残酷に背を向けたように思われた。彼らの航路は、もはや破滅へと続く一本道しかないのか。深淵の闇が、静かに口を開けて彼らを待ち受けている。
***
その頃、同じカストル宙域の、アステロイドベルトのさらに深奥。
巨大な、まるで太古の怪物の髑髏のようにも見える歪な形状を持つ岩塊の影に、その異様な艦体を狡猾に隠すように停泊する一隻の戦艦のブリッジでは、全く異なる、しかし同様に異様な、歪んだ支配者の空気が流れていた。
艦体は、リベルタス共和国軍の比較的新しい巡洋艦を鹵獲し、悪趣味なまでに魔改造を施したものであろうか。その本来の流麗なフォルムは、無骨で威嚇的な追加装甲や、明らかに略奪品と思われるけばけばしい黄金の装飾によって損なわれ、さながら成り上がりの悪徳貴族の歪んだ自己顕示欲を体現しているかのようであった。
クロノス帝政の双頭の鷲でも、リベルタス連合の自由の星でもない、漆黒の地に白く染め抜かれた髑髏と、それを貫く二本の交差した稲妻を描いた禍々しい旗印が、ブリッジの片隅に、この宙域の支配者を僭称するかのように、挑戦的に掲げられていた。
ブリッジの中央、豪奢な、しかし悪趣味極まりない装飾が施された司令官席に、一人の男が、まるで玉座にふんぞり返る暴君のように、深く腰掛けていた。歳は四十代半ばであろうか。
かつてはクロノス帝政軍の将校が纏っていたのであろう、仕立ての良い豪奢な上着を、まるで汚れた外套のように無造作に羽織り、その下には、高級そうな光沢を放つ絹のシャツを覗かせている。
鋭く、冷たい光を宿す双眸は、油断なく周囲を睥睨し、綺麗に剃り上げられた、しかし意志の強さを示す角張った顎は、尊大に持ち上げられている。
そして、薄く歪められた唇には、残忍さと、底知れぬ野心が、まるで獲物を狙う毒蛇のようにとぐろを巻いていた。
彼は、眼前の巨大な立体星図に映し出される、混乱し、右往左往する哀れな共和国軍第17駆逐隊を示す無数の光点を、まるで盤上の駒を眺める冷徹な棋士のように、あるいは、これから始まる饗宴のメインディッシュを吟味する食卓の主のように、歪んだ愉悦に満ちた表情で見つめていた。
彼の名は、ヴォルフガング・シュタイナー。
かつて帝政軍でその非凡な戦術的才覚――特に奇襲や非正規戦においては右に出る者がいないとさえ言われた――を嘱望されながらも、その過剰な野心と、結果のためには味方の犠牲すら計算に入れる残虐性、そして何よりも彼の才能を妬む旧守派貴族との致命的な確執ゆえに軍を追われ、今やこの法の光届かぬ無法なるカストル宙域で最強の私掠艦隊、自称「鉄の髑髏旅団」を率いる、恐るべき男であった。彼の名は、星間航路を行き交う商人や、辺境の住民たちの間では、悪夢そのものとして恐怖と共に囁かれていた。
「見事な手際、まことに神業と言うほかございませんな、シュタイナー提督」
傍らに控える、痩身で、その目の動きがどこか冷血な爬虫類を思わせる副官ハインツが、主人の機嫌を巧みに窺うように、媚びへつらうような粘ついた声で言った。
「リベルタスの哀れな羊どもは、提督の張り巡らされた蜘蛛の巣の中で、もはや完全に方向感覚を失い、ただ狼狽えるのみ。まさに、提督の神算鬼謀の賜物。この獲物、赤子の手をひねるよりも容易くございますな」
シュタイナーは、副官の露骨な追従の言葉に、侮蔑の色を隠さぬ冷笑を唇の端に浮かべ、鼻を鳴らした。
手に持った、繊細なカットが施されたクリスタルのグラス(これもまた、過去の襲撃で拿捕した豪華客船の船長室から奪い取ったものであろう)に入った、年代物の琥珀色の蒸留酒を、その芳醇な香りを確かめるように鼻に近づけ、そして舌の上で転がすようにゆっくりと口に含んだ。
「神算鬼謀、か。まあ、そうかもしれんな。だが、ハインツよ、これは始まりに過ぎん。壮大なる我らが叙事詩の、ほんの序曲に過ぎんのだ」
彼は、空になったグラスを、まるで価値のないガラクタのように乱暴にテーブルに置くと、ゆっくりと立ち上がり、ブリッジ前方の巨大な強化ガラスの窓へと歩み寄った。髑髏の岩塊の向こうに広がる、星なき漆黒の宇宙。それは、彼の野心を映し出す鏡のようでもあった。
「あの老朽駆逐艦どもに積まれた希少鉱石など、ただの小遣い稼ぎよ。我が真の目的は、そんなケチなものではない」
彼の声は、熱を帯びて低くなり、その瞳には、狂気に近い野望の炎が、より一層強く、妖しく揺らめいた。
「このカストル宙域を完全に掌握し、誰も手出しできぬ難攻不落の一大拠点を築き上げること。そして、いずれは…」
彼は、まるで銀河全体をその腕に抱きしめるかのように、両腕をゆっくりと広げた。
「…クロノス帝政にも、リベルタス連合にも属さぬ、第三の極として、この銀河に我ら『鉄の髑髏旅団』の名を、恐怖と共に永遠に刻みつけるのだ! そのためには、力が必要だ。絶対的な武力、逆らう者全てを跪かせる、圧倒的な力がな! かつて私を才能への嫉妬から、冤罪を着せて追放した、あの愚かな帝政の世襲貴族どもに! そして自由などという甘っちょろい理想で衆愚を弄ぶ連合の俗物どもに! 思い知らせてやるのだ! この宇宙の真の支配者が誰であるかを!」
彼は、爬虫類の目をした副官ハインツに向き直り、その声は氷のように冷たく、そして刃のように鋭かった。
「包囲網を狭めよ。もはや、もてなす時間は終わりだ。夜明けと共に、羊狩りを開始する。羊どもを狩り、その牙と爪を、皮を、骨を、魂までも、全て我らの力とするのだ! 一隻たりとも、一兵たりとも逃がすな! 僅かでも抵抗の意思を見せる者は、原子の塵と化すがよい!」
彼の言葉には、一切の慈悲も、躊躇も、人間的な感情のかけらさえも感じられなかった。
副官ハインツは、主人の剥き出しの狂気と野望に一瞬怯んだような表情を見せたが、すぐに卑屈な笑みをその爬虫類のような顔に貼り付け、「はっ! 提督の仰せのままに! 栄光ある鉄の髑髏旅団のために!」と深く、深く頭を垂れた。
ブリッジには、シュタイナーの歪んだ、しかし絶対的なカリスマと、部下たちの、恐怖によって完全に支配された服従の空気が、重く、そして不気味に満ちていた。兵士たちは、命令を待つ間も、司令官の不興を買わぬよう、息を潜めていた。
彼らにとっては、これから始まるのは、容易く、そして大きな利益をもたらすはずの、ただの「狩り」に過ぎなかった。
まさか、その先に、自らの計算と傲慢さを打ち砕き、運命をも狂わせる、予想だにしなかった「紅き流星」との忌まわしき遭遇が待ち受けているとは、この時の彼らは、その悪夢の欠片すら想像してはいなかったのである。
闇はさらに深まり、アステロイドの影は、獲物を飲み込まんとする怪物の顎のように、ますます濃く、長く伸びていく。
見えざる狩人の仕掛けた罠は完成し、その鋭利な牙は、夜明けの最初の光と共に振り下ろされるのを、ただ静かに、そして冷酷に待っていた。
絶望という名の深淵に突き落とされた第17駆逐隊の上に、死の翼が音もなく広げられようとしている。果たして、彼らに夜明けは訪れるのだろうか。