第32話 現実
目を開けると——視界に広がるのは、白い天井。
周りには病院の匂いが漂っている。もし間違っていなければ、今ここは病院の中……でも、どうして私が……
まるで私の疑問に応えるかのように、車にぶつかられた記憶が蘇ってきた。そして――
「宮野くん……」
宮野くんが車に押されて電柱にぶつかる光景が浮かび上がる。
胸がざわめき、宮野くんが無事なのか気が気でならない。
ベッドから起き上がろうとしたが、少し動くだけで体が引き裂かれるような痛みに襲われた。
痛みを無視してベッドから降りようとしたその時、病室のドアが開いた。
「お姉ちゃん……やっと目が覚めたの!?」
妹は急いで私のベッドサイドに駆け寄り、これが幻覚ではないか確認した後、すぐに医者を呼んできて診てもらった。そして、少し前に帰宅して物を取りに行っていた両親にもこのことを伝えるために電話をかけた。
医者に診てもらった後、命の危険はないと言われたものの、傷がひどく、体のあちこちが骨折しているため、長期間の安静が必要で、ベッドから起きることもできないと言われた。医者の言葉で、私はすでに5日間も昏睡していたことを知った。
医者が出て行った後、しばらくしてから、沙織ちゃんとハルちゃん、そして佐藤くんが病室に入ってきた。
「皆……宮野くんは?」
しかし、誰も返事をせず、悲しげな表情を浮かべている。ハルちゃんは顔をそむけたが、それでも涙がこぼれているのが見えた。
なんだか悪い予感がするけど、信じたくない。
「ねぇ、宮野くんは?彼は大丈夫だよね?」
「祐樹は……死んだ」
佐藤くんは低い声で言った。
「……死んだ?」
頭の中が真っ白になり、何も考えられなくなった。
涙が思わず目から溢れ出し、布団にポタポタと落ちていった。
その言葉を聞いた瞬間、耐えていたハルちゃんも涙を流した。佐藤くんは彼女を優しく慰めてあげた。
「それは嘘だよね……?宮野くんはまだ生きてるよね?」
私はそんなことを受け入れたくない。
宮野くんが私を救ってくれたのに、自分は車にぶつかって死ぬなんて、そんなことを信じたくない。
しかし、沙織は優しく私を抱きしめてきた。宮野くんがもう亡くなった事実を受け入れて欲しいかのように。
私は泣いた。
誰の目も気にせず、赤ん坊のように泣き叫んだ。
心が痛くて、息ができないほどの苦しみが襲ってきた。
この悲しみと苦しみは、ただ恩を受けた友達を失ったことだけではないようで、心の奥にもっと深い悲しみが渦巻いている。でも、それが何なのか、どうしても思い出せない。ただ漠然と、私はとても大切な人を失ったことに気づいていた。
* * *
1か月以上の入院生活で、交通事故による怪我はもう問題なく、体も普通に動かせるようになったので、今日は退院できることになった。しかし、あの事故がもたらした心の傷はまだ完全には癒えていない。宮野くんの死からどうしても立ち直れず、ふとした瞬間に思い出しては悲しみに沈んでしまう。
「お母さんとお父さんは先に荷物を車に運ぶから、心優はここで忘れ物がないか確認していてね」
病室にいる私は、ベッドに座って窓の外を眺めている。
もし、宮野くんが生きていたら、最近退院する頃かもしれない……
宮野くんのことを思い出すと、また悲しくなってしまった。
最近、沙織が私が変わったって言ってた。昏睡から目が覚めてから、からかうことが少なくなって、むしろぼーっとしたり、悲しそうな顔をしていることが多いみたい。多分、宮野くんのことをよく思い出すからだと思う。
「カァ」
一羽カラスが開いた窓から病室に飛び込んできた。
空中を一周旋回した後、床頭台に留まり、くちばしで足元をつついた。
「え?」
どうしたの?なんか中に何かあるって暗示してるみたい……
私が床頭台に手を伸ばすと、カラスはすぐに飛んで去っていった。
引き出しを引き開けると、つい先ほどまでは何もなかったはずの中に、一通の手紙が置かれていた。
手に取った手紙を開いて覗き込んだ。
「父さん、母さん……」
もう二度と会うことはできないけど、今、別の世界(死後の世界だと思ってもいい)でなんとかやってる。君たちも元気でいてほしい。
今日、その世界で星を見たとき、子供の頃、父が話してくれた星に関することを思い出した。一度、母の言っていた「人が死ねば星になり、愛する人を見守る」という言葉にツッコミを入れたこともあったけど、今の僕は本当にそうなればいいと思ってる。
物事が起きたら平然と受け入れられると思ってたけど』、やっぱり難しいこともある。死を受け入れられると思っていたけど、両親や友達、長い間好きだった女の子のことを考えると、涙をこらえていられなかった。それにあの女の子にも見られて、本当に恥ずかしかったよ……もし可能なら、死にたくないし、みんなともっと一緒に過ごしたい。でも、それは無理だ。結局、成長してお金を稼いだら、父さんと母さんをアイスランドに連れて行ってオーロラを見せるって約束したことも実現できなかった。
これが君たちに書く最初で最後の手紙かもしれない。だから、父さん、母さん、僕の最後のお願いを聞いてくれるかな?僕がいなくなったからって悲しまないで、これからも自分たちの人生を大切に過ごしてほしい。たまには、先に行った息子のことを思い出してくれたら嬉しい。
本当にごめんなさい。そして、ありがとう。君たちの息子として、この幸せな家庭に生まれられたことに感謝している。
「……」
この手紙のいくつかの字に、妙な既視感を覚えた。どこかで見たような気がするけれど、どうしても思い出せない。
必死に思い出そうとしていると、視界の隅に引き出しの中にもう一枚写真があるのが見えたので、それを手に取った。
「これは……」
写真に映っていたのは、黒い乱雑な線で顔が隠された白髪の人と私のツーショット。私たちの後ろには噴水像があり、背景からすると美しい庭園の中にいるようだった。周りには見たことのない花々が咲き乱れ、さらに異なる季節にしか咲かない花たちが一緒に咲いているのが目を引いた。
このちょっと懐かしいけれど、どこで撮ったのか思い出せない写真を見つめていると、涙が自然と溢れ出し、写真に落ちてしまった。
「あれ……?」
何も考えていなかったのに、ただこの写真を見ただけで、悲しくなってしまった。
大切な記憶、忘れたくない記憶がなくなってしまったような気がする。
どこからともなく舞い降りてきた一枚のカエデが、窓の外を風に乗ってゆっくりと通り過ぎていった。
「楓……?」
ふと口をついて出た言葉が、頭に鋭い痛みをもたらした。何かを思い出しかけているような気がするのに、思い出そうとすればするほど痛みは増す。それでも、どれほど苦しくても、その記憶を思い出したいという気持ちが抑えきれなかった。
痛みによって視界が徐々にぼやけ、意識を失いかけたところ、脳裏に浮かび上がってきたのは、この世界には存在し得ない光景。
次々と浮かび上がる光景と共に、少しずつ思い出していった。ここは、この世界とは全てが正反対の場所。私と楓、つまり宮野くんと出会い、一緒に過ごした楽しい時間、訪れた場所、交わした言葉……すべてが鮮明に蘇ってきた。
すべてを思い出した。
宮野くんを思い出すたびに、どうして特に寂しくて悲しい気持ちになるのか、やっと分かった。
どんなに悲しくて涙を流しても、どれほど宮野くんが生き返って欲しいと願っても、彼はもうこの世界に戻ってこない。そんなことは分かっているのに、一人病室で泣き崩れてしまった。
家に帰った後、少し休んでから昼食を取った。
その後、ハルちゃんから宮野くんの住所を教えてもらい、父さんにそこまで送ってもらうよう頼んだ。この前、彼の葬儀に昏睡状態で行けなかったので、今度こそ絶対にお参りに行くつもりだ。
宮野くんのお母さんが出迎え、仏間へと案内してくれた。
宮野くんの遺影を見つめると、また悲しみがこみ上げてきた。
ごめんね、宮野くん。結局、あなたの命令通りにはできなくて、忘れられなかったよ。
まぁ、あの時その命令を聞いた瞬間から、守る気なんてなかったけど。
心の中で宮野くんにいろいろ話しかけたけれど、当然のことながら何の反応もなかった。
私も心の中で約束をした。これからも頻繁に来るし、次回は今よりもっと元気な姿を見せるって。
お参りが終わった後、私は病室で見つけた手紙を取り出し、宮野くんの母親に手渡した。
「あの、ちょっと不思議に思われるかもしれませんが、これは宮野くんが両親に宛てて書いた手紙だと思います」
もし死者からの手紙を受け取ったら、事情を知らない人は信じないかも。私は疑われる覚悟はできていた――しかし、宮野くんの母親はその手紙を読んだ後、泣き出した。
「祐樹ちゃん……」
「ごめんなさい。もしあの時、私がもっと早く反応して宮野くんを押していれば、死ななかったかもしれません」
ずっと自分を責めてたんだ、もっと早く反応できなかったことも、宮野くんが助けてくれたのに私は助けられなかったことも。
「お嬢ちゃん、どうか自分を責めないでください。当時はただの事故でしたから。それに、あなたが生きていることを知ったら祐樹ちゃんもきっと喜んでいると思います」
「うん……あの、実は、私が昏睡している間に宮野くんに会ったことがあるんです。もしよろしければ、その時に何が起こったのか、詳しくお話しさせていただきます」
「うん、是非」
リビングに来ると、私はテーブルに座った。
宮野くんの母親はキッチンで忙しそうに動き回り、間もなく2杯の熱いお茶を持ってきてくれた。香ばしい湯気が立ち上り、思わず心が和んだ。
宮野くんの母親が席につくと、私は宮野くんと不思議な世界で経験したすべての出来事を話し始めた。信じてもらえるかは分からなかったけど、お母さんはずっと辛抱強く耳を傾けてくれた。
話しているうちに、私は思わず寂しげな表情を浮かべてしまった。
「こうしてお話を聞けて嬉しいです。最後に好きな人と一緒に過ごせて、祐樹ちゃんもきっと幸せだったと思います」
宮野くんの母親は優しくそう言った。
悲しそうに見えるのに、それでも無理に微笑んでいる。その姿が、宮野くんとそっくりだった。
「あの、ちょっと変なお願いをしてもいいですか?」
「どうぞ」
「これから……ここに来てもいいですか?宮野くんの代わりにお世話させていただきたいんです……もしご迷惑であれば、今のは忘れてください」
少し驚いたような表情を浮かべていたが、宮野くんの母親はすぐに気を取り直し、安心感を与えると同時に少し悲しげな微笑を浮かべた。
「あなたが祐樹ちゃんの好きな人なら、私が認める人ということですね。この家は、いつでもあなたを歓迎します」
その後の日々、私はよく宮野くんのためにお参りに行き、彼の家に寄っては両親とおしゃべりをして過ごした。時にはカフェで手伝いをすることもあったが、最初はあまりうまくいかず、よく失敗してしまった。それでも、皆の教えのおかげで、次第に宮野くんの日常の仕事に慣れていくことができた。
空いた時間を利用して、私は自分と宮野くんの物語を漫画に描くことにした。約一年が経ち、ついに完成したその漫画をネットに投稿した。やがて出版社の目に留まった。それがきっかけで、漫画家としてデビューすることになった。
さらに数年が経ち、私は高校を卒業し、有名な美術大学に進学した。この間、漫画家として活動し続け、自分の夢を追い求めている。
ハルちゃんは佐藤くんと同じ大学に進学し、沙織ちゃんは海外で進学した。皆は違う場所にいるけれど、互いに連絡を取り合って会うので、今でも仲は良い。しかし、宮野くんがいないことで、やっぱり少し寂しさを感じてしまう。
歳を重ねるにつれて、皆少しずつ変化を遂げていくが、私も例外ではない。
しかし、唯一変わらないのは、ずっと宮野くんを好きでいることで、他の誰かを好きになることも、告白を受け入れることもなかった。私は店でペアリングを買い、常に身に着けることで、宮野くんのことを思い出し、好きな人がいることを示している。
どんなに時間が経っても、大好きな彼のことは決して忘れない。




